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フランス革命で殺戮はなぜ起こったのですか?

bismarks05の回答

回答No.4

>フランス革命で殺戮はなぜ起こったのですか? フランス革命で殺戮が起こったのは、政治革命であるが故で仕方ないというべきかもしれません。  正直、「人はなぜ他人を殺すのですか?」という部類の質問なので質問者の質問の意図などを読み取るのが困難なのですが・・・・ >フランス人は昔から現在でも個人主義と言われていて、自由を好み、他人がどうしようと自分は自分、迎合しない、という国民性らしいですが、 当時は国中総ヒステリーのような状態になっている様子です。  フランス人が昔から個人主義というのは私は否定します。 フランス人という概念が出来あがるのは、フランス革命後期のナポレオン体制と考えても、フランスは全体主義的な政治が幾度も出現しますし、それ以前でも、カペー朝・ブルボン朝の歴史をみると個人主義とは到底思えません。  同時代のイタリア・スペインに比べてみれば、明らかに集団主義的・地域主義的歴史背景が強いと思いますが・・・・・ >革命時の社会状況はどうしてああいうことになったのでしょうか。 個人的には、質問者が諸外国の革命をどれだけ理解して比較しているのかな?という部分に不信感を抱きます。  名誉革命は例外としても、市民革命は多くの血が流れるのが通例であり、その最中に、国民ヒステリックが起こるのが一般的です。 逆にいえば、革命とはヒステリックの産物でしかなく、論理的な人民は暴力革命的手段は講じないと言えるでしょう。  しかし、現実的には多くの市民革命・社会革命が暴力主義的なのであって、”革命は血を欲する”というべきでしょう。  私の恩師が崇拝してやまない反帝国主義思想家の「チェ・ゲバラ」はこんな言葉を残しています。  『革命が君を抱擁する』・・・・その抱擁を求めて人々は争うわけです。  ちなみに、革命といっても、狭義の意味の政治革命のことであって、産業革命・価格革命・ご飯革命の意味の革命とは違いますよ

kateliz
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 >>質問者が諸外国の革命をどれだけ理解しているのか フランス革命については、池田理代子さんの「ベルばら」と「エロイカ」、藤本ひとみさんの歴史小説くらいしか知識がないので、ほとんど知らない状態です。 >>革命とはヒステリックな産物 そうだったんですね。 >>フランスは全体主義的な政治が幾度も出現します。 そうなんですか。フランス人の個人主義というのは政治のことではなくて、家族関係や対人関係での接し方が個人主義的ということなんでしょうか。

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