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ブッダの美女マーガンディヤー事件

 いま得られている資料をかかげます。ご見解をおしえてください。  ▲ 【資料1:求愛をことわる】 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~  ・・・マーガンディヤーの父親が、たまたま釈迦に会い、その説法を聴聞すると父親は釈迦にほれ込んで、この男になら娘を嫁にやってもよいと思う。父親は釈迦に還俗して、婿入りすることをしきりにすすめる。  ある日、釈迦はマーガンディヤーの両親の家を訪問し、両親と娘の3人にむかって説法をはじめた。娘のマーガンディヤーには直接せずに、両親に説法をするのである。内容は次のようであった。    「われは〔昔、悟りを開く直前〕、渇愛と嫌悪と愛欲〔といった3人   の魔女〕を見ても、彼女らと交わりたいという欲望さえ起きなかった。   大小便の詰め込まれたこの女が、そもそも何になるというのだ。われは   この女の足にさえ触れようとは思わぬ」      (『スッタニパータ835』)  「大小便の詰め込まれた女」とは、ほかならぬマーガンディヤーのことである。  釈迦の真意は、娘を溺愛し、盲愛し、執着しすぎている両親をその苦から救うことにあった。いずれ死別はくる。両親が先か、万が一娘が先か、それはわからぬが。であるならば、娘に執着せずに手離しなさいとうのが釈迦の深い諭しである。この説法で両親は真意を悟り、出家を決意する。  しかし、救われないのは娘のマーガンディヤーである。目の前で「大小便の詰め込まれた女」と言われれば、傷つき「許せない」と思ったであろうことは容易に想像がつく。そして彼女は当然、釈迦を憎んだ。  その後、マーガンディヤーはコーサンビー国(* コーサンビーはヴァンサ国の都)の王と結婚し、王妃となる。釈迦がコーサンビ-国に布教に来たとき、彼女は屈辱的な過去を思い出すのである。そこで、釈迦に復讐するために、人々を扇動し、王妃の命令によって托鉢に歩く釈迦に石を投げさせ、罵詈讒謗を浴びせたのである。  このように誤解ゆえの迫害は、釈迦にもあったのである。  (『徒然草2001 法則編』     http://www.melma.com/backnumber_31267_1625651/ )  ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~  ☆【資料2:その後の悲劇】 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~  瀬戸内寂聴『釈迦と女とこの世の苦』によると。マーガンディヤーが ヴァンサ国王の第三夫人となったあと すでにブッダに帰依していた第二夫人のサーマーワ゛ティーに敵愾心を燃やす。しかも その遠因には かつてブッダに冷たくあしらわれたという過去があずかった。とうとう サーマーワ゛ティーの館を全部 火を放って焼き尽くし 中の侍女たちもろともを焼き殺したと言う。  《このサーマーワ゛ティーのむごたらしい最期は とてもショック無しでは聞けないし うなづけない。世の中は 必ずしもいい人がいい死に恵まれるとは限らないし 悪業を犯した人間が案外この世で栄えていたりするものだ。そういう人の世の不条理を 私たちはどう受けとめたらいいのか》というのは 寂聴の記すところ。  僧たちも ブッダに問うたところ ブッダの答えはこうだったとやはり寂聴が伝える。    僧たちよ 今度の事件で動揺した心を静めよ。この世でたとえいくら   生きても 放逸でわがまま勝手で 道を需(もと)めない人間は すで   に死んでいるのと同じで 生きていても価値がない。それにくらべ い   つでも熱心に道を需め 正しいことをしようと願い 慈悲の心の燃えて   いる者には 永遠の命がさづけられている。現実に肉体の死はあっても   魂の死はない。マーガンディヤーたちは 生きながら死んだも同然で   何の生命もなかった。サーマーワ゛ティーは どんな死に方をしても   永遠に生きつづける。彼女たちは死の瞬間に精神を統一し 祈ったから   すでに聖者の位を得て死を迎えている。    (寂聴:前掲書《第7章 悪女 聖女を焼き殺す》 p.158)  さらに結語として。    人間とはそういう残酷なことの出来るものだということを 今の私は   考える。善業の報い 悪業の報いというのも この世という短い時間で    はかってはならないのだろう。     (同上 p.159)  わたし(=質問者)の考えですが ブッダあやまてり ではないでしょうか。  ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~  ◆ 【資料3:ブッダに好意的な議論】 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~  【とびらの言葉】その第3回です。  http://www5a.biglobe.ne.jp/~houon/tobira-bk01.htm  ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

