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市民による教師監視は可能?

毎日毎日気がつけば教師による児童・生徒へのわいせつ事件が後を絶たない。事件発覚後の教育委員会や学校の発表といえば、「教育の信頼回復により一層の努力をし、教職員の指導徹底いたします。」とお決まりのセリフを言うだけ。具体的な対応案を公表するならまだしもそれもない。彼らは本当にこういう事件を無くしたいと思ってるのかと疑いたくなる。 学校、教師の隠蔽体質がある以上、自浄の効果を期待するのは無理だろう。 こういう事件に対して怒りを覚えてるのに何もできない市民のみなさんも多いのではないでしょうか?何かしらの団体を結成しボランティアという形でも何でもいいので、教育の現場の監視をすることはできないのでしょうか? 行政や企業活動などの現場を監視するのは第三の独立した監察権を持った機関がやるのは当たり前です。そういった意味で教育の現場も市民の目から監視をする必要があると思います。 一番身近で信頼している教師から性的虐待を受け、どこにも相談できないで悩んでる子供はかなり多いと考えられます。 事件になり表ざたになってるのはこれでも氷山の一角という意見も多数あります。 そういった子供のSOSをキャッチし調査し、場合によっては警察、児童福祉施設に通報するといったことをしていきたいのです。 そういう市民による教育現場の監視をする団体とかあれば教えてほしいのですが。無ければ、そういう団体を立ち上げたいとも考えております。

みんなの回答

回答No.7

いろんな意見があるようですが、私は全くの同感です。 いっそのこと作ってから必要の可否判断をしたほうがいいのかもしれません。 ここではあくまで一部の方の目にしか止まらないでしょうが、同感の方は全国に沢山いらっしゃると思います。 ここは民主主義で法治国家です、正道を個人の感覚で押し曲げることなく進む事が子供のためにも必要ではないでしょうか。

