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量子力学?実験@ヒト 2

先日、同様なことを科学カテで質問したのですが、「素粒子系の人は馬鹿を笑いものにして楽しむ伝統がある」とか「『シュレディンガーの猫』の猫の代わりに人を使った実験のことではないか」「これは超有名な実験だから実行する意義は当然ある」などといった回答しか集まらず、解決の手がかりにもならずに締め切りました。 この「実験」と称されたことは、けっしてフザケてやっていたわけでもなさそうで、むしろ大マジメな考察の対象だったようなのです。但し、しょせん元々他分野の者ですから、本当に「素粒子系の人」ならば、やるわけもない実験なのだろうとは私自身は思っています。 改めてお聞きしたいのは、実際のヒトを量子一般に見立てて、たとえば他方を光子、他方を電子に見立てて両者の衝突を故意に仕組んだりなどした実験なるものを行うとすれば、そうしたことから何を目的にしたのであろうと推察できますでしょうか。 実験材料として、とても厭な思いをさせられまして、私なりに見当をつけている部分はあるのですが、この方面には至って疎いので、できれば多少とも専門の知識をお持ちのかた、単に「有名な実験だから」「笑い者にするため」などということでなく、いかにもシロウトが目論みそうだとかいった何か見当がおつきになるかたがおられましたら、よろしくお願いします。

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noname#175206
noname#175206
回答No.5

 補足、承りました。見当違いでなければよいのですが・・・。  素粒子のことですから、故意に仕組んだとしてもどうなるかは確率に支配されるでしょうね。で、結果を観測するまでは確定しないということです。仮に結果を観測することを先延ばしにすれば観測するまでは確率は確率のまま残るということになります。  計算式を振り回した方がおられたとのことですが、そういう事情を示したかったのかもしれません。式の上ではそうなりますから。しかし今問題と思われるのは、その式の解釈にあるのでしょうか。シュレディンガーは、この確率的ということが納得できず、シュレディンガーの猫という思考実験を示して、マクな物体が確率的に存在することになるが、これはおかしくないか?と疑問を投げかけたわけです。それに対する答が先に述べた他の量子論物理学者の言うコペンハーゲン学派解釈であり、多世界解釈であるわけです。  他にも、人間原理という解釈すらあります。月を見ていないときは月は存在していない、というのが有名でしょうか。観測されていないものは存在していないと解釈することも可能なわけです。  あくまでも、これらは数式に影響しない解釈の問題です。計算上は全く影響しません。私自身の解釈としては、「観測していない状態を作ることはできない」というものです。観測という言葉を使っていますが、それは相互作用があるということです。月を見ていなくても、たとえば月の重力の影響を受けます。月を全く観測しない状態はあり得ないのです。これが素粒子、たとえ光子でも、であっても事情は同じです。箱の中に閉じ込めようが何しようが、少なくとも重力だけは遮断できません。相互作用をなくすることはできないのです。

noname002
質問者

お礼

(補足欄より続く) 要は、シュレディンガーは「量子力学というミクロ物質についての不可思議な理論が、猫等のマクロな物質にまで影響するような実験装置」なるものを考えることで、量子力学が如何にメチャクチャなものであるかを示したかったのだ、ということなんですが。。。 う~ん、ホントに価値のある「実験」してたんだろうか; 厭な思いしか残らないようなこと。。。 やはり仰るように「解釈の問題」が鍵のようですね。 「相互作用をなくすることはできないのです。」 これも、なるほどと思いました。 結局、無理な相互作用を起こすことの意味、ですかね。 よろしければ、No.6さまへの補足も御覧になってみてください。 有難うございます。

noname002
質問者

補足

再度の御回答、有難うございます。分かりにくい質問で申し訳ないです。 観測される前には電子の位置は決まっておらず、観測されて初めて決定される。 「見ぬもの清し」という古いコトバを思い出してしまいましたが 1個の電子であっても、観測される前には、電子の位置は、ここか、あそこかと本当に複数場所に同時存在している。つまり「可能性」として多重存在している。つまりモヤモヤ、ゴチャゴチャ重なった状態ということだそうですね。で、仰られてる「コペンハーゲン解釈」というのは、観測してないときは「位置Aにいるかもしれない電子」と「位置Bにいるかもしれない電子」が、本当に本当に同時存在している、という考えかたなのだそうですね。 これ、物質として考えると奇妙な感じは勿論するんですけれど、人間の心理状態を考えたときには、私は、それほど、おかしいとは思えないんです。 そして、観測することによって、モヤモヤ、ゴチャゴチャの中から、一つの状態が選択され、それが観測される。 どの状態が観測されるかは、「シュレディンガー方程式(波動関数)」で、確率的に予測できる。 電子のようなミクロの物質は、観測するという行為によって状態を変えられてしまうため、もともとの正確な状態を知ることはできない。したがって「確率的にしか電子の状態を観測できない」というのは、単に、観測のやり方・精度の問題だから、「電子の位置は観測する前でも、本当は 決まっている」という考え方ができる。 回答者さまが仰る >仮に結果を観測することを先延ばしにすれば観測するまでは確率は確率のまま残るということになります。 これは実際、彼らの言動から思い当たるふしがあります。 しかし「2重スリット実験」問題は、どうなる? ……と、大急ぎで、ちょっと勉強してきました; さて、このミクロな電子の位置が、猫とかヒトとか、私たちが実際に見たり触れたりできるマクロなモノに影響を及ぼすような実験装置を想定したらどうなるか? う~ん、このあたりまで来て、イヤな気分になってきました。。。