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回答No.13

「全体的に」という視点に立つのであれば、スッタニパータ(ワイド版岩波文庫、1991年)の中村氏の註内に散見されるように、 1.ゴータマ・ブッダ自身、最初期には宗教へと変遷していくとは思いもよらなかった。(以後、当時のブッダの思索全体を「ブッダ思想」とします) 2.あとから加えられたであろう説話や、ブッダ思想が広まるにつれて(思想に対して)辺境の地に存在した文化や価値観が、ブッダ思想との相互作用で変遷していったことは容易に推察できる。それら変遷についてブッダの制御範囲を超えていたことは、たとえばコーサンビー国での破僧事件が物語っている(今回の問題が該当)。 http://www.sakya-muni.jp/shousai/ronbun19.html ブッダ思想と破僧の思想について、コーサンビー国内では区別することはできなかったであろうし、そうであれば、(外伝的な)マーガンディヤーの説話自体、破僧の思想と当時のコーサンビーの文化とが相互作用して生み出されたのかも知れない。(要検索) 3.ブッダ自身は、「ひとりの人間」として、当時の宗教概念や社会風習から「完全には」離脱できないし、ブッダ思想で扱われている主題・死生観(輪廻観)・神概念の多くは、従来からあったもの。(このことは、スッタニパータの中村氏の註にも明示されている) 4.スッタニパータは、ブッダ思想へと至る過程の経験を踏まえて、「どうすれば、そのような考えに至るのか」と「それは、どのような考え方か」という二つのことを、複数の立場の人に対して説いているものが、寄せ集まっている。それら二つの視点が混在すると言うことは、(当時のインドの風習や風土を顧慮するならば、異文化から見て)既に矛盾を含まざるを得ない状況にあるといえる。(たとえば、中村氏も註にて指摘しているお布施問題など) 5.「ブッダあやまてり」のブッダを、一人の人間であるゴータマ・ブッダ自身に向けるのであれば、彼自身、その後の歴史的変遷やインド以外の諸世界の文化を知り得なかったわけであるから、そういった諸問題(今回の外伝にも相当)については「ブッダを解釈する人あやまてり」にしか、なり得ない。 6.「ブッダあやまてり」のブッダを、スッタニパータ等の最初期レベルから離れて、その後のブッディズム(仏教)全体における「ブッダ」概念へと向けるならば、「ブッダ」概念自身が、解釈する方法・人によって異なることは当然であり、「仏説、○○」と付け加える人々(ブッダ概念を解釈する人々)に責任があることは明白。すなわち「ブッダあやまてり」とはならずに「ブッダを解釈する人あやまてり」になる。 7.もし、どうしても「ブッダあやまてり」と言いたい(マーガンディヤーが実際どのような女性であったのかは別として、質問の当初から既に解答を準備し、それ以外の説を排除したい。)のであれば、 http://www.sakya-muni.jp/shousai/ronbun19.html >>> このように釈尊は、成道後の12年余は王舎城を中心に活動されていたのであって、仏弟子たちは諸国に布教に出ていたけれども、新規の出家希望者が出るとそのつど釈尊の元に帰っていたのであるから、諸国に仏教が根を下ろすということはなかった。おそらく諸国に布教に出た弟子たちが、その地に根を下ろして布教活動を開始するようになったのは、三帰具足戒が許され、さらに白四羯磨具足戒法が制定されて、正式なサンガが成立したおそらく成道12、3年目のことであったであろう。 <<< にて見られるように、破僧を生み出す原因となった「直接の弟子以外を弟子としてみなすようになった制度を認めたこと」ぐらいでしょう。 直接の弟子以外を弟子として認める制度が発足するということは、まさに「ブッダ思想」が「ブッダ宗教」へと変遷することを意味しています。 以上です。 ※bragelonneさん。ワイド版はお勧めです。文字が大きいと、ほんとうに見やすいです。

