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唯名論と実在論について

Partreの回答

  • Partre
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回答No.4

実在論とは存在するさまざまなものに共通なものの存在を認める立場であり、唯名論は認めない立場です。といってしまうと説明にまるでなっていないので、例を挙げていきます。 「赤」という性質は存在するでしょうか。赤い花、赤い車、赤い看板等々の個別のもの以外に、それらに共通する「赤」という色そのものが存在することを認めるかどうか。これがいちばん素朴な形の実在論です。こう問題提起をすると、個別のものを超えて赤そのものが存在する、とはあまり思えない。しかし私たちは日常的に存外実在論に組しています。たとえば「この車は赤い」という発言を見ましょう。このとき私たちは「この車」について赤いという性質をくっつけています。ここで言及されているのは車です。しかし、次を考えよ。「赤色が好きだ」。この発言で言及されているのはなんでしょうか。ここで「いや、私は今便宜的に赤色といったが、あの車とあの花とあの看板に共通の色の性質を指したのだ」という人はいますまい。普通の人ならば、「赤色ということで私はまさに赤そのものを指した」と答えるでしょう。個々のものを超えた共通の性質として赤という語を使っている。これは明らかに実在論よりの考え方です。 よりいっそう問題が明らかになるのは数学の領域です。唯名論の立場では、存在するものは個々のものだけですので、例えば数1を表現するためには、1個のりんご、1台の車、1枚の紙等々、観察された事実から共通する数を取り出してくるといった作業が必要になります。しかし数777,864の数に対応する観察可能な事実とはなんでしょうか。「日本国の盲人の数」という表現を理解するために実際に日本の盲人を、頭の中ででも一列に並べてみる必要があるでしょうか。数0に対応する経験とはなんでしょうか。1000粒の小麦は蒔かれてしまうと1000粒の小麦であることをやめるでしょうか。しかし1000粒の小麦も蒔かれた後でも数えなおすことはできます。数は時間と空間を越えて、出来事がいつ起ころうが共通に存在するといいたくなる。数は存在するといいたくなる。 質問者様の例で言えば、唯名論の解釈はそれで正しいと思います。実在論に関して言えば、一般的な人間がいるというのは強すぎます。個々の人間の特殊事例としての田中さんや鈴木さんに、人間という性質が帰属している、というくらいの意味合いです(専門的には、普遍がなんらかの実在性の根拠ををものの中に有するとなります)。 もちろん実在論にも弱みはあります。先ほど私は「赤が好きだ」という例文をとり、このとき赤という語で赤色という性質一般を指しているのではないか、といいました。しかしこの、語が意味を持つのはなんらかの対象を指すという素朴な意味の理論では扱えないものがあります。例えば丸い四角という矛盾した語が指すものとはいったいなんでしょうか。ペガサスは地球上に存在しませんが、それでもなんらかの想像上の生物を指す、といってよいのでしょうか。そうすると、存在するものが無限に肥大してしまわないでしょうか。 実在論の弱点は、個別のものを越えたものがあるとして、それらを私たちがどのように認識するかという点です。一般に存在論が肥大化すると認識論に負担をかけます(顕著な例がマイノングのウルトラ実在論、初期のラッセル、可能世界意味論等)。ですから普遍の問題は中世以降決定的な解決を見たわけではなく、現代まで強力な哲学的問題として受け継がれています。

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