回答No.6

>あなたは本当にマジメな方なのですね。 きっと世の中の汚れた世界とは無縁の世界で生きておられたんでしょう。 このサイトは、質問者の疑問に対して回答者が答えるものであって、質問者が回答者の人間像を想定するのは趣旨に反します。 ただ、ご指摘は全く外れています。詳細は明かせませんが、性犯罪者が身近にいることで、警察や弁護士とも知り合い、図らずも一生知らなくても済むような社会の裏面に関わった経験があります。だからこそ、犯罪者の異常性を身に沁みて感じるのです。 彼らは犯行後に、挑発的な服装に誘発されたとか、たまたま身体に触れて欲情したとか、動機の偶然性を強調した言い訳をします。しかし、性犯罪者は再犯性が極めて高いことから、そのパーソナリティーに何らかの資質を有しており、一般人の範疇とは明らかな断絶があると考えます。 そうすると、男性の内心では誰でも異性への陵辱行為を欲しているという考えを前提にすれば、実際の犯罪に対しても、たまたまその機会があったから犯行に及んだだけで、男同士ならその気持ちも分かるよねなどと、罪責を稀釈する議論に利用される虞があります。 そもそも、性犯罪の本質は故意の作為犯です。犯罪を回避すべき期待可能性を破って、わざわざ作為に出るものであり、一般人が外的誘因によって犯行に及ぶ蓋然性は低いです。 性犯罪者は、主に成育歴などの後天的な要因によって、犯行を惹起する資質を具備しているものです。したがって、性犯罪の典型的な犯人像は、たまたま機会を得たから犯行に出たものではなくて、そこに至るまでの生活歴で異常性を蓄積し、それが行為として表出した、つまり、犯人になるべくしてなったというのが現実の姿です。性犯罪者の再犯率が相当に高いことがその証左になります。 性犯罪者は、社会の異物なので排除しなければなりません。これは、どの分野にも低率ながら存在しており、教員の世界も例外ではありません。 ただ、教員は母数が膨大なので、絶対数は多くなります。仮に、小中高校の男性教員の総数が60万人として、性的異常者が0.1%混入していたとしても600人になり、この裾野の中から、不祥事を起した者が毎日のように報じられると捉えています。 当方は、この絶対数を否定しているわけではありません。子どもの犠牲は一人も出してはならない、すなわち、教員の異常者を0%にするべく、それを的確に認知して排除するシステムの構築を望みます。市民レベルでコミットできることがあれば参加したいです。 ご指摘のように、現代社会にはアダルトサイトや性風俗産業などで子どもを性の商品とするものも多く、また、国内で果たせない欲望を東南アジアでの児童買春で満たすという国辱的な行動も見受けられます。 このようなものが横行するのは、社会に一定のニーズがあるからです。しかし、これらの現象に不快感を覚える人の割合の方が圧倒的に多いです。ここにおける規制論の本質は、真面目とか道徳云々の以前に本能的な不快感に起因するのです。 ただ、質問者様のコメントで含意されているように、世の中には汚れた部分はどうしても存在するのであって、それを忌避したくても、無垢の世界はなかなか到来しないのです。 このような社会の一断面と教員の不祥事とを結び付けていますが、その因果関係が提示されていないので説得性に欠けます。 男性教員には誰でも性的な不祥事を起こす危険があるとしながら、No.3のお礼の欄で、態様をレベル分けした上で、それの(2)と(3)の間で均衡がとれているからいいというのは論理が矛盾しています。 相手が子どもなのだから、少しでも危険が生じる要因は排除しなければならないでしょう。その前提に立つ限り、男性は教員に採用しないという極端な結論を導くしかないです。 むしろ、この前提の方が、思い込みに基づくものかと存じます。外面的な情報を独自に帰納した結果であって、机上の空論とはいわないまでも、机上の推論の域を出ません。 前回の質問では、感情論ではなく客観的な分析の必要性を謳っていましたが、直近のコメントは、「愕然とする」「頻度がすごい」「信じられない」など感覚的な言葉を多用するだけで、失礼ながら冷静さを欠いています。単に事の概要を言い募っても、説得性のある言質がなければ大勢の支持は得られません。感情に走ったら負けです。 そもそも、一つの運動を立ち上げるのは厳しいものです。様々な意見を持つ人たちに対処できるように、自らの主張を強固に構築する必要があります。たとえ純粋な正義感に由来するものでも、一時の情動だけでは人を組織して動かすことはできません。結局は、子どもを救うこともできなくなります。 ここは、自説を応酬するところではないので、このような回答は当該サイトの趣旨から完全に逸脱していることを承知で投稿しました。 なお、「特設アンケート」というカテゴリーでは、自説を披瀝して意見を集めることができるので、そちらに改めて投稿して考えを深められたら如何ですか。

fffttt4242
質問者

お礼

まずは私の意見に真面目にご意見くださり感謝いたします。 見解が違う面はありますが、教員による生徒への性犯罪が現実に起き、居印に多いか少ないかとか、絶対数とか相対数とか、報道のあり方とか意見は様々でしょうが、その犯罪に怒りを覚え、無くしたいと思う気持ちは同じだと思います。他の業界の世界との比較じゃなく、教育現場では1件も許さないという立場だと思います。 また同じように思っていて何とかしたいと願っている人は他にもたくさんいるのではないかと期待を込めてここに投稿しました。 これをきっかけにそういう個々人で考えてるだけのことでも、ネットを利用して意見交換し、さらにはサークル的なものから、社会的な組織、ひいては、教育の何かしらの機関にコミットできるようになれればと願っています。 今までの私の文章は、思ったままを記述し論理的な展開の考えなしで、また統計的な数値なども使ってませんので、論理的な矛盾や説得力、意味をなしてない部分が多々あったと思いますのですみませんでした。 簡単に私の考えを言いますと、犯罪者とそうでない者の境界線はあいまいで、一定の段階的なレベルにもよりますが人間は環境によりその境界線を越えてしまう可能性があるものです。もちろんその引き金となる要因の影響の大小、超えてしまった結果の犯罪の重軽の差、個々人の倫理観との葛藤によっても変わってくるでしょう。しかし、特異な犯罪の例を除いて、一般人の犯罪を犯す者と犯罪を犯さない者のくっきりとした区別などそもそも無く判別は不可能です。変化もしますし。 教育熱心な先生しかり、あんな真面目な人がしかり、あんなおとなしい人がしかり、あんな有名な偉い先生がしかり、生徒に手をだしている。人間の行動など前もって全て理解できるはずがないのです。この問題は議論がつきませんので、あなたのおっしゃる特設アンケートでもっと議論したいですね。 もしよろしければ、同じIDで書込みますので、また来ていただければうれしいです。あなたのIDも覚えておきますのでぜひ来てください。ひとまず、ここは終了いたします。