bragelonne
質問者

お礼

 補足欄での《締める》予告を取りやめます。  調べておられるのは この主題にかんしてでしょうから そのままここも開けておくことにします。

bragelonne
質問者

補足

 k_jinen さん k_jinen さんの良さを引き出すには――あっ ご回答をありがとうございます―― どうも少々荒っぽい言い方をするに限る・・・のでしょうか。ま これは常習にはしませんが ぎゃくに言えば ありがたいですね。質問者の趣旨を汲んでいただけて。  むかしは新聞の文字も小さかったですね。一斉に大きくしたときがありましたね。大きくしたあとは ほかの書物などで小さいと 困るということが起きて来ますね。歯磨きを使うようになると これを使わずにいられなくなります。虫歯になります。蚊取り線香を使うようになると もうこれを使わないと困ります。  くだらない話から入りましたが おかげさまで一件落着なのではないでしょうか。  個人の信仰から 観想の内容が言葉に置き換えられ やがてこれが《おしえ》となる。この教義ないし/および教祖を押し立てて 組織としての宗教ができる。  この・信仰と宗教とはまったく違うという命題につながる歴史事例をもおしえていただきました。  そして質問としましては  ★ ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~  6.「ブッダあやまてり」のブッダを、スッタニパータ等の最初期レベルから離れて、その後のブッディズム(仏教)全体における「ブッダ」概念へと向けるならば、「ブッダ」概念自身が、解釈する方法・人によって異なることは当然であり、「仏説、○○」と付け加える人々(ブッダ概念を解釈する人々)に責任があることは明白。すなわち「ブッダあやまてり」とはならずに「ブッダを解釈する人あやまてり」になる。  ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~  ☆ ありがとうございます。そしてこまかくきちんと言おうと思えば  ○ 《美女マーガンディヤー説話》は――かのじょのブッダへのうらみとその仕返しにかんして―― 誰かが憶測によってつくったものであろう。  ○ この説話は 仏説でありとうといおしえであると受け取られている向きもあるが 内容は ブッダの振る舞いといい その後この振る舞いに恨みを持ったマーガンディヤーのその後の復讐劇といい 道理に合わない間違いを含むと捉えざるを得ない。  ○ ブッダの説話には ひとの手になる勝手な創作が交じっており あやまちと言わざるを得ないものが見られる。  ☆ となるでしょうか。  これでこの問いにかんしては 満たされたと思います。詳しい研究はむろん必要でありとうぜん続くはづです。このマーガンディヤー事件についても もし真相が判明すればなおいいでしょう。そのときにも このいま得た暫定的な結論およびその検討の過程が無駄になることはないでしょう。素人としてはこれで満足していいと考えます。  ありがとうございました。この問いは締めることにします。k_jinen さん どうぞまたよろしく。

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その他の回答 (15)

回答No.5

 回答番号:No.3  考証や哲理のお話はよく勉強させていただきます。  ご質問で仏教的意味性を伝える部分は誰でも糞尿をする、ということです。  他は説教や、諭しの説話か寓話のように写ります。  こういうことは仏教の布教なんかでもよくありますね。  それが論語の場合はそういう創作的説話というものはないのですね。  あの空腹の虎に身を差し出した、少年の釈迦の話もどうも創作の匂いがしてきます。  私は素直にあぁ釈迦だからそうしたのだなと、一面受け取っては居ますが。そんな程度ではないでしょうか?

bragelonne
質問者

お礼

 ご回答をありがとうございます。  確認ですが 要するにこのわたしと対話をなさるおつもりがお有りだということでしょうか? お有りでないというお答えを既にいただいていると理解しています。  さて 質疑応答は成立しているようですので お応えしてまいります。  ★ ご質問で仏教的意味性を伝える部分は誰でも糞尿をする、ということです。  ☆ 婚姻話において 娘をあなたの妻にどうかと訊かれて  ★ 誰でも糞尿をする  ☆ という意味合いのことを返答するのでしょうか? それがおかしいという疑問として質問しております。どうでしょう?  ★ 私は素直にあぁ釈迦だからそうしたのだなと、一面受け取っては居ますが。そんな程度ではないでしょうか?  ☆ これでは 《先入見》のなせるわざ――そんな程度ではないでしょうか? と前回にお伝えしております。

