• ベストアンサー

中文解釈

定語として前の文の成分を使うとき、省略できずに「代名詞+的」で置き換えなければならないかどうか、という問題です。 I 王さんはよく勉強する学生で、学習態度も非常に真面目です。 小王是一个很用功的学生,学習非常認真。 という例文があります。 1: 他学習非常認真。 という意味で理解していいですか? つまり、文法上は非常認真は結果補語になります。 2: 他的学習態度非常認真。 とも書き換えられますよね? II 自分で中作した文です。 私には妹がいます。彼女の歌声は非常に美しい 我有一个妹妹,她的歌声非常好听。 3: ここで、 我有一个妹妹,歌声非常好听。 とするのは不可ですよね? III まったく話題がそれます。 状語として使うとき「地」がつかないこともしばしばありますが、 それが模範的普通話の範囲内で、常に「地」を省略されるべきとなっているのか、それとも「地」がついてもいいものか、文法上一応ルールはありますが、日本人には判断が難しいです。 この前、懇意にしていただいてる中国の人に「詳細」を状語として使ったら、「詳細地」で帰ってきましたw みなさんは、「地」がつかなそうなものを、ノートに書きつけたりしてるんですか?

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • cubics
  • ベストアンサー率41% (1748/4171)
回答No.2

Iは、主述述語文というやつで、結果補語ではないと思います。 主述フレーズが述語(や主語)になるケースは結構あります。 「他的学習態度」と置き換えても意味はそれほど変わらないですが、「他的学習態度」も理由の一つとして「他学習非常認真」だと思います。 つまり「他学習非常認真。」の方が、範囲が広いでしょうね。 IIは、Iで述べたように、文法的に可能です。 ただ、No.1 さんのおっしゃることもありますし、何か硬いですね。^^;) IIIは、「地」が付くか付かないかは、まず動詞を修飾するのが自然かどうかを考えるといいでしょう。 状語になるもので、副詞や時間詞、助動詞、介詞句などは動詞との結びつきが強いので「地」は使いませんね。 一方、動詞や動詞句、動詞的な形容詞、複数の語句が組み合わされたフレーズ(句)の場合は、「地」で受けて動詞につなげるのが一般的です。 日本語でも「勉強する」を「まじめ」で修飾する場合「まじめに」と「に」を入れるようなものです。 まあ、最近の日本語は直接くっつけたりしてますが。 「まじ勉強する」とか。(笑) なお「III」のローマ数字で変換されたものは、インターネットの世界では機種依存文字といった避けるべき文字とされているので、なるべく使わないようにしましょう。(外国語コードの世界では文字化けしたりするので)

noname#98991
質問者

お礼

ああ、よくわかりました ありがとうございます!! 先日の「完」の問題もありがとうございます 文のつなぎ目に、主語はよく省略されるんですが、 主述述語文においても、主語は省略することが可能なんですね 他学習非常認真←主述述語文 これを 他的学習非常認真←形容詞述語文 と読んでいたので、定語も文のつなぎ目によく省略されるか、という問題が浮かびました ただ、 学習非常認真を「素直に」読むと、非常認真は結果補語にしか思えなくて・・・ 主述述語文においての主語は省略ははじめてみました★ さっそく、ノートに書いておきます!! IIについては、今回の問題設定の、 「定語も、文のつなぎ目に省略されるか」ということで、省略も可能 だということがわかりました こういうことも文法書に書いておいて欲しいのですが・・・ パソコン苦手なほうなので・・・(大汗 わかりました 気をつけます 地については、うーん。まだよくわからないです ぼちぼち頑張ります ありがとうございます★

全文を見る
すると、全ての回答が全文表示されます。

その他の回答 (3)

