- ベストアンサー
韓国の発展は日本のおかげ?
韓国は昔日本が統治する前は経済的、文化的にも遅れていたが日本が統治するようになってから韓国は発展したので、韓国が豊かになったのは元はと言えば日本のおかげだと言うのを聞きましたが本当ですか?
- みんなの回答 (21)
- 専門家の回答
質問者が選んだベストアンサー
研究者の世界では、大体3つの説が相互に対立しています。 一つ目は、日本の植民地支配は朝鮮の近代化を妨げたという見解。 二つ目は、逆に日本が朝鮮の近代化を促進したのだという見解。 1980年代くらいまでは主としてこの2つの説が対立し、研究者の世界でも日本の植民地支配がプラスかマイナスかの水掛け論に陥ってしまうことが少なくありませんでした。 そこで、最近出てきた三つ目の説が「植民地近代」論です。 これは、植民地支配下における強制された近代化は、宗主国(欧米や日本)における自発的な近代化とは区別して考えるべきだ、という考え方です。 「植民地近代」論者は、宗主国日本によって朝鮮の社会関係が大きく変化させられ、経済が発展したことを認めます。 しかし、それをストレートに朝鮮民族の「幸福」とは考えません。 経済成長や伝統的な社会関係の「近代化」が、必ずしも人を幸せにはしないことを、我々はもう知っています。 簡単に言えば、日本のおかげで経済成長したなら、朝鮮における公害問題も元はといえば日本のおかげだよね、ということです。 しかも、植民地支配下では、近代化に伴う副作用は、宗主国のそれよりも大きくなってしまう可能性が高い。なぜなら、いうまでもなく朝鮮人は日本人よりも劣位に置かれ、基本的人権により一層大きな制約が課せられていたからです。 まぁそんな感じで、韓国が日本のおかげで豊かになった、と一面的に強調するのは、現在ではかなり痛い俗説です。いわゆる質の低いネトウヨ言説として黙殺するのが賢明かと思います。
その他の回答 (20)
日本人の目から見れば、そういう一面は確かにあったかもしれないと言えますが、向こうの人から見れば、第一その動機が不純だった(ロシアから日本を守るために、どうしても最低緩衝地帯であり続けてほしかったし、自国の戦争のための人的資源や物資を供給するために)様々なインフラ投資をし、効率を高めるための社会的改革も進めたという見方が大勢です。実際、その成果を一方的に搾取し続けたというのが偽らざる真実でしょう。 朝鮮統治での一番の間違いは、やはり日本語を押し付けたり、名前を日本式にかえさせたりして彼らのプライドを破壊したということではなかったでしょうか。
- masshie1
- ベストアンサー率0% (0/3)
質問内容をみると一度、歴史をご自分で改めて勉強される事をおすすめ します。 そういった短絡的な質問で、たとえ答えを知ったとしても また結局同じような疑問が起こる事でしょう。 ちなみにそれを知ってどうするのですか? それをもとにあなたはどういった考え進まれるのでしょうか? 大東亜戦争と主張する側と太平洋戦争を主張する側がありますが その二つの歴史観(まったく世界観、思考が異なります)があります。 ちなみに戦後、太平洋戦争という歴史観で日本は歩んできました。 しかし、もう一方には大東亜戦争という歴史もあります。 人にこれが正しいよ、といわれてあなたがそれを信じれば、それが あなたにとって事実となりそういった情報が入りあなたの知識と なるでしょう。 しかし、あなたが、自分で見極めて情報を処理して行く事を学べば 少なくともそれとは違った事実を見ることができると思います。
- jess8255
- ベストアンサー率45% (1084/2359)
