• ベストアンサー

命より大切なものはあるか

日比野 暉彦(@bragelonne)の回答

回答No.60

 No.53&45&42&39&31&22&9&6の bragelonne です。  ★ やはり信仰は主観的現象にすぎないのでしょうね。  ☆ ご賛同をいただき ありがとうございます。  ★ ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~  前にも触れましたが日本のキリスト教会では、初詣や焼香を容認することが多いようです。これは妥協して信仰の姦淫を犯すくらいなら殉教さえ勧める聖書の教えに矛盾していませんか? この質問の趣旨と大きな関連があると思います。よろしくお答え願います。  ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~  ☆ そうですね。そもそも はじめに 教会という集団を認めたなら その《妥協》が 妥当であるかどうかの問題よりも前に 集団・組織としての規則で 行動をふくんだ表現の 自由を侵してよいかどうかが 問題になると思うのです。  妥当な妥協であっても そういう行動を 集団として決めて 成員は それに従うという行為の形態が ひとの自由と両立するかは 問題だと思うのです。  ただし 妥当性を問うという問題は それじたいは それほど 大きなことではないとも思っています。  わたしは 仏教徒ではありませんが 母親は 毎日 仏壇に手を合わせて 生活していましたので 先祖からの仏教式で その葬儀をおこないました。父親は 仏教芸術やその歴史に関心をもっていましたが 信奉していたわけではなかったので その葬儀は 非宗教のかたちにしました。  わたしの考えは 相手に合わせるというものです。基本的に そうします。  ★ 信仰の姦淫を犯す  ☆ というよりは 微妙なところも たしかに あるように 思うし感じたりもするのですが これは  ○ 信仰の外面形態化にかんする妥協 あるいは 非妥協  ☆ の問題であるように捉えています。つまりは どちらも 自由だと思うのです。一般に 相手に応じて 相手の流儀に合わせても よいように考えます。  あとは  ★ 聖書の教え  ☆ ということに 議論の余地があると思います。《聖書の教え もしくは そこに書いてあること》は 重要です。しかも やはり 《文字は殺し 霊は生かす》だと考えます。意味は 《すべてが ゆるされています。でも すべてが有益なのではありません》というところにあると思います。  《教義》が ひとを拘束することは ありませんし あってはならないと考えます。つまりは ひとりの人間の主観内面に すべては おさまるのが 信仰だと考えます。どうでしょう?

pokoperopo
質問者

お礼

私も信仰は主観内面にあると考えたからこそ教会を離れました。私の通った教会は信仰の貞操を強要しないものの、信仰の姦淫を忌避する方針を明言していました。私が未成年のとき、親族の法事の出席を拒否したとの証しをした際には、満場の拍手をもって迎えられました。この点で主張に一貫性があったことは今でも評価しています。私はキリスト教徒だったので、キリストを神として偶像崇拝をしないと契約したわけですから。もちろん信者以外には関係のないことで、世間一般の理解を得ることは不可能でしょう。とはいえ、キリスト教会は原理を振りかざしつつ妥協することに長けています。近代から現代にかけて世界の主導権をピューリタンが握ったのは当然の帰結といえるでしょう。もとはといえば私は中学時代にWASPに憧れて受洗したのです。しかしキリストが神性を纏っているものの、「主」すなわち唯一絶対神とは相容れないと考えるようになりました。父、子、聖霊の三位一体についても問い質しましたが、信仰がないと退けられました。キリスト教会はこのあたりを秘蹟としてあやふやにしています。結局は信じるか否かの問題と気づいて教会を離れました。イワシの頭も信心からといいますが、イワシは神ではないと師は語りました。イワシに祈る愚は別にして、祈る心の問題ではないでしょうか?主観内面において私は神と会話ができます。その内容を師は高く評価し、しばしば説教においても引き合いに出しました。その神はキリストでなければならないのでしょうか?自らの思惟を神意の上位におかないかぎり、神についての思索は許されると考えます。お返事が遅れて申し訳ありません。利用停止に触れるとこっそり削除されるようです。勝手ながらこの質問は締め切らせていただきました。また別の質問でお会いしましょう。ありがとうございました。

関連するQ&A

  • 女性は何にだったら命を懸けますか?

    以前から疑問があり、叩かれるの覚悟で聞きたいです。 女性は自分の子供以外に命を懸けられるものってありますか? 男性は戦争時代から国のため、妻の為、友の為、家族の為、 命を懸けてきました。 女性は国の為に特攻隊として志願できますか? また夫の為に命懸けられますか?ホンネをお願いします。 男性からのご回答もお待ちしております<(_ _)>

  • 人一人の命は地球よりも重い、って?