その他の回答 (6)

noname#175206
noname#175206
回答No.7

 お礼、ありがとうございます。補足も承りました。  量子論については、現在の形に落ち着くまでに、シュレディンガーのように「マクロな物体が確率的というのはおかしい」とか、アインシュタインらに代表される「確率的などというのは物理学が未熟だからで、実は確定していたり、未知の力がある」などという主張を、「その解釈ではこうなるはずだが、実験の結果、やはり確率的で未知の力はないとしか言いようがない」ということの繰り返しがありました。今は、「やはり観測前は確率的に存在しており、因果関係を運ばないが光速度を越える現象もある」という見解で落ち着いています。  まあ、それでも人間は解釈をしないと落ち着かないものらしく「月を見ていないときに月は存在しない」などという見解も出てきたりします。  私がオンラインで教えを受けたある碩学な方の言によれば「統計力学や量子論の解釈、数学基礎論に深く足を突っ込むと、下手をすると頭がおかしくなる」ということなのだそうです。そうでなくとも、そういうことについて知らない人に説明したりすると、頭がおかしいのではと疑われたりします。統計力学など「やかんをコンロにかけて火をつけると、やかんの水が凍ることはありえる」といったりしますからね。ペンローズなどが主張する人間精神と量子論の関わりもそうかも知れません。  一見言動が異様になった方がおられたとのことですが、こういった常識的には奇妙なことを聞かされた結果かもしれませんね。お付き合いさせていただいていないので、断定はできませんが。分かりやすいはずの特殊相対論でさえ、「時間が遅くなる」「長さが縮む」「合わせてある時計が合っていなくなる」など説明しても、理解されないことが多いです。物理をやる上は、覚悟しないといけないことかもしれません。  あと、「分からなければ、勉強してから出直してきてもらいたい」というタイプの人は結構多いようです。これも、ひとつの見識であり間違ってはいないので仕方ありません。考え方を変えろとはいえないのです。

noname002
質問者

お礼

… くだんのサイトで起きたことは、どのように高尚な学問的理由をつけてみたところで、早い話がイジメであるという指摘も現にございますし、どだい、イイ年齢の大人たちがやることではありません。 結果的に大失敗であったということは、本人たちも認めているようですが、どうも以前にも何か問題があったように思われますし、今後も、こうしたことが繰り返されるようなことがあってはいけないと考えています。 実際、私自身、回復途中だった鬱病がぶり返してしまいましたし、こうした場合、最悪、自殺に追い込む恐れもあるということが、彼らには自覚できないようです。 某ちゃんねるとかでも、自殺に追い込んだという騒ぎが起きたそうですが、いかにも、ネット時代の典型的問題の一つではないかと思います。 今回の始終については、いずれ、社会的に明るみに出すことを検討しています。 有難うございます、参考になりました。