  • cubics
  • ベストアンサー率41% (1748/4171)
回答No.4

重ねて追加回答させていただきます。 私も理数系ですので、質問者様の理解は、完全に間違いだと言うことをまず申し 上げておきます。^^;) 結果補語とは、述語の直後に付加して述語を補うものであり、限られた動詞や形 容詞のみが結果補語となります。 たとえば「講好」の場合の「好」が結果補語です。 ですので、「程度補語」の間違いではないかと申し上げております。 他講課講得很出色←程度補語 我流で解釈なさることも理解を助ける上で有益な場合がありますが、解釈(場合 によっては定義)には仮説、仮定を設けることができても、公理に従わなければ 理論は成り立ちません。 何やら新しい世界を構築されようとしているようですが、たぶん破綻します。(笑)

noname#98991
質問者

お礼

す、すぃません; 若気の至りでお許しを・・・(大汗 添削されないとわからないです。苦笑 正直、状語VS補語の問題など、まだまだわからないところはいっぱいあります 大修館の中国語教室Q&A101のシリーズにちらほら解説があるんですが。 (理解してる範囲内で)文法ベースから文章を作ると間違いが生じ易いと良くわかりました やせ我慢をして、もうちょっと頑張ってみます。苦笑 ありがとうございます★

全文を見る
すると、全ての回答が全文表示されます。
  • cubics
  • ベストアンサー率41% (1748/4171)
回答No.3

> 主述述語文においても、主語は省略することが可能なんですね 勘違いなされているようですが、主述述語文とは主述フレーズ(句)が述語に なっている文のことです。 他+「学習+非常認真」 主語+「述語=(主語+述語)」 主語の省略と思われているのは、おそらく「彼がまじめだ」という意味で考えて いるからだと推測いたしますが。 この文章は、「学習がまじめだ」という主述フレーズがあって、それを述語とし て、そこに「彼は」という主語が加わった構造になります。 結果補語ではなく程度補語(「得」を用いる)と混同されているようにも見受け られますが、補語ではなく主語述語で表現されます。 日本的な発想で、補語になるような気がするのはわかります。^^;) 補足回答のためにも、今後はすぐにクローズされない方がよろしいかと。

noname#98991
質問者

お礼

追加記述ありがとうございます★ またどこかで悪さをして、ここのサポート部からのお叱りメールかと思い驚きました。苦笑 中国語は多少、我流の文法を構成しないとわからない言語なので、←ここもお叱りでしょうがw 自分で解釈した方法に矛盾があれば、別の解釈を新たに創造するという、ものすごい勉強方法をしています かなり遠回りですが、元々専攻が数物系なので、こういう方法はそんなには苦痛にならないです。むしろ面白いと思っています。 次の解釈も、参考書と我流文法を接合して自分で作ったものです ・・・・・・・・・・・・ 次は主部・述部の解釈がわかれる例である 主述述語文 他講課很出色 1他が主語で、講課很出色が主述フレーズ←他と講課の間にポーズ置ける 2他講課が主語で、很出色が述語←他講課と很出色の間にポーズ置ける 3他が主語、很出色が結果補語の動詞述語文 ただし、形容詞が結果補語になれるのは一部である このように解釈に多様性が発現するのは講課が動詞でもあり、動詞主語文にもなるからである ・・・・・・・・・・・・ 今回いただいた回答では、上の1にあたると思います 中国語は、文法的に構成しようとすると、ものすごい難しいです たぶん、ある程度は理解していると思うので、大丈夫です それでも、なにかあったら叱ってくださいw わざわざありがとうございます★

