- 締切済み
外交交渉の成否を決める鍵はあるか?
teccrtの回答
- teccrt
- ベストアンサー率35% (91/257)
一般論ですが、外交にとどまらず、いわゆる交渉は、 (1)相手の思惑を見通す。完全に見通すことは無理なので、事前に情報収集していて、目星をつける。 (2)自分の中で、交渉の目的とその達成のためのデッドラインを決めておく。 この2点をどれだけ徹底して準備しておくかで決まります。言葉で書くと簡単ですが、相手は自分とは逆の立場で臨んできますので、その中で自分の意思をどこまで通すかは至難の業です。 日本は外交下手と言われますが、それは国際政治が欧米主導によるものが大きいように思います。政治の場では、国際法や過去の慣習に基づいた交渉のルールがあると思うのでしょうが、欧米で取り決めたルールがベースですので、過去の事例に基づいた拡大解釈やら、過去の経緯からルールを変更したりとか、都合よくルールを変えることが欧米にとってはやりやすく、逆にそのルールに従うという受け身な立場の国は主導権が握れない分だけ外交が不利なのは仕方ないと思います。 むしろ、日清・日ロ戦争の講和条件、関税自主権の撤回を世界で初めて達成したり、南洋諸島を自国領にしたり満州国の存在を認めさせる寸前にいったりなど、戦前の日本の交渉は決して下手ではなかったと思います。(かといって、上手とも思いませんが、次第点だったと思います。) 現代も、在日米軍に駐留された半占領地状態ですから、これでは諸外国と外交すると言っても前提条件にハンデがありすぎてまともな交渉はできないように思います。日本の外交官を擁護する訳ではないですが、「外交べた」と言われてる割には、外交で大きな損失を被った具体的な事例はあまりない気がします。
関連するQ&A
- 日露戦争で日本が不利な戦いを行った理由は何でしょうか?
日本が日清・日露戦争を行った理由が南下政策を食い止めるためだというのは理解できます。 それに対して私は、日清・日露戦争の目的はロシアから日本を守るための自衛戦争と認識していましたが、日清・日露戦争の目的は自衛戦争ではないという人が結構います。 その中には、日本が南下政策を食い止めようとした理由は大陸への侵攻を行うにあたって邪魔になるからだという人もいました。 ならば、何故日本は日露戦争を行ったのでしょうか?当時の日本にとってロシアはまともに戦っても勝ち目のない強国だったはずです。ましてやこの戦争で負けたら日本は後がなかったのでは?ほぼ勝ち目がない上に負けた場合のリスクが大き過ぎる戦いまでして大陸を侵略しようとした意味は何でしょうか? 少なくとも日露戦争にて日本は数年分もの国費を使い果たし、ポーツマス条約で賠償金がとれないために国民の不満も高まりました。その埋め合わせをしたいから中国の侵略を企んだというのならまだわかりますが、朝鮮半島を支配する事で日本の命運を賭けるほどの利益を得られるとは思えません。 もし日本が日露戦争の時点で大陸の侵略を目論んでいたとしたら、リスクが大き過ぎる戦いを挑んでまで大陸の侵略をしようとした理由は何でしょうか? また、南下政策を食い止める事が侵略目的ならば、日英同盟を組んだイギリスも南下政策を食い止めた暁に周辺のどこぞの国を支配しようと企んでいたのですか?
- ベストアンサー
- 歴史
- ポーツマス会議でのウィッテ提案を拒否していなければ
ポーツマス会議後半において、ロシア全権のウィッテは個人的意見として、「ロシアが樺太南半分に加えて北半分も日本に割譲すれば、日本は賠償金要求を放棄するか?」と日本全権の小村寿太郎に尋ねています。 この時小村は間髪入れず「日本が償金要求を取り下げることはありえない」と答え、会議決裂の危機を迎えました。 結局、日本は賠償金も樺太北半分も放棄して講和成立、となりましたが、もしこの時、小村がウィッテの提案を拒否していなければ、ポーツマス会議の行方はどうなっていたと思いますか? 1.ロシア本国も了承し、樺太全島を日本に割譲することで講和成立。 2.ロシア本国が拒否し、交渉長期化。最悪の場合、ウィッテが解任され、強硬派が全権に就任、会議決裂。 3.日本は償金の代わりに新たな要求を突き付ける。例えば既に妥結していた東清鉄道南部支線の権利譲渡区間を、当初要求通りハルビンまで求める、など。 個人的にはロシア政府内の状況を考えると2.が最も可能性が高かったのでは、と思いますが、アメリカの仲介により最終的に樺太南半分が手に入ったことを考えると、1.の可能性も少なからずあるのかな、と思います。 3.は償金の代わりを日本が求めるケースで、日本にとって最も有利な結末ですが、代わりに樺太南半分も失った可能性はあるのではないか、と。 宜しくお願いします。
- ベストアンサー
- 歴史
- 朝日新聞が日露戦争を焚きつけ
、日露戦争後のポーツマス条約に不満を煽ったのは右翼である証拠 http://ameblo.jp/yoshma/entry-11354066436.html という人がいますが、違いますよね。 レーニン達は、ロシア帝国の敗戦に乗じて、革命を成功させようとしていましたから、その当時から、朝日新聞が左翼の機関紙だったと考える方が自然ではないでしょうか?