回答No.5

際限がなくなるようですが、再々投稿します。 当方は、幼児性愛者やその予備軍であるロリコンを教員に採用すべきではなく、採用された場合は適切に排除すべきであって、これは教員の人権に優先し、その責任は国民の代表機関である国会が負うべきと思います。これに向けて、市民レベルで如何にコミットするのかが問題の所在であると考える次第です。 犯罪件数の多寡に関わりなく、一人でも子どもへの被害が生じることは許さないというのが当方のスタンスですが、質問者様の飛躍的な論理展開には与することができません。 まず、学生、塾講師、現役教師などの会話を聞いた事実から、男性教員の大多数が女子児童・生徒との性的接触を望んでいる旨を断定していますが、だいたいどのくらいの標本数から全体を推定できるのでしょうか? 統計学は詳しくありませんが、小中高校の男性教員が約60万人とすれば、数千単位のサンプル抽出が必要でしょう。以前に「クイズ100人に聞きました」という番組がありましたが、ランダムに100人くらいに聞けば、おぼろげな傾向が出るかもしれません。 偶然性をはらむ一部の傾向を全体の傾向と断定するには、それ相応の説得性のある論拠が必要です。 それから、性衝動に関する段階的な態様を示されていますが、下記の(1)から(2)の間で論理が飛躍しています。 >(1)ほとんどその性衝動自体が起きない者 ↓ >(2)性衝動は起こるが理性で抑えられ通常時は自分でコントロールできる者(たとえ生徒から誘われても断固拒否できて教育者の立場で説諭できる者) (1)性衝動が起こらない者の次の段階が(2)生徒に性衝動を起こす者となっていますが、正確には、成人女性にだけ性衝動を起こす者(正常者)、成人女性にも児童・生徒にも性衝動を起こす者(ロリコン)、児童・生徒にだけ性衝動を起こす者(異常性愛者)に分岐するはずであって、ご提示されたような直線的な段階を踏むのではなく、実際は複線的に込み入った傾向を示すのです。 正常者が持つ子どもを愛しいと思う情動と、幼児性愛者の異常な性衝動との間は不可逆的であって、「男はみんなすけべなもの」などという平易な表現を持ち出してまで、あたかも男性全員が子どもを性的対象にするかの如く強弁することが理解できません。 ただ、今回のコメントは「生徒」という語句だけになっているため、対象範囲を女子高校生に絞って、女子高校生は成熟しているから世のオヤジはみな性衝動を持つという前提なのかもしれませんが、これも下世話な偏見であって笑止に値します。 あえて平易な言葉で反論するならば、「男はみんなすけべなものだけれど、子どもに手を出そうと思うのは少数の変態だけだ!」です。 正常者と認知できればそれ以上の監視は不要であり、真に危険な部分に集中して対応できるのです。変態を正確に認知して、排除するシステムを構築することが肝要です。 それと、正常な性愛と異常性愛を混同するような極論は、独りよがりの自己主張と見なされ、社会に対するアピール力がないから、結局は何も変えられないということを知って下さい。