18世紀までの朝鮮では清の属国ながらもそこそこ文明の程度もありましたが、19世紀からは清の弱体化と同時進行で明らかに世界レベルから大きな遅れを取るようになったと思います。 日本統治を「植民地時代」と捉え、搾取の時代と考える一方的な見方がありますが、それこそ硬直した歴史観です。近代国家の体裁を整えられたのはやはり日韓併合以降です。当時の日本政府は巨額の予算を投じて、社会資本(道路、ダム、土地制度、学校制度、近代的な行政制度)の拡充を進めました。 また1969年の日韓基本条約の締結後に1,080億円の無償供与をしました。これは当時の韓国の国家予算の1/3に相当するものです。これが現在の韓国の経済的繁栄の基礎となったのです。 現在の在日韓国人は自分の意思で半島から日本に来た人々です。強制連行者の子孫ではありません。
- zep19
- ベストアンサー率45% (138/306)
もし貴方が質問されている表現だと戦後日本の繁栄はアメリカのおかげということなりますね 戦後日本におけるGHQによる政策は戦前日本の経済・社会を革命的に改変しました 戦前日本農民の多くは小作農でしたが、農地改革により多数の自作農が出現し、生産性が向上しました 戦前に存在しなかった集排法、企業再建整備法、独禁法がGHQにより指導施行され独占的財閥支配から解放されました 労働三法を成立させ、労働者の所得向上に寄与し、学校教育も民主化しました 悪性インフレに苦しんでいた日本をドッジ・ラインを施行し救ったのもアメリカです その上アメリカは莫大な経済援助を日本にしています 1949年だけで5億3400万$、6年間で21億$も日本に対し援助しました 52年には激減しますが、それは朝鮮特需が肩代わりしたからです(52年8億2400万$) 貴方の表現だと戦後日本の繁栄はアメリカに直接的間接的指導援助によるものだということになりますね
- yutaacc
- ベストアンサー率0% (0/1)
この問いにはいくつか問題が含んでいます。(1)その国が遅れている・発展しているとは何か。その国が豊かとは何か。(2)回答の多くがそうなのですが、古い歴史観、国家と国家の関わりに歴史を矮小化しています。(例)アメリカにおける先住民、アフリカ系奴隷、オーストラリアのアボリジニ、文字の獲得、物質文化では欧米化が進んだが本当に豊かになったのかな。(3)対韓国・朝鮮関係は韓半島の問題だけでないこと、なぜ日本には在日コリアンが多いのか。終戦時には100万以上残されたことが無視されている。関東大震災で多くの朝鮮人が官憲だけでなく自警団に組織された普通の日本人によって虐殺されたこと。戦前、戦後を通じて日本社会での扱われ方を検証し、関係史を考えよう。
- yutaacc
- ベストアンサー率0% (0/1)
古くは日本の文化は現在の韓国・朝鮮・中国からの渡来人がもたらしたのいうのが通説です。鎖国状態の江戸時代においても、朝鮮から定期的に使節がきて大名行列のようにして江戸にやってきて丁重な扱いを受けたという歴史があり歴史を豊かにしています。明治維新後、日本の富国強兵政策により日朝関係は平和的関係が崩れ、双方または研究者の歴史観に違いが生じています。双方というか中国も加え東北アジアの歴史(近現代史だけでなく古代史も)を研究することはとても楽しいことでもあり、未来志向アジア関係を切り開くのではないかと期待しています。
- vantice
- ベストアンサー率18% (42/227)
まぁ、2000年からのGDPの伸びからしても、日本の影響は大きいかもしれない。
- tamutamu79
- ベストアンサー率23% (3/13)
> 日本が作ったインフラは、韓国の場合には朝鮮戦争で壊滅状態となり(北朝鮮はある程度残った。)、ゼロからの出発です。 >韓国が、戦前の日本の投資による整備されたインフラが、成長の基盤になったという事実はありません。 これ凄い理論ですね。 戦争があった場所は、以前にあった道路や鉄道、橋など全て跡形も無く消えて原野にでも戻ったというのでしょうか? 北朝鮮にはある程度残っているというのもおかしいですね。韓国軍は一度は38度線を越えて中国国境付近まで攻め込んでますからね。 道路や橋、鉄道などは確かに戦時中破壊の標的とされますが、同時に軍事物資や兵士の輸送に欠かせないものですから、それを全て破壊して原野に戻すなんて考えられないですよね。 最近のイラク戦争で、バクダットの町は空爆にさらされましたけど、軍事的・政治的に重要な施設は徹底的に攻撃されましたが、道路などは各国からの援助によって2年たらずで復旧してますからね。これらが自衛隊によって砂漠からの復旧だったというなら解りますけど。