bragelonne
質問者

補足

 ▲ (The Story of Samavati) ~~~~~~~~~~~~~~~  http://www.tipitaka.net/tipitaka/dhp/verseload.php?verse=021  【サーマーワ゛ティーの入信】 かのじょに仕える女官クッジュッタラが先に入信し みちびかれた。勉強をするとともに 館の壁に穴を開けて 通りをとおるブッダをサーマーワ゛ティーらは見ていた。    【マーガンディヤーの過去】 At that time, King Udena had also another chief queen by the name of Magandiya. She was the daughter of Magandiya, a brahmin. The brahmin seeing the Buddha one day thought the Buddha was the only person who was worthy of his very beautiful daughter. So, he hurriedly went off to fetch his wife and daughter and offered to give his daughter in marriage to the Buddha. Turning down his offer, the Buddha said,  "Even after seeing Tanha, Arati and Raga, the daughters of Mara, I felt no desire in me for sensual pleasures; after all, what is this which is full of urine and filth and which I don't like to touch even with my foot." (=Suttanipata835)  On hearing those words of the Buddha, both the brahmin and his wife attained Anagami Magga and Phala. They entrusted their daughter to the care of her uncle and themselves joined the Order. Eventually, they attained arahatship. The Buddha knew from the beginning that the brahmin and his wife were destined to attain Anagami Fruition that very day, hence his reply to the brahmin in the above manner. However, the daughter Magandiya became very bitter and sore and she vowed to take revenge if and when an opportunity arose.  【復讐1】 マーガンディヤーはウダヤナ王に嫁ぐ。サーマーワ゛ティーらが 壁に穴を開けているのは 王に対してよからぬたくらみを持って外部との接触をしているものだと訴える。おしまいでは真実が明らかになる。  【復讐2】 笛に毒蛇を入れておいて それはサーマーワ゛ティーが仕組んだものだとウダヤナ王に思わせた。あやうくサーマーワ゛ティーらは死刑を逃れた。  【最後の復讐】 館に火を放って 侍女たちもろとも焼き殺した。  【マーガンディヤーの受けた罰】 As the news of the fire spread, the king rushed to the scene, but it was too late. He suspected that it was done at the instigation of Magandiya but he did not show that he was suspicious. Instead, he said, "While Samavati was alive I had been fearful and alert thinking I might be harmed by her; only now, my mind is at peace. Who could have done this? It must have been done only by someone who loves me very dearly." Hearing this, Magandiya promptly admitted that it was she who had instructed her uncle to do it. Whereupon. the king pretended to be very pleased with her and said that he would do her a great favour, and honour all her relatives. So, the relatives were sent for and they came gladly. On arrival at the palace, all of them, including Magandiya, were seized and burnt in the palace court yard, by the order of the king.  【一連の事件についてのブッダの評言:寂聴からの引用部分】   When the Buddha was told about these two incidents, he said that those who are mindful do not die; but those who are negligent are as good as dead even while living.  Then the Buddha spoke in verse as follows:  Verse 21: Mindfulness is the way to the Deathless (Nibbana); unmindfulness is the way to Death. Those who are mindful do not die; those who are not mindful are as if already dead. Verse 22: Fully comprehending this, the wise, who are mindful, rejoice in being mindful and find delight in the domain of the Noble Ones (Ariyas). Verse 23: The wise, constantly cultivating Tranquillity and Insight Development Practice, being ever mindful and steadfastly striving, realize Nibbana: Nibbana, which is free from the bonds of yoga;  Nibbana, the Incomparable! ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

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回答No.4

Magandiya Kosambi で検索し、関連すると思われる英文URLの一部 http://www.tipitaka.net/tipitaka/dhp/verseload.php?verse=021 http://www.dailyom.com/cgi-bin/display/printerfriendlylib.cgi?articleid=807 http://books.google.co.jp/books?id=Q7I9AAAAIAAJ&pg=PA115&lpg=PA115&dq=Magandiya+Kosambi&source=bl&ots=ZnVKZzNwAu&sig=zMsfD_EQYdFdtq2D3beyU_cAQpI&hl=ja&ei=S1FeSt2-GZeI6wPerf3_DQ&sa=X&oi=book_result&ct=result&resnum=1 このうち、最後のURLは書籍 書籍名 The life of Buddha as legend and history 著者 Edward Joseph Thomas 版 3, イラスト付き 出版社 Routledge, 1975 ISBN 0710081626, 9780710081629 ページ数 297 ページ の一部であり、 さらに、 http://books.google.co.jp/books?id=Q7I9AAAAIAAJ&pg=PA279&dq=Magandiya+Kosambi&as_brr=3&source=gbs_selected_pages&cad=5 にて、さらなる引用文献が載っているようです。 以上、途中経過の報告まで(といっても20分程度の検索ですが。。。笑) ※日本語でのネット検索に限界があるようです。週末には図書館で検索可能です