    最近幼い子供を殺害した少年の学校の校長が、事件後こう言ったとか。(正確には「人の命は地球よりも重い」でしたっけ?) よく聞く言葉です。人命の大切さをたとえた言葉なんでしょう。 わたしは、この言葉にちょっと引っかかっているんです。 これ、もとは誰の言葉なんでしょうか。 そもそも、本当に「人一人の命は地球より重い」なんて思っている人っているのでしょうか。 もちろん人の生命の尊さは言うまでもありません。自分がこの世からいなくなったり、家族や愛する人の死がどれほど重大なことかもよく知っているつもりです。 それでも、「地球より重い」なんてホントに思いますか? 全人類の命、じゃなく、ただ一人の命ですよ? じゃあ、どこかの誰かが死なないためなら、地球一個差し出してもいいの?なんて。 これが偽善的な言葉に聞こえてしまうわたしは、冗談でなくまじめに考えています。

  • 命の値段。

    人命は地球よりも重い。 この言葉によって、日本は世界中の失笑を買ったわけですが、 実際のところ人命って人によって値段が違うと思うのですよ。 正直、社会にとって必要な命もあるし、あってもなくてもどうでもいい命、無いほうがいい命。 質問なんですけどね、 日本って死刑制度を維持してる、世界中でも珍しい国らしいんですいけど、 死刑の基準ですけど、 どうして、複数の無辜の命を奪ったやからしか死刑にできないんですかね。 最高裁の判例って言うのが司法判断の基準として使われているそうですけどね、 人を複数殺してはじめて死刑になるって言うことは、 加害者の命は、被害者の命よりも価値があるということですか。 僕は逆だと思うのですが。 落ち度の無い、あるいは低い被害者の命のほうが、 犯罪行為によってその被害者の命を奪った加害者の命より価値があるじゃないですか。 そうすると、一人でも殺したら死刑でいいじゃないですか。 それでも、被害者の命と、加害者の命が同等ということになりますよ。 何でこんなことを質問したかというと、 犯罪の加害者って、 民事賠償をしてないやつが多いらしいですよ。 殺されてその賠償もしてもらえないのに、 さらに複数殺したやつしか死刑にしないなんておかしくないですか。 判例ってそんなに重要ですかね。 どうもよくわかりません。

  • フェリー沈没なぜ日本に救助依頼しなかった

    セウォル号沈没で大騒ぎしてます。 大統領はじめマスコミも原因究明やら救助のあり方など連日報道されますが、 気になるのはなぜ日本に救助依頼しなかったのかという追求の声が小さいことです。 事故はどこの国でも起こりえます、今回の事故は高校生というかけがえのない命を300人もなくしたことです。 大事故です、なのにやれ原因はとか大統領の涙が本物かとか、誰が謝罪するとか責任とか・・ 日本は海猿じゃないけど、この種人命救助においては世界屈指の技術と装備と能力を持っています。 しかも下関海上保安部はすぐそこです、羽田からも特殊救援隊が急行します。 もし 日本が出動していたなら 30人くらいは救助出来たのではないでしょうか? 下関海上保安部は行きたかったそうです。 人命救助に政治は無縁です。 かわいそうに 韓国のマスコミも本当に遺族のことを思うなら 救える命を救わな方という趣旨の報道がもっとあってもいいと思います 情けない国、かわいそうな犠牲者。 なぜ 日本に救助を依頼しなかったことを非難する報道が少ないのでしょうか

  • 自衛官の命が高齢者や障がい者や囚人のより重い?

    「若者の迷惑にしかならない老人は安楽死するのが一番いい」 http://news.livedoor.com/article/detail/11534780/ 囚人の安楽死後臓器提供? http://blogos.com/article/47585/ その人の健康状態に関わらず、70歳で安楽死(半強制) http://www.shining-man.com/entry/2017/01/07/080449 お粗末な自衛隊の医療体制、問題山積の自衛隊の戦場医療、という記事を見て思いました。 高齢者や障害者のテーマのときに生かしても国の利益にならない命よりコストを優先せよが主流の国だったら、 ベジータ3佐「動けないサイヤ人など 必要ない!」といってナッパ2曹をビームで殺害で良くないですか? 生まれつきの障碍者だってそいつの親や爺さんは納税してたし生活保護の高齢者は現役時代は働いてたわけで、今不正受給中の人でもその祖先には命がけで日本に貢献した軍人がいるかもしれません。 戦争に向かう自衛官は、20年後に自分の孫が身体知的精神障害持ちで生まれてその子を見捨てるかもしれない日本の国益を守ってるんですか? だったら戦場で負傷した自衛官を安楽死させて悪い理由が分からないです。戦闘中で効率を優先すべき状況なら、すぐ治る怪我で自力で野戦病院まで帰った人は治療して、動けない人や重篤な人を見捨てる判断は平時の国内のそれよりずっと現実的に見えます。衛星隊や医療チームを縮小すればコストダウンも可能です。 自衛隊の医療体制を語るときは安楽死の話が出ない理由は何でしょう?同じ日本人の尊厳に上下があるのですか?