fffttt4242
質問者

お礼

あなたは本当にマジメな方なのですね。 きっと世の中の汚れた世界とは無縁の世界で生きておられたんでしょう。 しかし、ここであなたの考えを看過するわけにはいきません。 なぜなら事は子供を守らなくてはいけないという極めて緊急性の高い問題だからです。 あなたが現実をよく知らないのはいいですが、あなたの知らない現実の世界で次々子供が犠牲になっているのですよ。これは偏見でも何でもありません。 実際に街に行ってごらんなさい。夜の世界に行ってごらんなさい。子供たちの話を聞いてごらんなさい。ネットの出会い系だけじゃなく、ヤフー、MSNやその他のチャット、ゲームサイト、掲示板、プロフの世界を見てごらんなさい。 子供を性の対象として誘う大人の多さに愕然をしますよ?? 教員の生徒を対象にした性犯罪の多さの現実を見てないのですか?? 表ざたになってるのは氷山の一角という見方は常識ですよ?? 私は単に偏見から言ってるのではなく、こういった現実を見聞きして、 これは大変なことになると危機感を覚えたからこそ、何かしらの行動を起こそうと思ったのです。世の中があなたのいうような良識ある大人ばかりなら 何もこんなことは考えませんよ。 「男はみんなすけべなものだけれど、子供に手を出そうと思うのは少数の変態だけ」「しかし、きっかけや機会を与えられたら手を出してしまう可能性のある男はかなり多い」のですよ。だから子供に接する機会のある教員が生徒に手を出す犯罪が一般の人に比べて何倍にもなるのです。 これは以前兵庫かどっかで一般の人と教員の子供への性犯罪率を調べたものが新聞に載りましたよね?5倍か?それ以上になってたと思うけど数値は覚えていませんがかなりの倍率でした。

fffttt4242
質問者

補足

補足ですが、あなたの論理のアプローチは間違ってますよ。 子供に対して性衝動を感じるのはごく少数の変態だけという考えは、単にあなたの想像や思い込みでしょう?まず現実を見てください。児童・生徒に対する性犯罪の多さを直視てください。 子供に聞いてみてください。教師から誘惑めいたこと言われた子の多さに愕然としますから。これは昔からありましたが、やっと現在の情報化社会になって表ざたになってきました。 毎回毎回、教員の性犯罪が報道される現実を見て怒りをおぼえませんか?ネット見ればすぐわかりますが、報道されてるだけでもその頻度はすごいですよ?それを見ても、これは少数の稀なこと、今日も報道されたがこれも少数の稀なこと、そうやって毎回毎回思うのですか? 一般の人の性犯罪ならともかく、かりにも人としての模範になるべき教員の性犯罪ですよ?1件あっても許せないと思うのに、何も思わないあなたのような人は信じられません。 勘違いしてもらいたくないのは、私は、あなたのように良識ある大人がばかりが多い社会を心から望んでますし、そうあってほしいですよ。 しかし現実はあまりにも・・・悲惨でした。

  • suzuko
  • ベストアンサー率38% (1112/2922)
回答No.4

現職教員です。 教員による「性犯罪」が昨今マスコミなどで多く取りざたされ、憂われる気持ちは分かります。 >個人的な意見ですが、男性の教師のほとんどは女子児童、生徒を 性的な対象として見てます。これはいろいろな情報筋で見聞きしたことですのでほぼ確かなことです。 >何かきっかけがあったらその誘惑に負けてしまう教師がほとんどと言っていい。 >現実に起こってる事件を見てもそれが裏付けられます。 かなりの極論では、ないでしょうか? よくTVで浮気をするタレントが「男は浮気をする物だ」と言っている事をあなたは信じますか? アダルトビデオを見て「女性はレイプされたがっている」とか、 少女漫画の教師物を読んで「女の子は先生にあこがれる」だとか。 ニュースになると言うことは、それだけ「非日常」でなければ、ニュースにはなりませんよ。ビデオ、読み物なども同じでは? 決して、監視する機関が必要ないと言っているわけではありません。体罰なども含め、親・地域・教師が子どもを育てていこうとする連携機関が活発に出来れば、不的確な教員は排除されていくとは思います。 是非、極論に走るのではなく、建設的な活動を目指されれば、賛同者は増えるのでは?