bragelonne
質問者

お礼

 k_jinen さん 資料をおしえていただきたいへんありがとうございます。  これら三編の資料で 話じたいは確認できたようです。それとして――つまり全体に関してはおそらく説話のたぐいとして およびはっきりとブッダの発言に関して スッタニパータの詩句そしてダンマパダのそれとして――確定しえたようです。  たとえ創作だとしても ブッディスムの本流の中から提供された物語であると言ってよいようです。  質問趣旨にかかげた内容に大きな違いはないともおかげで確認できました。  さて われわれはどう考えるかですね。ぼちぼちすすめてまいりましょう。  * Magandhiya――つまり -h- を入れる場合――そして その名前につけ加えるに Kosambi ですか そのようには検索していなかったのが わざわいしたようです わたしの場合。ありがとう。

bragelonne
質問者

補足

 お礼欄をおぎないます。    つまり説話などを全部合わせて取り扱うとき その限りで   ○ ブッダ あやまてり。  ☆ だとわたしは考えます。見解は変わりません。いかがでしょうか?  マーガンディヤーとの最初の出会いで いわばボタンの掛け違いが起こった。こう思います。  求婚をことわるだけの問題なのですから――両親の入信のこともあるでしょうけれど―― 塩梅よく表現して 和解のうちに了解をとれないものかと考えるのがふつうだと思います。そう考えるなら あとの事件は おまけでしょう。つまり要らないものだったと言えるでしょう。どうですか?

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回答No.3

 bragelonneさん、こんにちは。極く平凡な判断と感想をお伝えします。  私たちが釈迦と同じ事を仮に、行ったとすればそれは誤りとしての結果になるのでしょうね。  地上のドラマではマーガンディヤーは悲劇のヒロインを演じましたね。  ここでその演技の協力者をしている釈迦は、あまり結構なお立場ではないですね。  釈迦はマーガンディヤーを見てか、見る前にか、その役割についてご理解されていたのではないでしょうか?  こういう話は拘泥していっても、意味性を与えてくれる要素は少ないように思えます。  ところでご紹介の徒然草って、吉田兼好のでなく、これを普通名詞的に転用した、ホームページの名前ですね。  いずれにしろ詮索しても真理の探究にそれほど役立つものとも思えませんが。