全文を見る
すると、全ての回答が全文表示されます。
  • netnoble
  • ベストアンサー率50% (1/2)
回答No.1

僕は中国人です、説明してさせていただきます。 1. 「他学習非常認真。」と「他的学習態度非常認真。」は、意味が同じです。文法の観点からみると、極めて小さい区別があります。 「他学習非常認真。」の主語は「彼」です、「学習」は彼の補充説明です。 「他的学習態度非常認真。」の主語は「学習態度」です、「彼」は連体修飾語です、つまり中国語の「定語」と言うことです。 一つ例文を分析する時、修飾の成分を抜き、主語と述語と目的語だけの場合、意味が変わらずと思います。 例えば、 修飾の成分を抜く時、 他学習非常認真。=他認真。 他的学習態度非常認真。=学習態度認真。 ですから、例文の感じがちょっと違うと思います。 でも、中国人にとって、このような分析の必要がありません、どちらも分かることができます。 2. 「私には妹がいます。彼女の歌声は非常に美しい」について、 この例文は特別な理由がない、「彼女の」付けの時、更に連貫、自然の感じがあります。 我有一个妹妹,歌声非常好听。⇒いいですけど、不自然です。 我有一个妹妹,唱歌非常好听。⇒いい 3. A的B+述語+目的語 例えば 的がある時、Aは定語、Bは主語 的がない時、Aは主語、Bは主語の補足語。 名詞関連⇒「的」を使います、 動詞関連⇒「地」を使います、 形容詞関連⇒「得」を使います、 例えば 我的哥哥、愉快地接受、冷得発抖など。 以上、ご参照まで。

noname#98991
質問者

お礼

謝謝nin的説明。 中国語は難しいです。 英語ほど、「本当にわかっている人」が少ないので、学習には苦労します。 あと、10年くらいすれば、もっと中国語を学ぶのが簡単になると思いますが・・・ 我有一个妹妹,歌声非常好听。⇒いいですけど、不自然です。 我有一个妹妹,唱歌非常好听。⇒いい という不自然かどうかは、日本人には難しいです とりあえず、「大丈夫」というふうに理解しておきます ありがとうございます!

全文を見る
すると、全ての回答が全文表示されます。

関連するQ&A

  • 日本語を添削していただけませんか

    日本語の学習者ですが、今は中国語の和訳はやってます。しかし、とても話し言葉の分ですから、訳しにくい感じます。今の文はちょっと変な感じじゃないですか。だから添削することをお願いしたいんです。文法的に完璧になる必要はないですが、日本人の日常的な会話に似たほうがいいと思います。ちょっと長い文ですみません。よろしくお願いします 文: 王宇翔(男,略して王と呼ぶ)はずっと前から高橋ちゃんに下心がある ある日、二人は試験と言語の勉強の難しい点について話していた 高橋ちゃんは「中国語が難しい」と言った 王さんは「日本語も易しくない」と言った 高橋ちゃんは「王さんの日本語すごくうまい」言った 王さんは少し謙虚になって、「一年生のとき日本人の留学生との交流が役立ったのだ」と答えた。 「その日本人の留学生は三保さん、今もいい友達だよ」とも王さんが言った 高橋美穂は「私と同じ名前?」と聞いた 王さんは「いえいえ、三保だ。男だよ」と答えた。 高橋ちゃんはすぐ分かって、「三保」と「美穂」の読み方の違いを王さんに教えた。 王さんはすぐ感激な顔で「日本語の発音大変難しい。私たちも相互学習しよう」と言った 高橋ちゃんは騙されたのも知らないでうれしそうに「よかったな。今後もよろしく」と言った。 問題になるのは、いつも勉強家のように見える王さんが名前を読み間違えたこと。 その一年間わたって一緒に勉強していた男。 まさかずっとこの兄さんを女の名前「美穂」で呼んだのじゃない?

  • “了”について。“她的丈夫做的饭菜真好吃了,~。”