noname002
質問者

補足

今回もアドバイスいただき有難うございます。 くだんの専門家は確かに、統計力学や数学基礎論等に詳しいようですが 「下手をして頭がおかしく」なったというより、常識レベルでの判断力を失っておられるのか軽んじておられるように見受けます。 >一見言動が異様になった方がおられたとのことですが、こういった常識的には奇妙なことを聞かされた結果かもしれませんね。 いえ、私が、その掲示板に参加し始めて間もなくから、あまりに理不尽な事が続く理由を訊ねたところ、「ニュートリノの実験」云々と言い出したのです。ただの個人主催掲示板に過ぎない場で、こういうことを持ち出すというのが、おかしいと思います。 そもそも、ふつうの掲示板で何も特別なことはない、と説明されていたのですけれど、信用した者が悪いというリクツになるでしょうか。 >「分からなければ勉強してから出直してきてもらいたい」というタイプの人は結構多いようです。これも、ひとつの見識であり間違ってはいないので仕方ありません。 というよりは、つまり量子力学的実験においては、観測対象に知られてしまうと元も子もないからなのではと思います。 他に、「認識論」である、ということも言ってました。 「やかんをコンロにかけて火をつけると、やかんの水が凍ることはありえる」というのは、分子のぶつかりあいに関係していることだそうですね。もしかして、やかんに水を入れて火にかければ物理で、やかんの水を捨ててしまって「これで問題は当初に帰着された」とか言うと数学なんでしょうか?(笑) 挙げてくださったペンローズは、名前だけ聞いたことはあったのですが、どういう主張をしているのかは知りませんでした。 脳内で「量子トンネル効果」が起こることが意識の源だと主張している、のだそうですね。おもしろいですね。 (ところで「トンネル効果」とは辞書では「粒子が自分の運動エネルギーよりも大きなエネルギー障壁を、山のトンネルを通るようにして通り抜ける現象」とありましたが、あるサイトで、それは錯覚だと説明されていました。) 電子のようなミクロの物質は、観測するという行為によって状態を変えられてしまうため、もともとの正確な状態を知ることはできない。したがって「確率的にしか電子の状態を観測できない」というのは、単に、観測のやり方・精度の問題だから、「電子の位置は観測する前でも、本当は 決まっている」という考え方ができる。 ――以下は、No.2さまの補足欄に挙げた、哲学カテでの御回答例より 「真理」と「方法」とは単純に並置されているのではありません。 …… つまり「方法」なるものによっては「真理」は見えない、ということです。 「方法 method」という言葉は語源を遡るとギリシャ語の「meta hodos」になります。「道(hodos) に沿って(meta)」ということです。 この部分を、先回、私が述べた「無理な相互作用を起こすことの意味」も併せ、照らし合わすと、なかなか興味深いです。 >人間は解釈をしないと落ち着かないものらしく 本当に、そうですね、「安らかに納めたい」のですね。

  • shiara
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回答No.6

No2です。補足を見ましたが、どういう実験なのか、情報が少な過ぎて分かりません。少なくとも、量子力学とはまったく関係ないように思えます。もしかしたら、人間の心理を量子力学と関係付けようと考えているのかもしれません。量子力学と関係付けようとしたいのであれば、予想している結果をシュレーディンガー方程式から定量的に説明しなければなりません。

noname002
質問者

お礼

再度の御投稿、有難うございます。 先回の繰り返しになりますが 「両者(特に女性2者間)の衝突を故意に仕組んだりなどした」ということです。掲示板ですのでコトバのうえでですが。こちらの気持ちなどを無視して無理やり争い状態に持っていこうとしたわけです。(たとえば男女の三角関係的な) 女性の片方は数年前まで、それなりにマジメに誠実に応答する人だったようなのですが、数年前(つまり、実験とやらを行った科学者と共に同掲示板に参加するようになって)から、傍目にも言動が常軌を逸しているほどに成り果てています。 (たとえば、あたかも肯定と否定が同居したような文章、わざと主語を省く、ある物事を表現するのに、仲間内以外は通じないような暗喩で固めた文章を、当サイトも含め全くの無関係な個人ブログなどへ向けて、病的なほど夥しい回数を投稿し続ける等) 何故こんなに変わってしまったのかと訝しく思いましたが、第三者から脳障害を指摘する声もあるものの、どうも「実験」が絡んでいるように思うのです。あと、本人自身の文学志向とか個人の心理的なものも潜んでいるようです。 この人は至って論理的思考に向いていないタイプで、元来、根っから文系のようですので、先に挙げた科学分野の専門家とは、非常に差異があるのですが、そこを「文理の融合」とやら称して何事か図っていたらしいです。 ところが、もともと所属する分野や性向等が大きく異なる人たちなので、表向き同じ目標を掲げているようでいて、その実、内心での意向の食い違いや理解の程度に差があったようです。 実際、具体的現象として一番大きくは、くだんの女性と科学者でないほうの、もう一人の男性との、私に対し繰り返されたコトバ上の陰湿な攻撃的言動がありました。 それと女性のほうは、他の全く無関係な個人サイトにおいても、私に纏わる甚だしい暗喩表現を駆使しながら挑発的言動をとり続けました。非常に執拗で、私に対し、専門家氏への本心を明らかにせよという要求が目立ちました。 ちなみに、この女性、「超新星爆発は起こさない」とか言ってましたが。。。心理的意味合いを込めて言ってたようです。 >人間の心理を量子力学と関係付けようと考えているのかも はい、私も基本的には、そうじゃないかなと思います。

