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「手本」の対義語

日比野 暉彦(@bragelonne)の回答

回答No.22

 《 A-ハ B-ガ C-ナリ /C-スル。》の日本語構文について補います。  ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ この構文について     第一中心主題 + 関係第二主題 + 論述。  といった主題提示層を表わし しかも同時に別の層において      S (主格)- O (対格)- V(述格)  などの線形論理層をも担い その意味関係を表わす。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~  と述べていますが そしてこの構文は 日本語のほかに朝鮮語にも見られると言いましたが ほかの言語にも存在する可能性があると説く論考を探し出しました。ご紹介します。  ▲ 泉井久之助:言語の構造1967/1971  ☆ そこでは 上の構文は  ▲ 二重主語の構文  ☆ と呼ばれています。  ▲ (泉井〔いずい〕久之助:二重主語の構文と日本語)~~~~~~~  ラテン語は非常に早くから文体的に 特に論理的によく整理せられた言語である。殊に普通われわれが目にするラテン語は 共和制末期から帝政初期に書かれたいわゆる古典的ラテン語であるために いかにも整理せられた言語だという感じをつよく抱かせる。そこでは主語に関して 一つの単文には必ず主語は一つの原則が強く貫かれて そこに二つの主語があらわれるという二重主語的な現象は殆んど見出されることがない。  実はしかし それは高度に整理せられた文章語ばかりを われわれは見ているからであって キケローの弁論さえ 今われわれが読むものは すべて弁じ終わったあとで 時には相当期間ののち 改めて手を加え文章的に整えた上で刊行したものばかりである。実際に大ぜいの人たちを前にして雄弁を揮ったときには 必ずしもこのように文章規範として 後世のみか今日まで尊重せられるような 美事に整って しかも力つづよいものではなかったかも分からない。・・・  古典期の規範的なラテン語の文章では・・・第一主語を属格に据えることによって非規範的な二重主語になるのを避けるのが一般の場合である。例えば最も整ったラテン語において    Hominum spes successu rerum augeri solet.  といえば 《人間〔というもの〕は 成功によって希望が大きくなるものである》の意味であって 直訳的に《人間の希望は・・・大きくなるものである》と訳すれば 《文として》正確に訳したことにならない。もしこの直訳のとおりにラテン文でいうならば はじめの二重主語の順序を変えて 《希望 spes 》を前に据え     Spes hominum ・・・・  としなければ正しい文にはならない。しかしこのとき 《人々の hominum 》は 《特定の人々 前述の人々の》の意味になって全体は 《かの人々の希望は・・・》の意味になってしまうであろう。  上の規範的に整った文において《人々の》が《希望》の前に立ち 更に何より文頭に立っていることには特別の意味がある。そこには提示的な 第一主語的な意味合いが統辞法的にこめられている。  しかし少し考えてみれば ラテン語の二重主語的な言い方は 何もこのように表現世界の いわば逼塞した一隅にのみ行なわれていたのではない。その表現世界の大道をゆくキケローにきわめて多い表現の様式 即ちまづ 《・・・を》と提示して つづいて例えば 《〔これを〕知らないほど迂闊なものがあろうか》と結ぶあの言い方の順序 これなども句の順序や据え方から見て格の関係はとにかく 表現全体の行き方に伺える精神から見れば やはり一種の二重主語的な表現であろう。  その一つの例は キケロー 国家論 二の六のはじめにも見出される。そこでは    Urbis autem ipsius nativa praesidia,     《都(ローマ)自体の持つ自然の要害を》  とまづはじめに置いて前提とし 次に文章を一応区切りながら《そんなに迂闊なものとして誰があろうか》と文を運び 最後にこの《誰》を受ける関係代名詞を据えて 《その人がそれに気づかないほど》と結ぶのである。  つまり《ローマ自体が本来持つ自然の要害さハ それにはっきり気づかないほど迂闊なものとして誰があろうか》というのに ローマの要害さを大きく前提においてその属性の優秀さを述べるのである。これも表現の精神から見て一種の二重表現であろう。それはこの句の順序に現われている。整った古典期の文語にも 二重主語的表現はやや姿をかえて現われていたのである。  日本語においても今日 二重主語的表現が口語的な文章語にまで力があるのは はじめの民衆的な言語法が大いに力を得た結果であって 古典的な文語では その現われは非常に少なかった。しかしこの表現様式が様式として 日本語において非常に古くからつづいたものであることは   万葉集の八 《・・・冬木の梅は 花咲きにけり》  或いは  巻三の 《不尽(ふじ)の高ねは 雨雲もいゆきはばかり・・・》  などの多くの例によって知ることができる。ここに《ガ》が現われないのは主語助詞としての《ガ》の発現が文語において 遅かったからである。  して見れば二重主語的表現は 一般に自然に人の心にごく自然的な表現の様式の一つであり 自然的な精神形態の発現でもあるといえるかも分からない。ラテン語では 周知のように名詞・代名詞の格の形は一つ一つはっきり現われて 主格は主格としてのみの形を持つだけに 上の特異な二つのラテン例文のそれぞれにおける二つの主語は それぞれ明瞭に二つの主格であって 二重主語的表現は はっきり二重主格的表現となっている点が特にわれわれに興味がある。  (第2部 補論 1.二重主語の構文と日本語 2.その他の言語と二重主語 pp.144-146 )  ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~  ☆ ほかにもいくらかの言語で この《二重主語の構文》が見られると説いています。  ラテン文例について わたしは合点が行っているわけではありません。文例の全体を掲げていませんし つまりよく分かりません。というのが 実情です。

ri_rong
質問者

お礼

 専門的なことは知らないのですが、この泉井さんという方がお書きのことを僕はわかる気がします。キケロなど正統派のラテン文(古典時代のもの)は講読会で勉強した程度で、いくらかの言い回しのほかはさっぱり知りませんが、文章を構成する「型」のようなものがあって、それはネオラテンにも受け継がれています。  読みのなかで、僕らはこれをまず、覚えるんですね。ご回答ありがとうございます。  このキケロ風の語り口モデルは、たとえば頁数でいうと三頁くらい続く長い文章の末尾にひょっこり結論が現れたりするネオラテンの怪しい文章において、どこからどこまでが主格なのか、またその主格の説明が誰の引用なのかなどを読み解く際には、非常に重宝します。作者が古典と同じような構造で綴ってくれているからです。その型に慣れてしまうと、泉井さんの書かれていることが特別なことだとは思わなくなってしまいますが、改めて言われると、なるほどなと思いました。  慣用句っていうんですか、実際はもう少し長いテクストを引用するようなかたち――演説なのか、論ぱくなのか、献呈なのか、詩文なのか――などなどの型があって、うまく言葉では説明できませんが、その型に沿って綴られます。やっぱり、外国語なんでしょうね。地の言葉とは違って、ラテン語は手本としての言葉だと思います。挿入句や引用、変幻自在の文章構成、それでも「型」は生きている。漢詩のような感じ、といえば伝わるでしょうか。

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