  • 昔の人ってすごい

    僕は『武士道』にすごく興味があります。大河ドラマを観てて自分を置き換えても義理で命を賭けて戦う事なんてできません。最近は『君を忘れない』(特攻隊)を観て国の為に自ら敵監に突っ込むなんて今、戦争が起きても出来ない。怖いって気持ちはなかったのでしょうか?新渡戸稲造の『武士道』を呼んだのですが、難しくて理解に苦しんでいます。『特攻隊=武士道』かどうかは解りませんが、何か繋がりがあるような気がします。武士道について解りやすい本があれば是非読んで見たいです。誰か教えて頂けますでしょうか?

  • 登山

    私は幼い頃から父に「登山は絶対にやるな」と言われて 育ちました。「お前が登山で死ぬのは勝手だ。しかし 他の人に多大な迷惑をかける」というのが、理由でした 。 私は40歳で病気するまで、いろいろなスポーツは しましたが、登山だけは誘われてもしませんでした。 冒険とかレジャーとかで登山をする人を 救助する必要がありますか。自衛隊や 消防の人たちは、仕事で懸命に救助しようと して2次災害で死亡する可能性もあります。 2年前の辛坊次郎のヨットの救出で、自衛隊員が 命がけで助け、その費用は3000万とも言われています。 彼の件も、全く冒険というプライベートなことです。 リスクが高いことが十分に認知されているレジャーに 限っては、救助するのをやめたらどうでしょう。 極論かもしれませんが、命の危険をあらかじめ 認知している登山というものを行なうものは、死を 覚悟して昇って欲しいと思います。2次災害に合う 自衛隊員は気の毒です。

  • あなたが震災当時の総理大臣だったら?

    管氏が本を出版しました。 例えば、警察や消防士、自衛隊、昔の軍人さんもそうですが、常に死と隣り合わせの職があります。 救助者や被害者、おおよそ他の人命を守り救う為に、自分の命を顧みない行動を取らなくてはいけない場面も多々ある訳です。 しかし、隊を預かる最高指揮官としては、その任務にあたる際「隊員の命を一番の優先に考えた行動」を強要される事でもあります。 救助者の命を取るか、隊員の命を取るか。 指揮官としては、究極の選択を強いられる場面も確実にあるのだと思います。 みなさんにお尋ねしたい事は、もし、あなたが震災当時、国民の命を守る立場である最高責任者、指揮官であったとすれば、爆発寸前の原発に置いて、その状況を知っている現場責任者が「従業員を非難させなくてはいけない」と判断した際に、その判断に対してどう対応したのでしょうか?と言う事です。 この問題について、非常に悩んでいます。 出来れば理由を添えてご回答頂ければ幸いです。 よろしくお願い致します。

  • 第二次大戦 日本てほんとに真面目でしたよね 特攻までやるんですからね 

    特攻というのは、他からみると実に笑止千万だったのではないでしょうか?なぜなら、 「なぜそんなにしてまで戦果を挙げたいの?」 「なぜ、国の構成要素である人名を消耗品と割り切って使うの?バカ?」 「なんで、イタリアみたいにさっさと降伏しないの?」 というような、日本の戦い方に関して嘲笑的な評価が結構妥当でないでしょうか? 質問の本題ですが、特攻は、少ないパイロットの技量でも確実に戦果を挙げるためと言う狙いだと思うのですが、いまさら戦果を挙げて何になるのか?という感覚があります。すでに負けは決していて、いつ結末に持っていくかという段階で、なぜ「人命を消耗品として割り切ってでも少しでも戦果を上げるのだ!」というような、一種クソ真面目の2乗のような考え方を採用するのでしょう? それほど、日本と言う国民性は、「命よりも国家の方が大事なのである」というような、人間蔑視ともいえるような極論を推し進める傾向があるきがします。言い方を変えると、人の価値が薄い国家である。 なぜ、こういうことになったのでしょうか? 、

  • どの死を支持するのか

    A)尊厳死;本人意思による延命治療の拒否      自然死ともいわれる      緩和ケアは行われる B)安楽死;第三者による延命治療の停止      家族による場合を含めるケースもあり      消極的安楽死ともいう      医師による薬物投与、致死もある      家族要請がほとんど      積極的安楽死という C)自殺幇助;      余命いくばくもないメイナードさんが      オレゴン州に移住し、命を絶ったことで      有名。      苦痛を伴わない死は、医師からの方法の      伝授による。 オレゴン州はABC全てあり。スイスのCは有名。 本人意思不明ななか、家族による延命中止(尊厳死、 自然死)は相当の国で法制化。 が日本では尊厳死さえ法制化されていない。   しかしながら、判例と医療倫理ルールのもと   尊厳死は行われている   がん末期患者には希望により、     「最終セデーション」   と言われる、二度と覚めることのない   処置が行われている    (医療界はこれは「緩和ケア」だとしている) これが実情です。 遷延性意識障害(いわゆる植物状態)での長期間の 大変な全介助の回避。 意識低下による老醜(ベッドの上で口を大きく開けた 虚ろな視線での生きながら)の回避。 これらは必要では? 皆さんはA、B、Cのどこまでを望み、また支持しますか?