fffttt4242
質問者

お礼

現役の教師の方ですね。 ご意見ありがとうございます。 きっとあなたの願いも私の願いと同じく、子供の教師による性的搾取を 絶対に許さないというものだと思います。とかく教育界というのは 外部との接触を拒む傾向にありがちなので、あなたのような現役の教師から 意見をいただけるのはうれしく思います。 説明不足で極論のように思われますが、詳しい説明は下記に書きましたので ご一読ください。 簡単に言えば男はみんなすけべなもの、それを行動に移すかどうかは、個人によってさまざまなレベルがあるということです。 誰しもその可能性があるということなのです。 個人的に言えば教師は特に生徒に手を出すリスクは高いのですが。 なぜならば、対象が世間知らずで判断能力の完全でない未熟な子供であり、教師はさらにその子供に対してはある意味権力者ですから。 それを勘違いして事件を起こした教師が自らそう言っていましたよね?最近。 一般の大人の社会では対象が成人なので、性的な搾取から防衛するすべを 何かしらわかっていますので。 他のどの世界よりも、教育界ではこういうことを1件も許さないという気構えが無いとだめだと思いますよ。子供は国の宝じゃないですか。 さて、私が言いたいのは、可能性があるからと言って犯罪を犯してないものを排除はできないということです。採用試験などで適正を判断しても無理です。人間の本能なのですから。性衝動自体は罪ではないのですから。 たとえ子供に対する性衝動があっても教員を目指すものがそれを表に出す人などいるわけない。 だから、たとえそういう考えの人が教師でも、考えてるだけの段階から行動に移す前に段階的に防げるチェックシステムを作るべきと言っているのです。チェックの内容は検討の必要ありますが。。

回答No.3

No.1です。 >100人のうち犯罪を犯すものが2人いるとしたらとおっしゃいましたが、個人的な意見ですが、男性の教師のほとんどは女子児童、生徒を 性的な対象として見てます。 当方が仮定の話として出したのは、1000人に2人です。 男性教師の大多数が幼児性愛者とのご見解ですが、その仮説が本当なら誠に憂慮すべき事態であって、監視云々のような悠長な話をしている場合ではないでしょう。 それはつまり、男性は教員になってはいけないということです。「男性の教員採用禁止」を法制化する国民運動を始める必要があるでしょう。いや、もっと強硬手段をとって、自分の子どもの担任が男性だったら、それを忌避して登校させない。そして、教育システムを機能停止状態に追い込んででも、男性教員を放逐しなければならないでしょう。 それと、何も男性に限ったことではありません。高校の女性教員が教え子と肉体関係をもって問題になることもあるので、一部を全体に拡大する論法に照らせば、女性教員もみな男子児童・生徒に性的興味をもっていると捉えられかねません。 そうしたら、教員適格者は僅少になるでしょう。学校教育は成り立たないので、全て家庭教育に移行するしかないでしょう。 質問者様のお説は、このような帰結を招くほどの極論です。 正常な成人は子どもを性的な対象にはしない故に、幼児性愛者=異常性愛者です。それが特定の職種、こともあろうに教職に集中するとする仮説の根拠を、性的な志望動機のみに求めるというのは短絡に過ぎます。当方も周囲の教育関係者に直接聞いたわけではありませんが、教員の志望動機の大半は「子ども好き」であって、これは児童性愛と可逆性があるものではありません。 もちろん、教員の中には、子どもに対する性衝動を抑えられるか抑えられないかの境界線に立っている者もいますから、それを的確に認知して教育現場から適法に排除する手立てを、教育論から臨床心理・精神医学、人権・政策論などを総動員して構築し、第三者的な市民レベルでそれにどうコミットできるのかというところが、議論の射程になるべきです。 教師は飢えた野獣で、子どもがその獲物というのが学校の構図なら、世の親は明日から子どもを登校させられません。そんな監視機関ができても、ぜんぜん安心できないでしょう。

