• 締切済み

倫理や道徳、正義とは?

倫理とか道徳とか正義とかって、結局何ですか? 倫理や道徳や正義ってその時々、または地域によって、違いやずれみたいなものがあると思うのですが、例えば、殺人や差別や嘘や盗み、人を奴隷にしたり人身売買をしたりなどは、現在では許されないはずで(多分)、非人道的な行為だとかっていいますし、実際に窃盗の容疑、強盗殺人の罪、って感じで法律でやってはいけないと明記されていると思います(多分)。 それでも、過去には実際に奴隷制度が存在していた国もあると思いますし、それに絡んで人身売買や差別も実際に行われていたと思いますし(多分)、それが当然だというような風潮が少なからずあったと思います(多分)。 また、嘘や盗みは昔から駄目だったというイメージですが(僕の中で)、殺人は神への供養や川などの氾濫を抑えるための人柱のような形で公的に行われていたと思います(多分)。そこには親類や友人達、そして本人の激しい悲しみや恨みや絶望などは当然あったと思いますが、その時代の倫理や道徳といった点では、おそらく許容されていたのではないか、と思います(多分)。 戦争や紛争、テロ行為は現在でも頻発してますし(多分)、そこにはその人たちの思想や宗教、過去の歴史、経済的理由等が絡んでいるのでしょうが、その人たちと僕の中の倫理感や道徳感に若干ずれがあるような気がします。(正直、そこまで強い道徳感や正義感というものを僕は持ち合わせてはいないかもですが。。。) 戦争やテロの正当性を世界に認めさせる大義名分として、正義のために、とかって言っているけど、そこに違和感を感じる場合が多いです。 (建前である可能性がかなり強いと思っているからかもしれないですが。) 倫理や道徳、正義というのは一体、どこから来て、どのように決まっていくのですか? 倫理や道徳、正義とは何者ですか? (かなりぐだぐだな文章になりました。わかりづらかったり、そもそも意味を履き違えていたらすみません。。。)

みんなの回答

回答No.2

立派な質問ですね。学生さん? ここがいいと思いました。→一体、どこから来て、どのように決まっていくのですか? ・ひとつのたとえをしましょう。どこかの哲学者かなにかの言葉です。 ・神は鉱物のなかで眠り  植物の中で目覚め  動物の中で歩き  人間の中で思索する。 神様は雲の上に乗ったひげを生やしたおじいさんではなく、この大宇宙そのものです。大宇宙には意思があります。その中の一細胞が我々な訳です。 神は人間に自由を与えつづけるため戦争とか悪いこともできますが、やがて反省をするのをじっと待っています。じっとじっと。その悪いことの深さに応じて反省をする場所(地獄のこと)は深さと滞在時間が決まります。所謂、魂の洗濯です。 逆もあります。よいことをすればそのひとのいでたちは明るくなり、輝きかえっていく世界も所謂、天国です。 人は死ぬことはなく、記憶を置いて何度も生まれ変わるため(勉強をするため)一度きりの人生というのはないのですが、これを履き違えるといっぱい悪いことをして、楽しんだほうが得だ。などという考え方になるでしょう。 世界の大宗教でも同じ教えの沿革になっていますし、所謂霊能者(見えない世界の仕組みがある程度見える人も)同様のことをいいます。 →エドガーケーシーなど。 ・ただ見えない世界を説く人は玉石混交で間違った考え方と正しい考え方が入り乱れた状態です。 ・太陽の法~大川隆法は、かなり正確です。 変なたとえですが、一生を終えた後であれば何が正しくて何が間違いかはわかるとはいえます。ただ自分の認識度以上の世界のことはやはりわからないので、生きている間に大著などを読まれ、よく知識を整理されるとよいでしょう。

  • ferox
  • ベストアンサー率17% (42/234)
回答No.1

人間が勝手に造った言葉です。 正も否もありません。

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