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眼だけ写った写真の恐怖感について。
既出の質問でしたらすいません。 まったくの興味本位の質問なのですが、 たまに雑誌や本を読んでいる時に人間の眼の部分をアップにしたものを見かけ、 私は少なからず恐怖や気持ち悪さのような感情を抱きます。 (ギョッとする感じ。) 特に白目をむいたものや、充血したものでもなくごく普通の状態の目玉でも 「眼」だけの部分が写っていると怖い感じがします。 ざっくりとした質問で申し訳ございませんが、コレはなぜなのでしょうか?
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- kigurumi
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以前読んだ心で、心を読み取る指数みたいなもののテストがありました。 目の周りだけの写真で、目の表情だけで、「幸福」「怒り」「苦悩」「後悔」「悲しみ」などのどれに該当するかを選ぶテスト。 顔の表情による情報を読み取れない人は、言葉を手がかりに相手の感情を知ることになる。 人は心と言葉が時には逆なこともある。 誤って他人を後ろから蹴ってしまった場合、「すいません」と誤ります。 「大丈夫です」と言う相手。 でも、もう一度相手の目を見ますよね。 相手の本心を読み取ろうとするわけです。 ところが目から心を読み取れない人は、相手の言葉のみなので「本人は大丈夫だと言っているので、痛くなかったんだ」と判断するしかない。 目の表情が読み取れる人は、相手が苦痛を目に表していたら、「ほんとにごめなさい 他に気をとられていて」と何故蹴ってしまったのかを相手に情報として伝えられ、「ワザとじゃない」と相手に理解してもらえる。 言葉のみの人だとそのまま去っていくので、蹴られた相手は「最近の若い者はなっとらん。 無礼だ、ちゃんと謝罪することもしないで」という印象を相手に残す。 目は心を表す。 でも、目の周りは含めず、目だけの場合、心が読めない。 <目だけ>は時には人間に畏怖を与える。 例えばホルスの目は ピラミッドの頂上に備え付けられていた。 セトによって片方の目をえぐりとられたので、片目のホルス。 ホルスの頭の部分は、隼として壁画に描かれている。 隼を含め鳥によっては翼を広げると、たくさんの目の模様がある。 全身目だらけの天使にケルビムというのがいる。 天使は神にいいつけられ、人間を監視する役割を担っていた。 鳥が空を飛ぶと、目を持つものが人間を監視しているかのようですね。 ホルスの目の万物を見る目の概念は、アメリカの1ドル札にも描かれている。 1ドル札のピラミッドの上にある目。 監視されているという印象を与えることで、人々が悪いことをしにくくなると操作しようとしていたのでしょうか。 とにかく古代より鳥の模様を神の目だと考え、太陽を目だと考え、神は全知全能、常に人間を見ていて人間の行いを知っている となっていった。 だから人間は神を畏怖する対象と考えたわけです。 日常で滅多に無いが、視線を感じ、その方向を見ると、誰かが無表情で沈黙したままじっとこちらを見ていたら、気持ち悪いと思いますよね。 日常 我々はマナーとして無視をすることがある。 例えば、エレベータの中。 エレベータに入ると、くるっと体の向きを反転させ、出口の方角にむくことで、誰かと対面しないようにする。 嫌いという意思表示じゃない。 さらに「誰に対しても意識していませんよ」という表現として、上の方にある今何階かのランプを示すパネルを見上げて、自分はランプに注意を注いでいますとアピールする。 少なくとも2回も礼儀として周りの人に対して無視してあげている。 このように赤の他人に対しては、無視をするというマナーが常識であり、集団を円滑にする。 以前電車の中で、じっと見られたことがある。 スーツを来た中年の女性が私をじっと見ている。 「なんだろう? 何か変な格好をしているのだろうか」と不安になった。 あまりにもじっと見ているので、いろいろ考えた。 が、何も思いつかない。 どこに相手は注目をしているのか、私の顔だ。 しかも よく見ると相手の目は怒っている。 でも 睨み付けているが何も言ってこない。 しばらく無視して、相手を意識から除外していたら、突然 横腹をつつかれた。 「痛っ!」と見るとさっきの人。 「あんた さっき 私を突き飛ばしただろ きちがい きちがい きちがい きちがい!!!!」と叫ばれた。 ああ、、、精神障害者だったからか、と監視の理由がわかった。 他人の自分に対する注目、監視の謎が解けたわけです。 妄想が起こって、妄想による執着から、危害を加えた敵は私ってことになり、私から目が離せなくなっていたわけですね。 で、私はマナーとして、黙って離れて出入り口の方に行って手すりにもたれかかって背中を向けてあげました。 故意に無視してあげたわけです。 しばらくあっちで叫んでいたが、こっちにやってきた。 側で「きちがい!!!」と叫ばれ続けたので、さすがにこりゃ駄目だと思い、次の駅で、その人をひっぱって駅員に引き渡して、家族か後見人に「会社に向かおうとしておられるが一人じゃ無理じゃないでしょうか。とても働ける精神状態ではないようですよ」と迎えにきてもらおうか と思ったのですが、いつのまにかその人 消えてしまってました。 別の車両に移ったのか??? 私が叫ばれている間、回りの人、私らが存在していることすら意識していないように、全く無視していました。 絶対にこちらに視線を向けなかった。 「災難だねぇ・・・こりゃ どうしようもないね」と無視してくれたのでしょう。 これも礼儀的な無視ですね。