fffttt4242
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 数値の間違いもうしわけございませんでした。 本当は何時間もかけて話し合いたいことなのですが ここで話せる内容には限りがありますので説明不足になりがちで 真意が伝わりにくく感じるかもしれません。 確かに私の考えには極論の部分もあるかもしれません。 しかしもう少し私の真意を理解していただきたい。 これは教育の問題というよりも、性犯罪の問題になるかと思います。 男性というのは本能で女性に対する積極的な性衝動があるというのは否定しませんよね? しかしそれを言動に移すには個人差もあり、ある一定の段階的なレベルがあると思うのです。 (1)ほとんどその性衝動自体が起きない者 (2)性衝動は起こるが理性で抑えられ通常時は自分でコントロールできる者  (たとえ生徒から誘われても断固拒否できて教育者の立場で説諭できる者) (3)性衝動は起こるが理性で抑えられ通常時は自分でコントロールできる者  (しかし生徒から誘われた場合100%断る自信の無い者、あるいはあるきっかけがあれば(5)になる可能性のある者、そのきっかけもレベルがありますが、たとえば生徒の着替えをたまたま見てしまっとか、下着をたまたま見てしまったとか) (4)性衝動はあり積極的に生徒に対し性衝動を向け、消極的に機会を待つ者 (5)性衝動はあり積極的に生徒に対して性衝動を向け、積極的に自ら行動を起こす者 人間の本質を考えた上で、ほとんどの男性が(2)と(3)を行ったりきたりしてると思いますよ。ですから、あなたがおっしゃってる飢えた野獣という表現は適切ではありません。そういう可能性を持ってるものがほとんどだと言ってるだけです。簡単に言えば男はみんなすけべなもの。 なぜこの本質をオブラートに包んで隠そうとするのですか。 ならば、それを前提に、可能性から言動へ行動を起こす前にチェックできるようなシステムを作りましょうということなのです。 採用段階での排除は不可能ですから。それが人間の本質なのですからね。

fffttt4242
質問者

補足

さらにここで考えなくてはいけないのは、その性衝動が子供に対してもあるのかということです。 教員に限ってその比率は間違いなく高いと思います。 それは2つの側面から言えることです。 1つは、世の中の男性自体にいわゆるロリコンが増えています。今現在、あらゆる出版物、ネットの書込み、性商品の需要、犯罪傾向、それらを見れば明らかで、女子高生、女子中学生、女子小学生、児童、女児など、そういう言葉が積極的に使われてます。それは情報の提供者がその言葉により売り上げ、視聴率、書込み、などが増えることを知っているからです。 あきらかに需要がものすごくあるのです。 教員だけが例外ということはありえません。教員の中にもロリコンが相対的に増えています。 2つめは、教員になる男性の本音を聞くと、女子生徒と仲良くなりたいとか、あわよくば機会があれば個人的にでも付き合いたいと期待してるものがほとんどですよ?これは学生、塾講師、現役の教師の会話など聞いてますので事実です。 本音はなかなか言いませんよ?たしかに。 しかしこの現実を無視しないでください。 だからこそ、教員が性犯罪に走る可能性が多少なりともあるものとしての チェックシステムをつくらなければいけないと思うのです。