- ベストアンサー
- メディア・マスコミ
- 日清、日露戦争の終戦締結時の通訳
日清、日露戦争で勝利した日本は何語で交渉して、何語の契約書にサインしたのですか? 当時、中国語やロシア語に精通してた日本人はどのような人ですか?ただの通訳とは思えないです。
- ベストアンサー
- 歴史
- 日本は、なぜロシアに勝ったのですか?
超大国のロシアに日本は戦争で勝利しました。 その恨みつらみで未だにロシア国民は日本人に対して畏敬の念と 恐れをいだいとります。 日本は、なぜ日露戦争で勝利をおさめる事ができたのでしょうか?
- ベストアンサー
- ニュース・時事問題
- 日露戦争の兵力。
Wiki 「日露戦争」によれば、戦力は、日本 約300,000人、 ロシア 約500,000人です。 戦力「日本 約300,000人」とは、何を表しているのですか。 ネットで検索した他の情報では、次のような数字もあります。 兵力比較 日本 109万人、 ロシア 208万人 動員できる兵力 日本 100万人、 ロシア 200万人 常備兵力 日本 約20万人、 ロシア 約300万人 日露戦争時の日本の陸海軍の兵力(予備役を含む兵員数)を教えてください。 よろしくお願いします。 Wiki「日露戦争」 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E9%9C%B2%E6%88%A6%E4%BA%89
- ベストアンサー
- 歴史
- 満州国を作ったことに中国は感謝すべきでは?
ロシアは日露戦争に負けるまで満州を勢力下に置いていました。日露戦争で日本は遼東半島の203高地に陣取るロシアと戦いました。 中国は日本が作った満州国を非難しますが、もし日本がロシアを追い払い満州国を作っていなかったら満州はロシアの領土となっていました。しかもロシアは第二次大戦の勝利者ですからあのスターリンが領土を返す筈がありません。 結果的に中国は日本のおかげで戦後、満州を再び手に入れることができました。中国は日本が満州国を作ったことに感謝すべきでは?
- ベストアンサー
- 政治
お礼
確かに明治の元勲が元気であったときは目一杯していたと思います。 外交下手というのは言い過ぎかもしれません。しかし、ODAを含めて沢山のお金を費やした割には国連での地位もいまいちなのは上手とはいえないのではないでしょうか。 日本の財政危機なのに費用対効果からみれば、赤字ではないかと推測します。役人はことなかれ主義なので大きな損失をだすのを嫌いますが、多い支出からしてもう少し成果があってもと欲張りたいところです。中国でも沢山の援助をしても日本からの援助とわからないことが多いというのは問題でした。四川大地震の援助ではじめて日本が実は中国を援助してきたことが中国の国民にわかった感じです。 アフリカ諸国でも最新の機器を援助しても、その後のサポートがないためにいったん故障したらそれでおしまいになった場合が少なくないときいております。外国への援助ではなく、器械メーカーへの援助に終わった結果になるのは、税金が無駄に費やされた結果になります。 もう少しNPOと協力して人的支援を含んだ援助にすればいいといわれています。海外で日本人が災難にあっても、ほかの国の大使館に比べて真剣になってくれないと聞きます。 小村寿太郎も最初に政府が考えていた外交の結果をほぼ出しえたにも関わらず、東大の教授たちがメディアを煽って腰抜け外交と民衆をたきつけて日比谷事件などをひきおこしています。この事件以降日本は道(外交)を間違えていったように感じています。 北方領土問題にしても、ロシア側に日ソ不可侵条約を破ったこと、国際法でもみとめられていないシベリア抑留などの行き過ぎがあったにもかかわらずどこまでそれを絡めて交渉できているのかと聞いてみたくなります(絡めるのがよくないのかもしれませんが)。 アメリカの経済力が当てにできにくくなる将来、日本はいつまでもアメリカと同じ政策でいけるわけがないので外交上手なイギリス人の力でも借りてでも、世界を見据えた外交を展開してほしいものです。
補足
太平洋戦争では戦前から日本の外交文書の暗号が解読されており、外交の駆け引きができないくらいに情報が筒抜けでハルノート最後通牒になってしまったとか、山本五十六を乗せた飛行機が撃墜されたり、これにまつわる日本の損害は甚大なものがあります。 ドイツも最強と自負していたエニグマも、イギリス情報部に解読されていたことは戦後も長く秘匿されていました。 外交が情報戦争であるとすればアメリカ、イギリスは伝統的につよいです。ドイツと日本が負けたのは当然でありました。