bragelonne
質問者

補足

 ご回答をありがとうございます。  そうですね。  問題は どうも資料が明確でないようです。  伝えられているところのマーガンディヤー事件は――とりわけ挙げられることとしては 二件であり (1) ブッダに振られたことと (2) その仕返しにブッディストであるサーマーワ゛ティー夫人を館ごと焼き殺したことですが―― (1)の求婚の場面を除いて 資料がはっきりしないようです。  ただし(2)やそれにまつわるところのマーガンディヤーによるサーマーワ゛ティーいびりについては いわゆる仏教説話として 基本的にブッディスムの側から編まれて提供されているもののようです。  すでに書きこみましたが 例のデーワ゛ダッタは とうぜんブッダに敵対心をもってそうとうないぢわるをしたのでしょう。それゆえにとうとう極悪人の地位にまで登りつめたようですが これも《説話》のたぐいであるとも聞いています。  美女マーガンディヤーの悪女物語も それと同じように 或る程度の史実があって話が大きくなったものではないかと推し測られます。  だとすれば 上に挙げた(1)の求婚の場面を考え合わせて ひとつのブッダ物語の中の要素として伝えられている。こう受け取ってもそれほど行き過ぎでもないでしょうし 間違った方向ではないのではないでしょうか?  ★ ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~   地上のドラマではマーガンディヤーは悲劇のヒロインを演じましたね。  ここでその演技の協力者をしている釈迦は、あまり結構なお立場ではないですね。  ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~  ☆ こうおっしゃるのなら すでに考察を与えるべき資料であると認めておられるようですが ただしそこからはわたしは 違った見方を持ちます。  ★ 悲劇のヒロインとその演技の協力者  ☆ という役回りを固定しないと見る立ち場です。  とうぜんのごとく――哲学として当然のごとく―― どうしてそうなったか。どういう考え方によって行動しているか。どうすればよかったのか。――こういう問題として考えることが大切であることは 誰もが見るところなのではないでしょうか。  ★ いずれにしろ詮索しても真理の探究にそれほど役立つものとも思えませんが。  ☆ それはこれから探究してみなければ分かりません。何も出て来なかったにしてもその探究には無駄だったということはないでしょう。なぜならたとえば とりわけおっしゃるところの固定した偉人聖人観とでも申しましょうか そのような思考停止のわざわいを避けることができるでしょう。いわく  ★ 釈迦はマーガンディヤーを見てか、見る前にか、その役割についてご理解されていたのではないでしょうか?  ☆ すなわちたとえそうであったとしても わたしたちの生きることは つねにぶっつけ本番であることが基本です。凝り固まった考えを持たない自由をこそ大切にしていること これが分かるようになります。じつに 焼き殺されたサーマーワ゛ティー夫人は その謂われとして 前世の悪業によるのだという説明がなされたとか為されなかったとか。そういう説話もあるようです。これは 愚の骨頂です。そんなことを言っても 《既成事実を捉えて思考停止に陥っている》 このことだけを表わすに過ぎないからです。  現象学的還元というのでしょうか思考中断(エポケー)とそして思考停止とは別です。つねに既成事実を丸呑みにすることは 哲学の自由とは似ても似つかないところの愚挙であるでしょう。  哲学を批判する自由も完全なかたちで存在しますが そのためにこそこうやって毎度同じことをわたしも述べているのですが 同じことの繰り返しというのも どうも人間としては解せないところです。  究極の解釈としては おまえが天下を取ったらその既成事実にもとづいてわが哲学をそれまでからは方向転換して固め直してやってもいいがという意志がかろうじて見て取れますが これにしてもいかがなものでしょうか。  ここまでがわたしの現在の愛のかたちですね。

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回答No.2

すこし読み返してみて、おかしな点を二点ほど見つけました。 >>> ある日、釈迦はマーガンディヤーの両親の家を訪問し、両親と娘の3人にむかって説法をはじめた。娘のマーガンディヤーには直接せずに、両親に説法をするのである。 <<< ですが、スッタニパータでは >>> http://sugano.web.infoseek.co.jp/butu/buuta.htm#4-9​ 835 (師((ブッダ))は語った)、「われは(昔さとりを開こうとした時に)、愛執と嫌悪と貪欲(という三人の悪女)を見ても、かれらと婬欲の交わりをしたいという欲望さえも起らなかった。糞尿に満ちたこの(女が)そもそも何ものなのだろう。わたくしはそれに足でさえも触れたくないのだ。」 836 (マーガンディヤがいった)、「もしもあなたが、多くの王者がもとめた女、このような宝、が欲しくないならば、あなたはどのような見解を、どのような戒律・道徳・生活法を、またどのような生存状態に生まれかわることを説くのですか?」 837 師が答えた、「マーガンディヤよ。『わたくしはこのことを説く』、ということがわたくしにはない。諸々の事物に対する執著を執著であると確かに知って、諸々の偏見における(過誤を)見て、固執することなく、省察しつつ内心の安らぎをわたくしは見た。」 <<< と、続いていきます。 すなわち、両親にではなく、マーガンディヤと直接対話している状況を記述しており、他に両親や姉妹が同席していたという記述すらありません。 もう一点あったのですが、こちらは少し調べてから、投稿させていただきます。 ところで、bragelonneさんのお持ちの情報は、他にはないのでしょうか? もし、あるようでしたら、ご教示の程、よろしくお願い申し上げます。 ※圧倒的に情報量が欠落しており、現時点での情報のみでは、瀬戸内氏を含めた数名が創作した「お話」である可能性が高いとしか言いようがないです。