No.1です。 そうですか。怖さの種類が違うと…。 これまた質問者さんの印象とは違うかもしれませんが…。 (私が“生きているもの以外の視線”そのものに感じている恐怖心は次のような感じです。参考にならないかもしれませんし長文ですが、このように感じるケースもあるんだなと暇なときに読んでみてください。) 以前テレビで霊能者が、部屋に人の写真やポスターを貼りまくると霊道が開くので良くないと言っていました。 それは人形でも同じ事だと言っていました。 つまり、人の姿を写したものの視線と視線が交わると霊界に通じてしまうという意味です。 この言葉を聴いてから、もしかすると“あのとき”妙に嫌悪感を抱いたのはこれに通じるものがあったからなのもしれないと思いました。 “あのとき”とは以前、江戸時代や明治初期に作られた ひな人形の展示会に行ったときのことなのですが、私は人形や調度品の精巧さや端正さに感動するというよりも、妙に気持ちが不安定になり恐怖心を感じました。 家族と一緒に見に行ったのですが、早くその場から立ち去りたくなりました。 もちろん会場は人形に埋め尽くされているから、人形の視線だらけです。 でも視線の数だけで言うのなら、今の時代のデパート展示場でみられる ひな人形だって同じです。こちらは怖いと思ったことはありません。 印象の違いは何かというと、こちらは妙にリアルなのです。 表情も複雑で、微笑んでいるような悲壮感を持っているような、恨みの念すら感じてしまうのです。…。 作った人かその時代の持ち主の念がそのまま込められている感じがするのです。作られたその時代からずっと霊魂を持ち続けているように見えるのです。 このとき私が持った感情に近いのですが、CGアニメの人物の映像がリアルすぎて見ていて気分が悪くなったことはありませんか? その事を表した言葉に「不気味の谷」というものがありますが、登場人物のリアリズムを追求したCG映画『ファイナルファンタジー』の興行成績が伸びなかったのは、まさにこの不気味の谷に位置するものであったからだと言われています。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%8D%E6%B0%97%E5%91%B3%E3%81%AE%E8%B0%B7%E7%8F%BE%E8%B1%A1 私は紹介番組でしか見ていませんが、この作品は人物の毛穴まで表現されていてまつげや髪もリアルなのだけれど、どこか動きがぎこちなく奇妙に感じました。作り込まれている分、違和感を感じてしまうのです。 人型に霊が乗り移って…というか精巧な人形が人間の振りをして動いたものをそのまま撮影したものを見ているような…。 人とも見えるし、人の振りをしているようにも見える。 魂が入っているように見えるけれど、それは明らかにこの世ならぬもののような、今、現世にある魂ではなくて異界から来たもののように見えたのです。 同じ様な怖さが先ほどの ひな人形展にはあったのです。 呪詛のような、何か異界から来たものを見るような禍々しさを感じたのです。 そうですね…多分、私の場合はこの場にあるはずのないものの霊魂が宿っているように見えるからですね。 例えて言うなら異界の入り口にいるような恐怖だと思います。
お礼
再度の回答ありがとうございます。 そうですね、特に意識していなかったモノに 超自然的な、第六感的な何かを感じてしまうと怖いでしょうね。 私自身としては逆に“眼が合わない”ことに怖さを感じてしまいます。 人形だけではなく、たまにヒトでもいますが…。 ご紹介頂いたウィキの「不気味の谷現象」は“なるほど~”でしたね。 参考になりました。ありがとうございました。
いろいろなことがあると思いますが、やはり人から見られるということは、緊張を要する事態であるということが根底にあるのではないかと思います。トラやライオンなどでもじっと見られると怖いのですが、人の場合は、自分と同じような自我意識を持っているという事実が別の恐怖を与えます。自分の顔を鏡に映して眼だけを見ていると実に怖いものです。
お礼
成る程。 「眼を凝視する」ということが潜在的に危機・恐怖につながっているということですね。 以前「何故内臓を見ると気持ち悪いと感じるのか」について調べてみた時も、 普段見えてはいけない内臓が見えている状況が潜在的に危機を感じるから、という説がありました。 根本的には同様の理由なのでしょうか。ありがとうございました。
「自分の内面を見透かされるようだから」ではないかと…。 もろ、目力って感じがするからではないかと思います。 目力のある人ってどことなく怖いじゃないですか。 それと同じで、見つめられてると強く感じて怖いんだと思います。 謂わば「魂が金縛り状態」になるのだと思います。
お礼
回答ありがとうございます。 うーん、そうですね。 確かに眼力のある人はそれとなく怖い感じはするのですが、怖さの種類が違う感じなんです。 曖昧な表現ですいません。 内臓や血液などを見た時のようなグロテスクな印象についてなんです。 私の質問が抽象的でしたね。申し訳ございません。 ありがとうございました。
お礼
回答ありがとうございます。