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学校生活が楽しかったその理由とは?
学校生活は、小学1年から始まり、高校3年までの12年間あるわけですが、右を向いても、左を向いてもソリの合わない人たちや、イヤな奴ばかりで、無理して合わせようとしても、苦痛だけが生じるクラスに、好むと好まざるとに関わらず、押し込められる生活が12年も続いて、それでもなお学校生活が楽しかったという方は、是非その具体的理由を教えていただけませんでしょうか?
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- jamiru
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苦痛な時は社会科、物理、生物、音楽等の各実習室、図書室で過ごしました。
- ryuken_dec
- ベストアンサー率27% (853/3139)
クラス全員が本当にソリが合わない奴やイヤな奴ばかりということが確率的に天文学的な数字でありえませんから、そんな状況に陥った人がいないでしょう。殺人犯ばかりの刑務所でも20人いてイヤな奴ばかりということはほとんどあり得ません。 【右を向いても、左を向いてもソリの合わない人たちや、イヤな奴ばかり[と思い込んでいて]で、無理して合わせようとして[いるつもりで]も、苦痛だけが生じるクラスに、好むと好まざるとに関わらず、押し込められる生活が12年も続いて、それでもなお学校生活が楽しかったという方】 なら、No1の方が言われているように思い返してみれば違う評価になったということはあるでしょう。 >の無法地帯と化していた学校。「これでは刑務所と何変わりがないではないか。」と何度思ったか知れません。 余談。 刑務所の名誉のためにいますが刑務所は無法地帯などではありません。むしろ規則によって徹底的に管理された無法地帯と真逆の場所です。
補足
一つ伺いますが、No.2のご回答者様は、質問文に書いた回答者としての前提条件を満たしておいででしょうか? もし、12年もの間、右を向いても、左を向いてもソリの合わない人たちや、イヤな奴ばかりで、無理して合わせようとしても、苦痛だけが生じるクラスに、好むと好まざるとに関わらず、押し込められる生活が12年も続いて、それでもなお学校生活が楽しかったという方でないなら、 あなた様は回答する資格がありません。そういう人に私は尋ねていないのです。 無法地帯と化していた時期は確かにありました。それは「刑務所と 変わりがない。」と思った時期とは違います。 「刑務所と変わりがない。」とおもった時期は、徹底した担任の恐怖政治が敷かれていた学年ででした。 質問に対する回答につながらない、どう思ったかをただ書くだけの、 中傷めいたことは止めていただきたい。
- tamoht
- ベストアンサー率43% (60/137)
確かに、現在学校生活を送っている人にとっては、今の嫌な面だけが強く感じられるので苦痛と思う気持ちはよく分かります。 でも、学校生活が終わってみたら、苦痛に思っていた人ほど懐かしく思い出すものです、もちろん懐かしく思い出すことと、楽しかったということとは違いますが、私も学生時代は学校生活が楽しいと感じたことは非常に少なかったと思います、それでも苦痛の中から楽しいことを見つけることを楽しみにしていました。ソリの合わない人の中から、イヤな奴ばかりの中から一人だけでも、自分が友達になれそうな人を見つけて近づいていくことも楽しいことの一つでした。ご質問者様がおっしゃられる、学校生活は好むと好まざるとに関わらず押し込められる生活、であることは確かですが、そうだから楽しいのではないでしょうか。 イヤな奴は一人もいない、ソリの合わない人も一人もいない、何をやっても自分の理想通りに進む、学校生活だとしたら、本当に楽しいでしょうか、刺激がない生活ほどつまらないものはないと思います。 嫌なことも、学校生活を楽しくする刺激の一つだと思って、頑張ってください。
お礼
ご回答ありがとうございます。頂戴しました御意見は参考にさせていただきますが、「学校生活」というクラスの呪縛から解放された年から20年以上経つ今でも、あの苦痛を懐かしいと思ったことはありません。 洋の東西を問わず、「類は友を呼ぶ」の意味が、違った表現で存在することからも、このことは言えるのでしょう。 私だったら、イヤな奴が一人もおらず、ソリの合わない人も一人もいない、自分の理想通りに進む学校生活であったら、どんなに良かったかと思いますが。 発言する自由・選択する自由を否定され、尊厳すら守られず、教育の独立性の名分の元、教師が独裁者となり、保身に走って、学級崩壊同然の事態に、授業も満足に受けられず、事実上の無法地帯と化していた学校。「これでは刑務所と何変わりがないではないか。」と何度思ったか知れません。従って、私にとっては学校生活の12年は、「懲役12年」みたいなものでした。強盗を働いても、10年もの刑は科されないというのに。これと同じような感想を持つ人達は、本当は大勢いるんじゃないでしょうか。 苦痛極まりなかった学校生活でしたが、それでもそんな逆境にあって、守るべき自分の前途を拓いたということ、交わってはいけない類の連中との接触を完全に断つことができたこと、一部に止まるとしても、基礎力を培うことができた点については、今でも成功だったと思っています。
お礼
ご回答ありがとうございます。私も当時、似たようなことをして苦痛を 紛らわしていました。しかし決して楽しかったわけではありません。 質問の挙げているのは、あのような状態にあっても、なお、学校生活が 「楽しかった」という人は、その具体的理由が何か?ということです。