- yamame17gou
- ベストアンサー率39% (701/1764)
健全な人格構成を目指しているなら唾棄すべき情報。 努力、創意工夫が全てです。 相手を見下す考えは正義に反し、物事の根幹思考に既に問題があります。
- nuisance1
- ベストアンサー率14% (39/264)
全てではありませんが、可能性は大きいです。 元々、朝鮮王朝との関係から話せば、王朝16代目の、少しお頭の足りない、王様が、不凍港建設可能な土地をロシアに売り渡したことに対する、朝鮮族愛国団と日本軍の共同戦線が、日露戦争であります。朝鮮族だけでは、10万~15人しかいなく、当時はスーパー大国ロシアとは、戦いにもならなかったでしょう。 この時点で、日本の協力がなければ、完全に朝鮮半島はロシア(白人)の属国と成っていたでしょう。 2、朝鮮併合、まあ言葉に問題がありますが、当時のことはすでに前回答者が、回答してますので、省略。 3、次に、回答者の一部に誤解をもたれている方が、いますので、補足的回答を、 朝鮮の南北戦争のため日本併合時の産業的遺産が、崩壊し、韓国国民の力で、成長したみたいなことを書いているが、少し勉強をしてください。ご気分を害さないようにね すこしですから。 1945年日本が終戦、これでやっと朝鮮半島の開放と思いきや、ソ連が38度線まで攻撃を開始、これに対抗した米軍との関係で、国土の分割統治。 1948年でしたよね、金日成が北朝鮮を樹立。 対抗して李政権をアメリカが作る。 朝鮮戦争1950年に勃発、確か、休戦協定は1953年でしたね。その後ですよ日本がインフラ整備とか経済振興に再び、乗り出したのは。1965年 まあ 歴史の講釈はこれぐらいにして、前の回答者の意見で 『日本が作ったインフラは、韓国の場合には朝鮮戦争で壊滅状態となり(北朝鮮はある程度残った。)、ゼロからの出発です。 韓国が、戦前の日本の投資による整備されたインフラが、成長の基盤になったという事実はありません。』と言うことがありましたが。 1965年の日韓基本条約が結ばれ、戦時の個別補償という段階になり、国際法上問題が出てきた、韓国サイドに個別補償を支払えば、国際法上韓国側も日本に日本人が残してきた土地や財産を返却しなければならない。そうすると、日本の支払いより、韓国側の支払いが、日本の何十倍になってします。そこで両国の対応として、個別補償の放棄をする代わり、日本からの経済援助という名目の、一括補償がとられたのです。その金額8億ドル以上、当時ですよ。 日本は佐藤総理時代、韓国朴大統領時代のはなしですよ! 巨大な金額です。 先日韓国政府が認めたことです(日本の戦時補償は解決済みだったと)。 この金が、韓国経済発展に寄与したことは、疑いたくとも疑いようが無いでしょう。 もう一つが、これは日本ではありませんが、朴(暗殺)政権後、日本からすでにお金をもらってることを、知った次の大統領は、この時点でゆすりたかりに、韓国政府がてんかんするのです。日本人残虐性とか、虚史編集にまい進するのです。 これが現在、間違った歴史を世界に配信する抗日活動につながる。 しかし、個別補償を持ち出すと、国際法上は、日本に請求額より支払いが大きくなるため、国際司法裁判所には提訴できない。 そこでとられたのが、ベトナム戦争に対する。米軍に協力派兵で『本当は出稼ぎ派兵です』これで、韓国経済の基本はすでに日本の支援で出来ていたので、出稼ぎ賃で、韓国経済を後押ししたのがじじつです。
- 1
- 2