bragelonne
質問者

お礼

 ご回答をありがとうございます。  冒頭の引用文について 質問趣旨の中には引かなかったのは ひとえに字数制限によります。あちらを削ったりこちらを補ったりでした。《資料3》も引けませんでした。  そして 父親が同席したと言いますか むしろ父親が積極的にブッダに婚姻の話をしたという見方がありうるという点につきましては 前回(No.1)のお応えに記しました。  あとかつて参照した資料は 次の英文のものです。ただし確かに《よく出来た話》ではあります。なぜ出来たかがいちばんの焦点です。  ▲  Life of the Buddha――Magandhiya's grudge   http://www.buddhanet.net/e-learning/buddhism/lifebuddha/2_9lbud.htm  ☆ かつて取り上げたときのやり取りは 次のようです。そのNo.42あたりから始まっています。  ○ 【Q:《我れ》はある?ない? どちらですか(仏教)】  http://oshiete1.goo.ne.jp/qa3454478.html  ☆ ただしあんまり進んではいません。それゆえに今回も提出しているのですから。  とにかく  ★ 圧倒的に情報量が欠落しており  ☆ なのですが けっきょく創作だとしても どうしてこういう内容として伝わっているかが問題だと考えます。  それに『スッタニパータ』835のブッダの発言だけを取り上げても おかしいとわたしは考えますが どうでしょう? 性愛論がはっきりしていず あとで《『わたくしはこのことを説く』、ということがわたくしにはない》(837)と言いつつ 835では《欲望の無》をあたかも説こうとしていませんか?   もし  ▲ 諸々の事物に対する執著を執著であると確かに知って、  ☆ ということであるならば 《欲望は欲望であると確かに知って・・・》という意味合いで はじめの835を説明しているのが普通です。矛盾していませんか?  もし矛盾しているとしたら そういう原因によって マーガンディヤー悪女説がつくられ いくつかの絡みも創作されたかも知れません。  そういう問題はありませんか?

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回答No.1

興味深そうなお話ですね。あまりにも「できすぎている」話であり、瀬戸内寂聴氏も関与しているので、興味津々です。 私の関心としては、この説話(?)の情報源にあります。 『徒然草2001 法則編』のホームページは閉鎖されていて、詳細不明です。 残るは上記サイトでの参考文献としてあげておられる 「釈迦とキリスト」 ひろちさや  新潮社  「イエスの生涯」 遠藤周作  新潮社 なので、この辺り、図書館で借りて読んでみようと思います。 該当するスッタニパータは http://sugano.web.infoseek.co.jp/butu/buuta.htm#4-9 (スッタニパータの835-847) にありますが、本筋ではないところを抜き出していることしか判りませんでした。 また、ネットでざっくりと検索したところ、 http://www.sakya-muni.jp/shousai/ronbun19.html (【論文19】コーサンビーの仏教  森 章司・本澤綱夫) http://lokulog.blog43.fc2.com/blog-entry-1044.html (H. サダーティッサ著 桂紹隆・桂宥子訳「ブッダの生涯」立風書房からの引用) などが引っかかってきました。 また、関連する文献関係としてのリストとしては、 佐々木 教悟 著 インドに於ける法滅思想について 日本仏教学会年報 通号 21 20515 15-30 詳細 - 塚本 啓祥 著 コーサンビー抗争の由来に関する問題点 印度学仏教学研究 通号 14 21639 170-173 詳細 - 佐々木 教悟 著 コーサンビー:インド古代史(山崎利男訳) 仏教学セミナー 通号 5 24622 55-60 詳細 - 金倉 円照 著 中村元著「インド古代史」上下 鈴木学術財団年報 通号 4 24898 101-105 詳細 - 山崎 利男 著 ヴィシュヌシェーナの五九二年碑文にみえる法規定 東洋文化 通号 50/51 26022 21-47 詳細 - 山崎 元一 著 R.S.シャルマ編 インド社会-歴史的探求- 東洋学報 通号 27484 1-34 詳細 - 塚本 啓祥 著 初期仏教における持法者と持律者の論争 仏教思想史 通号 3 29556 - 詳細 - 森 章司 著 「破僧」考 大倉山論集 通号 38 34699 1-39 詳細 - 奥村 浩基 著 コーサンビー諍論説話に見られる共通要素 大谷大学大学院研究紀要 通号 15 36130 23-40(L) 詳細 - 門脇 輝夫 共著 『神話と現実』第三章「四辻でー地母神祭祀場の考察ー」 マハーラーシュトラ 通号 5 36351 73-126(L) 詳細 - 飯渕 純子 著 Karmaśatakaに見られる「Kauśāmbīの抗争」について 印度学仏教学研究 通号 95 36514 101-103(L) 詳細 - 李 慈郎 著 コーサンビー&M-200780;度における二種の不同住地 韓国仏教学SEMINAR 通号 8 36727 300-321(L) 詳細 - 岩井 昌悟 著 根本有部律に見る雨安居地伝承の影響 仏教学 通号 46 38341 141-158(L) 詳細 - などが引っかかってきました。 現時点でネット上閲覧可能な、森 章司氏の論文(【論文19】コーサンビーの仏教)を読むに付け、引用されている内容は、意図的に創作された感が強いです。(王や王妃の名前は出てくるが、辺境での戒律を巡る争い・破僧との関係が主であり、ドラマチックな話はなさそうだということです。) >>> ブッダ あやまてり  <<< というより >>> ブッダを取り巻く人々 あやまてり  <<< の可能性が高いように感じました。 「だれが? なぜ?」といったところですが、少し調べてみたいと思います。興味深いお話、ありがとうございました。