    中国語(普通話)を独学している初学者です。 つたない中国語で作文し、日本語がわかる中国人(主に大学生)4人が添削してくれました。 前段にある話は、「先週、友達の家を訪問したところ、その友達の旦那がプロ級の美味しい料理をたくさん作ってふるまってくれた」という、過去のエピソードについてです。 自分の文:她的丈夫做的饭菜真好吃了,所以我吃饱。        (彼の料理はとてもおいしかったので、私はお腹いっぱい食べました。) 添削者a):(她)丈夫的饭菜(做的)真好吃,我吃饱了。 添削者b):她的丈夫做的饭菜真好吃,我吃得很饱。 添削者c):她的丈夫的饭菜真的非常好吃,我吃得很饱。 添削者d):她的丈夫做的饭菜真好吃,我吃得很饱。 b)~d)が“了”削除したので、質問したところ、2名がコメントを寄せてくれました。 添削者c):嗯,“我吃得很飽了”其實也可以的~。“了”字詞性比較多,助詞、語氣詞、動詞、副詞、形容詞...所以用起來會比較難。 用日語舉例我不太懂,sorry,剛開始學日語,對日語有很多不明白的地方。 ※初めの2行は、自分の能力不足&繁体字なので読解がまだうまくできていません(*_*) 添削者d):実は、「了」を加えてもいいですよ。でも、文章を書く時、普通は「了」を抜くと思います。「我吃饱了」は文法は大丈夫です、実際に私は厳し過ぎて添削しましたよね。 言葉は“生き物”なので時代とともに変わっていくものですが、自分は初学者なので報告書でも通じる正しい文法をまずは習得したいと思っています。 4名の添削者の添削は、日常会話的な感じの添削になるのかそのニュアンスを知りたいです。 どうぞよろしくお願いいたします。

  • 「あの本を読んでいる人は王さんです。」の理解

     私は中国人で日本語を勉強しています。勝手に作った文について質問します。  「あの本を読んでいる人は王さんです。」この文を単語に区切ると、二通りの理解があると言えるでしょうか。特に1のような区切り方があるかどうか、自信がありません。1は間違っていますか。やはり、「本を読んでいる あの人は 王さんです。」が文法的には合っているのでしょうか。 1.あの 本を読んでいる人は 王さんです。 2.あの本を 読んでいる人は 王さんです。  よろしければ、質問文の不自然な部分の添削もお願い致します。

  • 二つの文の違い

    日本語の学習者なんですが、日本語を教えていただけないでしょうか。 A「田中先生、車の中で少少お待ちください、王先生を出迎えに行きます、すぐ帰りますから。」 B 「田中先生、車の中で少少お待ちください、王先生を出迎えに行ってきます、すぐ帰りますから。」 以上の二つの文はどちらでも正しいですか、そして、二つの文の違いはなんでしょうか 以上 よろしくお願いします

  • 自立語の省略

    「だよね」「ですね」「らしいね」「かもよ」、さらには「血液型は?」「は、O型です。」のように、いわゆる「付属語」から始まる文って結構耳にすると思います。そもそも付属語は単独では使えず常に自立語に後接して文中で機能を表すものですよね。どうして自立語が省略されても良いのでしょうか?「(私は)日本人です」のような「句・文法項の省略」とは何か少し違うような気がするのですが・・・

  • 「どこへ行くにも」の「にも」の文法的説明は?

    「どこに行くにも、便利です。」や「何をするにも、時間がかかる。」の文の中に使われている「にも」の文法的な説明がわかりません。日本語学習者は「旅行に持っていくのに、便利です。」や「食べるのに、時間がかかる。」などと「動詞(辞書形)+のに」を学習しますが、「疑問詞+動詞(辞書形)+にも」の文法的説明がどこにも見当たりません。どうぞお教えください!

  • 中国語の疑問文

    中国語(普通話)で、 「他有妹妹。」(彼には妹がいる。)を疑問文にした「彼には妹がいますか?」という意味の中国語は、次のうちのどれが正しいのでしょうか。 他有没有妹妹? 他有妹妹没有? 他有妹妹口馬?(口馬 は 口ヘンに馬) もし、どれも正しいなら、どうニュアンスが違うのですか。 この質問は、疑問文の作り方を問うものですが、 上記の中国語はすべて、中国語学習初心者の私が作ったものですので、それ以外でも何かご指摘いただければうれしいです。