  • yosimako
  • ベストアンサー率19% (81/416)
回答No.2

監視社会、の行きつく先は?・・なにか寒々とした感がします。互いの信頼関係を損なう恐れがあります。ほとんどの場合、先生は真面目に教育活動されているだろうと考えるからです。 話は変わりますが、今どきの子供たちは、小さい子であっても情報を得ていて、セクハラ等に関しても敏感です。ですから、大人が監視しなくても子どもたち同士で監視しているようなものです。ですから、1対1になった時が危ないのであって、そうなると、学校に1人ぐらい監視員が来たところで見つけるのは容易でないでしょう。悪いことをするときは誰でも人前ではやらないということです。同じ職場にいても気づかないというくらいですから。学校や教師に隠蔽体質がある、とのことですが、これは教員に限らず、悪いことをする人の基本的な体質で、教員にだけ言える特別な体質ではないと思われます。悪いことをする人というのは、教員も医者も刑事も裁判官も首相も、・・・つまり誰であっても行動は共通してくるもので、自覚を忘れた瞬間から、みな同じということです。 こういう事件を起こす人はある意味病的であって、そういった人が教員になってしまっている、採用試験では判別できません。また、採用試験の倍率が上がれば上がるほどそういった人が何度もチャレンジして合格してしまうことも考えられます。 ぎすぎすした社会になればなるほど、結局は、弱い者(子供やお年寄り、女性等)のところにしわ寄せがいき、良かれと思ってやったことが、さらに首を絞める結果になることも考えられます。

fffttt4242
質問者

補足

ご回答ありがとうございます。 何か問題が起きて対策をそれに有効な対策を立てようとすると 効果があまり期待できないのでは?そか信頼関係を損なうからやめたほうがいいとか、教育界だけの問題ではないとか、採用試験では防ぎようが無いとか、消極的な意見だけ出てくるのですが、ある意味そういうことは当然のことです。100%有効な手段というものはなかなな存在しません。 しかしだから何もやらないのですか? 何もやらないで現状のままより、何かやろうとしてほんの少しでも効果があったほうがいいじゃないのかと思いますよ。そしてまた試行錯誤して改善して前へ前へ進んでいけばいいことなのです。なざ立ち止まろうとするのですか? 企業の膨大な極秘データを守るためには、いくつものチェック機能をつけて、第三者あるいは権限の無いものがたとえ悪意があってもアクセスできないようにしています。そこに人格の善悪は介在する余地はありません。 しかしそれによって企業人間の信頼関係が損なわれるなどということはありませんよ?ぎすぎすもしてませんしね。 逆に身の潔白が証明されているので安心して仕事できています。 なぜ教育会ではまことしやかにそのような免罪符みたいな理論が通るのでしょうか?教師を監視するというシステムと言っても刑務官が囚人を監視するようなことをしようと言ってるのではありません。 各レベルに応じた段階的なチェック機能を設けようというのです。 その一定の段階ごとに、子供に手を出そうとしてる教師がいれば 発見でき未然に防ぐことができるようなチェックシステムです。 内容については検討する必要がありますが、目指す方向はそういうことです。