noname002
質問者

補足

補足を追加させていただきます。 物理カテでの過去質問『量子力学が変えた世界認識について』No.4さま御回答中の >「宇宙がかくあるために人間がかくある」といった従来の人間原理に対して、「人間がかくあるために宇宙がこうなった」といった「強い人間原理」が、量子力学や科学の立場から斬新に述べられているものだそうです。 と、こういったあたりも絡んでいるようなのですが、と申しますのは、くだんの専門家が 「そもそもパーに向かってしてる話やあれへんのやけどね、まあいちおー説明したろ。 電子ニュートリノに確かに質量があるのは分かってるけど、では質量はなんぼか聞かれたら精度が1桁もない。物理の標準模型によるとニュートリノの質量はゼロ、標準模型が違ってるのは決まり。それで標準模型の次の理論の候補が幾つも考えられているけども、ニュートリノの質量の予言値が皆ばらばら。だからニュートリノの質量をもっときっちり測ったらどの理論がダメなのかもうちょっとはっきりするやろゆうのがFZK実験。なんせ理論もない実験。ほんとにうまいこと行くかどうかはやってみないと分からんし、カミオカンデみたいに予想外の発見に行き着くかも知れない。だから、どこに行くか分からんなあ、ゆう話や。」 「最近、WMAP探査機が宇宙背景輻射の精密な天球図を作り上げた。 背景輻射が発見されてから1990年代になるまで、それは「宇宙のあらゆる方向から一様な強度で飛んで来る、温度4.2Kの黒体輻射」としか分からなかった。ところが観測の精度が上がるにつれて、決して強度は一様でなく、実は数万分の1の差という僅かなものではあるが、強弱にムラがあることが発見された。このことを根拠にして、誕生間もない宇宙の膨張が、この僅かなムラが均質化されてしまわないうちに、つまり非常に急激に、実に光速など遥かに越える勢いで起こったと信じられるようになった。宇宙の歴史がまだ1秒の(10億×1兆×1兆)分の1 だった頃の話である。 さて、WMAPは高い解像度でムラのツブの大きさを精密に測定した。その統計的性質を調べた結果、現在知られている物理学では説明されない未発見の二つの成分が、宇宙の質量のほとんどを占めていることが確実だと信じられるようになり、しかもそれらの成分が如何なる性質を持つ筈であるかを、かなりの信憑性をもって予測すらできるようになった。だから新しい物理学を求めて、巨大な実験装置や、数学の言葉すらまだ整備されていない精緻な理論が建設されている。 単に検出器のノイズを下げ、単に検出器の数を増やし、単に長期間観測を続けた成果である。単に量を変えただけのことだが、それによって、今まで「同じ」としか見えなかったものの中に区別が付くようになり、全く新しい地平が開けた。「量から質への転換」と呼ぶべきことであろう。」 「宇宙の構造を説明するために、過去にインフレーションという現象が起こったと仮定する。そんな現象が起こる機構として、誰も見たことがないどころか類似物すら知られていない粒子や場の存在を仮定する。 仮説の上に仮説を重ねたとても危なっかしい構造物。直接実験する訳にはいかず、極めて高い精度で過去の非常に多くの観測結果を説明し、これから行われる観測結果を予言し続けられるかどうか、によってだけ試される理論。いずれ捨て去られる運命にあることは最初から分かっている理論。 とてつもなく集中し続けることによってしか到達できず、しかも、何年も掛けて築いた ものがたった 一つのデータで明日にでも葬り去られる。そんな、すさまじいほどの厳しさを全く分かってない馬鹿」 「質問をした人に分かるようにきちんと説明しようとすれば、とんでもなく時間が掛かる。いや、幾ら時間を掛けたって多分分かりはしないだろう。ま、ごまかす、ってことですね。」 とまぁ、このように述べてきております。なお 「インフレーションという現象」「これから行われる観測の結果」などというのは、実際の人と人の間でのことらしいです。 また、以下の参考URLは、このときの話題の一つが、第三者のかたの目にとまり、そのかたのブログにてとりあげられたものです。 『カラスが黒いことを科学的に証明できるか』 http://ksyuumei.exblog.jp/5507422 それから、以下のスレは、事の成り行きについて私が先日質問したものです。やはり曖昧な状態のまま質問していますが、よろしければ飽くまで参考として御覧になってみてください。 http://oshiete1.goo.ne.jp/qa4554613.html                      