  • 文法がよくわからないので教えてください

    教えてください。 日本の映画の中国語字幕からの文章→ 我有些事情想要交待給你。 あなたに引き継いでもらいたいことがある。←日本語でこう言っていま                     した 「我有些事情想要交待給你的事情。」中華系の日本語が本当に上手な人(その人は文法はだめなんです)が、これでもOKだと言っていました。ただ上のほうが丁寧だそうです でも、「這是我買的東西。」OK 「這是東西我買。」 間違いと言われました。 私は日本語で考えてしまうからいけないのかもしれませんが、目的語に当たる文節を考えると、上の例も、下の例も同じように思えるんです。 英語の関係代名詞のように 「あなたに引き継いでもらいたい」が「こと」を修飾し、「私が買った」が「もの」を修飾している 後ろから前へ訳すと言う感じです。だからなぜ「這是東西我買。」この文法が間違いなのかわからないんです。 あと、例えば「洗った服」ですが、 請把洗了的衣服放在那裏。這件是我洗的衣服。 正しく文を作れていないかもしれませんが、「了」の過去の意味で使う場合がいつもよくわからないんです。教えてください。 どうぞよろしくお願い致します。

  • 疑問の形

    中国語学習者の初心者です。中国語の疑問文ですが、那na 马 maの違いは何でしょうか?間違えていたらすみません。疑問文でどちらも出てくるので、どの場合にどれを使用するのか?分からないです。また、文法を学んだり調べたりするサイト、や書籍があればご教示お願いします。

  • 文法?

    文法? 下の文を直してくださいませんか。文法や内容の関係、書き言葉などを調べて頂けないでしょうか。「私はタイ人です。今、タイで日本語専攻として勉強しています。お願い致します。」 日本でどのような学問を学びたいか。 私は日本語を専攻し、地理学を副専攻として学習しています。そのため、 タイ人の日本語学習者には、どのような問題があるのかをよく知っています。それは、日本語の文法の条件がタイ語より細かいことです。タイ人の日本語学習者はあまり理解していない日本語を使ったら大変だと思います。もう一つの問題は日本の文化についてよく勘違いすることです。その国の文化に理解しなかったら、外国語学習を成功することができないと思います。ですから、日本の政府から奨学金を受ければ、タイ人の日本語学習者にとって勘違いしやすい日本語の文法も言葉に関する文化も学びたいと思います。   タイ人の日本語学習者にとって難しいのは、条件が多い文法の使い方だと思います。動詞、助詞、名詞など色々な文法用語を覚え、また、文法上の多くの制約事項を理解しなければなりません。例えば、私は日本人の友達に「一人でプーケットへ行けますか。」と聞いたことがありますが、ある人は「いい地図を持っていたら、自分で行けると思います。」と答え、もう一人は「いい地図を持っていれば、自分で行けると思います。」と答えました。どちらでも「自分は地図を見て行ける。」という意味だと分かりましたが、「~ば」と「~たら」の違いはどこにあるのかは、ずっとわからずにいます。それで、日本語能力の向上のために学習したいと思います。 それに、言葉は文化を伝達するのに使うものだと聞いたことがあります。言葉と文化には深い関係があると思います。したがって、言葉がよく分かるためには文化の理解が大事なものだと思います。また、特にコンミュニケーションで間違った言葉づかいをしないように、深く日本語を学習するには、文化学習も大切だと思っています。例えば、私は日本人の友達に贈り物をあげた時には、その日本人は「すみません。」と言いました。その時に、どうして「ありがとう。」を使わないのか疑問に思いました。私に感謝を表してくれたのは分かっても、使う理由が分かりません。それで、 日本人と意見を交換し、文化から反映した見方を理解したいと思います。 日本で勉強する機会があったら、日本語の教師になりたい私は、今の私のように日本語を勉強しているタイ人や日本語に興味があるタイ人などに正しい日本語を伝受するように、日本語の文法を深く学びたいと思います。また、日本人の考え方を理解するのは日本語能力の向上の役に立つと思うので、補助的に日本事情、日本文化に関する学習したいと思います。そして、帰国したら、特に日本語教育で人に勉強した日本語を生かせようと思います。