回答No.1

不祥事が顕在化すると、すぐ第三者機関云々の議論になりますが、まずは、既存機関を活用することが本当にできないのかを、突き詰めて考えてみるべきかと思います。 そもそも、教育委員会は戦後改革の主柱であり、教育の民主化、自主性の理念を実現すべく、首長から独立した合議制の行政委員会として、アメリカに倣う形で設けられました。教育委員は、民間や有識者の中から任命されます。つまり、教育委員会自体が、教育行政に市民感覚を導入するためのシステムなのです。 ところが現状は、教育委員長を始めとする各委員が名誉職的なお飾りと化し、教育行政の実務を担う事務局だけがクローズアップされ、あたかも当該事務局のみが教育委員会の全てであるかの如く誤解されるに至っています。 謝罪会見で頭を下げるのは、教育委員会の事務局長に相当する教育長であって、これは複数の教育委員の一人に過ぎません。教育行政は教育委員の合議によって執行されるので、不祥事に至るまでに他の教育委員は、一体全体何をしていたのかということです。教育委員が本来のチェック機能を果たせない原因は何か、それは組織原理に起因するものなのか、あるいは、運用面で改善する余地があるのか、ということを深慮したのでしょうか? それをなおざりにして第三者機関を作ろうとしても、屋上屋を架すだけで、かえって混乱すると思います。 例えば、審議会についても、もともと中教審というものがあるのに、途中で教育臨調とか教育再生会議のような諮問会議も並立させながら、結局は特筆する成果もなく、訳がわからないまま尻すぼみになっています。 想定する組織が市民オンブズマン的なものなら実在するでしょうが、独立した監察権?を付与された市民団体はありませし、公権力をもつのなら法律の裏付けが必要でしょう。 それよりも、教育委員に本来の機能を回復させ、それに市民がコミットする手段を希求した方が現実的かと思います。既存システムの再活用については、その可能性を徹底的に探るべきです。 それから、PTAは何のためにあるのでしょうか? 子どもを守るためにあるのでしょう。これも本来のあるべき姿に戻るべきでしょう。 さらに、教員団体(教員組合など)との連携も必要でしょう。仮に教員1000人に2人の犯罪者が出るとして、残りの998人も全員監視対象にするのは無理です。「人を見たら泥棒と思え」というスタンスだけでは、事態を解決できません。良識的な部分は自浄努力に委ねるべきです。 以上のように、既存の教育委員会やPTA、教員団体などとの関係を考慮しないで、任意の監視団体を立ち上げたとしても、その実効性は極めて脆弱なものになるでしょう。 新たな市民組織を志向するならば、既存のシステムを活性化するバッファー的な役割を目指すべきかと考えます。

fffttt4242
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 おっしゃることは実によく理解できます。 既存のシステムを本来あるべき姿に機能させるようにするというのは それはそれで大切でありそのほうがより現実的だと思います。 しかし、ここ何年か見てもわかるとおり一向に改善の兆しがありません。綱紀粛正を徹底させますとコメントを出した矢先に同じ県で教員のわいせつ事件が起こったりしてます。 社会保険庁や他の省庁を見てもわかるように保身を第一に考えてる公務員の組織に自浄作用を求めるのは無理です。 みんなの願いは、子供を性犯罪から守ることですよね? その目的を達成したいと思うなら、あれはだめこれはだめと言うのではなく、あらゆることを同時にあわせながらやっていけばよりチェックできるのではないかと思うのですが。 どんな組織の活動でも、やっぱり外部の目は絶対必要です。 特に学校というある意味社会とは隔絶された世界では その中で権力のある教師が暴走しないように監視する者が 絶対に必要だと思いますよ。 100人のうち犯罪を犯すものが2人いるとしたらとおっしゃいましたが、個人的な意見ですが、男性の教師のほとんどは女子児童、生徒を 性的な対象として見てます。これはいろいろな情報筋で見聞きしたことですのでほぼ確かなことです。 何かきっかけがあったらその誘惑に負けてしまう教師がほとんどと言っていい。 現実に起こってる事件を見てもそれが裏付けられます。 生徒が誘ってきたらやるし、二人っきりなったらやるし、部活の指導と称してやるし、個別指導と称してやる。 教師の危険性は、警察や司法機関が多分1番わかってると思います。 認めたくないと思いますが、教員を目指す男性のほとんどは、女の子に人気者になりたい、好かれたいと思っていますし、子供を性的な対象あるいは付き合う許容範囲内の異性として考えてます。 いわゆるロリコンですね。この事実を直視するべきです。 もしも子供を性的な対象として見てる教師がいるとして、その人ならどうやって周りにわからないように子供に被害を及ぼすかを考えて対策を練るべきです。そういう教師に自覚を促しても確信犯なのですからより巧妙に犯罪を行うに決まってるじゃないですか。 はっきり言って教育委員会のやり方や役人が考えるやり方では甘すぎます。

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