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石投?

法住寺合戦で、後白河法皇が、 「僧兵や石投の浮浪民などをかき集め、堀や柵をめぐらせ」たそうですが、 この「石投」って何か教えてください。 地名か職名でしょうか。 できれば読み方もお願いします。 いしなげ?でしょうか。

みんなの回答

  • pri_tama
  • ベストアンサー率47% (678/1421)
回答No.3

 「石投の浮浪民」とは、義経記に出てくる、印地と呼ばれる石合戦を得意とした無頼の徒の様な者を指しているのではないでしょうか?    「義経記 巻第4」土佐が勢百騎、白川の印地五十人相語らひ、京の案内者として、十月十七日の丑の刻許りに、六條堀川に押寄せたり。  ちなみに「印地」とは、石を投擲することによって対象を殺傷する戦闘技術の事で、手で普通に投げるだけでなく、西洋の投石器のような物やその代用として日本手ぬぐいを用いた物で投げたり、砲丸投げのように重量のあるものを投げつけるものなど様々な形態があります。  なお武田信玄が数百人規模の投石部隊を編成し、合戦に用いた事は有名です。    http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%B0%E5%9C%B0  国は変わりますが、ウェゲティウス(「古代ローマ人の軍事制度」の著作者)によると、前後を円錐形に加工した弾丸は皮革製の鎧をつけた兵士に対して弓矢よりも致命的で内臓を損傷する傷を負わせ、鎧をつけていなければ人体を貫通する威力が有るといっています。    http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%8A%95%E7%9F%B3%E5%99%A8  まあ、投石器(スリング)といっても実態は下Link先のような単純な物ですから、洋の東西を問わず色々な所で用いられています。(地域によっては、現在でも鳥などの小動物の猟に用いられています。)    http://slinging.org/    http://slinging.org/index.php?mact=Album,m5,default,1&m5albumid=7&m5returnid=53&page=53

J_KT
質問者

お礼

アドバイスありがとうございます。 やっぱり石を投げる、の意味なのでしょうかね。

noname#77472
noname#77472
回答No.2

ある人間の研究成果でしかありませんが、 石礫は弓矢に次いで負傷度があったと言います。 次いで創作に近いようですが、礫技に優れ、鳥を落とす。 一撃で人の動きを止めるツボを知る。 ほぼ狙いを外さぬ僧。(僧。^^;) また、 布によって飛ばし威力を増すともありますが、この辺はちと怪しい。 それと投石部隊や鳥落としはインカ帝国のコピーかもしれません。 山城でしたら、 丸太と細い山道に入ると巨大な石を転がし、これで勝敗が既に付いた例もあります。 当時の腹当鎧程度であれば十分に通用したと思います。 (顔、腕、足への深い裂傷) また、礫の大きさにもよりますが、頭部であれば衝撃も十分に効果があったと思います。 小石と考えず、投げられる大石と考えると良いと思います。 (一応は研究者の引用ですので。)

J_KT
質問者

お礼

アドバイスありがとうございます。 みなさんの意見が同じなので、石を投げる、というのが有力そうですね。

  • tanuki4u
  • ベストアンサー率33% (2764/8360)
回答No.1

石つぶてを投げる役じゃないかな。 戦国時代末期まで、石つぶては重要な飛び道具だったらしいから。

J_KT
質問者

お礼

ありがとうございます。 平安後期、鎌倉前期くらいの時代なのでそうでしょうか。 そういう人を城の武装にかり出した、ということかもしれませんね。

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