bragelonne
質問者

お礼

 ご回答をありがとうございます。

bragelonne
質問者

補足

 k_jinen さん ご回答をありがとうございます。  そうですね。まづ資料問題については おっしゃるとおりです。  じつは一度すでにこのマーガンディヤー事件の問題は この質疑応答の場で出てきたものですから その折り図書館で調べようとまではしたのです。単純に根気が続かなかったのでした。  この点 率直に告白してみなさんとともに今後に対処していきたいと存じます。  それにありがたいことに資料を掲げてもらってもいます。  さてひととおりこれら資料を読んだところでですが まづ  ▲ 【論文19】コーサンビーの仏教  森 章司・本澤綱夫  ☆ を素通りするわけには行かないようですね。  ▲ 資料を網羅的に収集して、これらを分析  ☆ という研究のようですから。ただしこの論文には  ▲ サーマーヴァティー、マーガンディヤ  ☆ このふたりの名は挙がっていますが それについての記事はないようです。  ▲ コーサンビーに仏教が何時頃、誰によってもたらされたか、コーサンビーの仏教の特質はどのようなものであったのかを考察したものである。  ☆ という趣旨において 二人の王妃に関する記事は 省かれたのか それとももともと何もなかったのか。ここに焦点が当たると思います。わたしの感触では 名前を出しておいて何ら触れないというのは いぶかしいとは感じます。  それなのに別様に中身の濃い大きな挿話が伝わっているのは  ★ 「だれが? なぜ?」といったところですが、少し調べてみたいと思います。  ☆ わたしもこの方向で進みたいと思います。  ★ 引用されている内容は、意図的に創作された感が強いです。  ☆ というのであれば この《創作の意図》がどういう事情や背景のもとにあったか。やはりここに焦点が当たるでしょう。  例の大悪人デーワ゛ダッタにしても ブッダにどれだけ敵対したか。これはこれも逆の立ち場からの《意図的な創作》であったかも知れません。そういう問題があるということも添えておきます。  あと 『スッタニパータ』のくだりですが 中村元の注釈には次のようにあります。この対話の相手は 《マーガンディヤーというバラモン》とあり 娘のほうではなく父親のほうだとも捉えられます。  ◆ (中村元:スッタニパータ注釈) ~~~~~~~~~~~~~  かつてブッダがサーワ゛ッティーにいたときに マーガンディヤというバラモンが 自分の娘を盛装させて同道し ブッダの妻として受納するように乞うたときに ブッダがこのように語ったという。( Pj =Paramatthajotikaa:スッタニパータに対する註釈)  これとほぼ同じ話がのちの他の仏典( Divyaavadaana 36, pp.515-20;528ff. )にも出ているが そのバラモンの名は Maakandika となっている。サンスクリット文アルタカワ゛ルギーヤ・スートラでも同じ。それらをヘルンレが詳しく比較研究している。(JRAS(不明), 1916, pp.723-731 )  (中村元訳『ブッダのことば――スッタニパータ――』1958;1977第23刷 p.249)  ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

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