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フランス革命で殺戮はなぜ起こったのですか?

tra55の回答

  • tra55
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回答No.5

フランスは現在の国名をフランス共和国だと 思いますが、また、別称「第五共和国」というそうです 自分は最初はフランスの歴史で五番目の共和政だから だろうぐらいに思っていましたが、どうもフランス人 からしたら、そうではなく人類で五番目の共和国だと いうそうです、それも元祖の共和国は、フランスいがいの どこかで、それからカウントして五番目がフランス 共和国かというと、それも違うとフランス人は 言うそうです、そうではなくてフランス革命で出来た のが人類最初の共和国で第二共和国はナポレオンあたりで 第三共和国は普仏戦争の痛手から立ち上がったあたり 第四共和国は第一次大戦後、第五共和国は 第二次大戦後のもの つまりフランス人にとっては共和国はフランスだけであり 他の共和国を名乗る国は皆エセ共和国だというわけです。 あくまでフランス人からの主観ですが このようにプライド高い民族のフランス人ですが フランス第一次革命は周りの王国諸国は革命を阻止するため 軍事介入してきて、それはそれは大変で何も国内不穏分子 だけでなく国内外で敵だらけだったフランス革命体制で フランス人の革命情熱も無理からぬことかもしれません。 フランスは第一次革命いこう何度も全体主義の体制に なっています。ナポレオンがそうだし そのあと王国復活したりナポレオン3世などという 元首も出ました、普仏戦争で負けて暫定的に親ドイツ 体制になったし第一次大戦前後期のフランスは 極右的でした、第二次大戦でドイツに征服され ドイツの傀儡のビシー体制が発足 第二次大戦後、解放されましたが アルジェリア独立戦争がフランスまで影響が出て アルジェリア独立反対派が武装闘争をフランス本土で 起こしフランスは内戦どうぜんでドゴール仏・大統領は アルジェリアの独立を認めて独立反対派の過激派を 強権発動で鎮圧。 ドゴールはフランス史上、屈指の独裁者だという 人もいます。

kateliz
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 ナポレオンやナポレオン3世も全体主義的な体制に入るんですね。 ナポレオンとかドゴールとか、フランス人は英雄の個人崇拝が好きなのでしょうか? イギリスがいまでも王家の権威を保っているのに比べて、フランスが早々と王制を否定して立憲君主制も飛ばして共和制になったのはどうしてなのか不思議です。 その割には、ナポレオンを皇帝にしてみたり、いまでも元貴族というのを持ち上げる風潮もあるようですし。

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