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中央本線、中距離列車の停車駅
ちょっと前のJR東日本路線図の「中央本線(青色)」は新宿駅~甲府方面へとなっており、停車駅は新宿、三鷹、立川から各駅となっていましたが、この路線が東京まで書かれた路線図というのはないのでしょうか? 私が子どもの頃の新宿駅には、中央本線・中距離上り線(7番線)、下り線(9番線(現在の11番線))ともに、案内は中央本線カラーの青で、駅名票の隣駅には上り側が四ツ谷、下り側が三鷹とあったので、中距離列車も東京まである(あった?)と見ました。現在でも特急は一部ながら、東京へ乗り入れてる列車もありますし。新宿以東の停車駅は快速同様であった勝手に予想しています。 また昔、年上の知人から聞いた話なのですが、JR化まもない頃の新宿駅・中央本線下り(9番線)の案内は「大月・甲府方面」だったそうなのですが、上り(7番線)の案内は何て書かれてたんですか?上り線に関しては何も言っていませんでしたので気になりました。私が物心ついた頃には上下とも既に無表記になっていましたので。ですから、上りは快速同様「御茶ノ水・東京方面」とこちらも勝手に予想しています。 といくつか推測を立てましたが、実際はどうだったのでしょう? 回答お願いします。
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昭和40年代の中央東線普通列車は基本的に「新宿駅5番線(現9番)」 発でした。このころ高尾までは赤い101系でしたが、甲府へはスカ色の 70/72系か、EF13(後にEF64)牽引の客車列車でした。東京駅は狭い ので、これらの列車は新宿止めでした。 ホームの行き先表示は「大月・甲府方面」で、新宿を発車すると次は 立川まで止まりませんでしたが、駅名票は確か「四ツ谷<-新宿->中野」 だったはずで、子供心に不思議に思った記憶があります。 上り3,4番線(現7,8番?)ホームは、東京行きの快速専用ホームで、 こちらに到着する列車は基本的に無かった記憶があります(直接5番に 到着していたような)。いずれにせよ、特急・急行用の1,2番ホーム (出来たときは01,02番という不思議な名前だった)が出来てからの 話ですから、それ以前は、3番着・5番発(当時は1番着・3番発)だった 可能性はあると思います。
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- Amanjaku
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子供の頃というのが具体的に何時のことか解りかねますので不確かになりますが。 上り7番線と言うことで見当を付けますとラッシュ時に電車の相互発着を行っていますから表示は 御茶ノ水・東京方面でしょう。 また下り9番線で四ッ谷、三鷹の表示が有ったとのことですがあり得ません。当時の中距離であれば次駅は立川ですしこのホームも快速電車が使用していましたから四ッ谷<>中野或いは 四ッ谷<>中野・立川で有ったと推測します。
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回答をありがとうございます。 ちなみに子供の頃というのは、1990年代ぐらいのことです。
- 風車の 弥七(@t87300)
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元駅員です。 中央本線のM電(中距離電車の部内用語です)の路線図は新宿までです。 東京駅は書き込まれていませんでした。 東京駅にM電が乗り入れたのは昭和30年代前半までです。 この後は全てが新宿始発になり以降新宿発もなくなり、高尾始発に変更され今は立川と高尾始発です。 なので東京駅にはM電は来ていませんでした。 新宿駅の上り表記は残念ながら覚えていません。 ただ新宿発の総武本線や房総線の優等列車が乗り入れていたので、もしかすると「千葉・銚子方面」と記載されていたかも知れません。
お礼
回答をありがとうございます。 うーん、やっぱり新宿駅まででしたか。
お礼
回答をありがとうございます。 やっぱり新宿駅までだったんですね。