noname#175206
noname#175206
回答No.4

 シュレディンガーの猫ですね。量子論の計算問題ではなく、その解釈についての議論なので、正解があるわけではないでしょう。コペンハーゲン学派は「その通り、50%生存で50%死亡の猫となる」と言い、多世界解釈は枝分かれだと言います。猫をヒトに代えても同じことです。生物を使った思考実験なのは、そのほうが不思議で考えさせられるからでしょうね。  役割を光子と電子に変えても事情は変わりません。観測するまでは確率的であり確定しないというだけです。こういう回答をご希望でないような気がしましたが、興味を惹かれましたので。お許しください。

noname002
質問者

補足

御回答、有難うございます。返事が遅れ失礼しました。 恐縮ですが、よろしければNo.2さまへの補足をヒントにしていただければと思います。 但し、補足欄で述べたことだけでは納まらない部分もあろうかとは思います。なにしろ実験者、被験者含めて人間の心理が絡んでいることのようですので。 確かに、「実験してた」と言った人は工学分野の専門家だそうですが、確率とか、それに関連して数式をブンブン振り回しておられました。 のちほど改めて、お礼を申し上げます。 とりあえず補足欄にて。

noname#74718
noname#74718
回答No.3

生物学や医学で量子力学を使って厳密な理論を作ろうという実験ではないでしょうか。 シュレディンガーの猫の実験に猫ではなく人間を使うのはもちろん違法です。猫でも動物虐待といわれるかも知れません。 >実際のヒトを量子一般に見立てて 量子の集まりには間違いありません。分子・原子レベルで考えてください。そういう実験ではなかったら本当に貴方が言うような嫌な実験なのでしょう。

noname002
質問者

お礼

>シュレディンガーの猫の実験に猫ではなく人間を使うのはもちろん違法です。猫でも動物虐待といわれるかも知れません。 そうですよね、『シュレディンガーの猫』というのは思考実験ですし、私は、いわば人体実験されたみたいなものです、それも無断で。 もっとも、この場合、承諾を得てからでは意味がないということはあるのでしょうけど。 >実際のヒトを量子一般に見立てて >量子の集まりには間違いありません。分子・原子レベルで考えてください。 このことは存じてましたが >そういう実験ではなかったら本当に貴方が言うような嫌な実験なのでしょう。 とにかく不愉快でした。しかも一切の謝罪もありませんでしたので。まるで狂信的宗教です。 改めて、有難うございました。

noname002
質問者

補足

御回答、有難うございます。返事が遅れ失礼しました。 恐縮ですが、よろしければNo.2さまへの補足をヒントにしていただければと思います。 但し、補足欄で述べたことだけでは納まらない部分もあろうかとは思います。なにしろ実験者、被験者含めて人間の心理が絡んでいることのようですので。 確かに、工学や医療関係の専門家だそうで、御本人いわく「バカには理解できない高尚な実験による厳密な理論構築」を行っていたのだそうです。 No.1さまも「加虐性」を御指摘ですが、実に厭な実験でした。 「シュレディンガーの猫の実験」じたいは、純然たる思考実験ではないですか?しかもシュレディンガー自身は量子力学に幻滅して、「シュレディンガーの猫」を提案したのだとか聞きました。 とりあえず補足欄を使用しましたが、のちほど改めて、お礼申し上げるつもりです。                 

  • shiara
  • ベストアンサー率33% (85/251)
回答No.2

どういう実験だったのか、その説明がなければ、何を目的にしたのかを推測することはできません。

noname002
質問者

補足

早速の御投稿、有難うございます。返事が遅れ失礼しました。 質問本文に挙げた >両者の衝突を故意に仕組んだりなどした ということです。 要するに、こちらの気持ちなどを無視して無理やり争い状態に持っていこうとしたわけです。(たとえば男女の三角関係的な) どこからが実験で、どこからその範囲外なのか私は正確には知りませんが、その場において、かかわっていた人たち、それぞれの思惑が錯綜していたもようです。そのため互いの意思疎通に齟齬が生じ、失敗したらしいです。 ヒントとして舞台は、とある哲学系掲示板 登場人物は、科学分野の専門家にして記号論理学の信俸者である男性一人(及び傍観者としての男性一人)に女性二人(一人は古参、抑圧傾向の顕著な文章を書く。一人は男性に勧誘された新入り) なお、以下は哲学カテゴリーでのスレ 『人間にとって物語って何なのでしょう?』No.8御回答からの抜粋です。(この御回答者は間接的に関係がある人です) 「二、三歳くらいの女の子が電車に乗っています。初めて電車に乗りました。「電車」という言葉も初めてです。だからこの子は「デンシャ、デンシャ」と嬉しそうにつぶやきながら外を眺めています。ところが突然妙なことを言い出しました。 「ママ、デンシャってにんげん?そえとも、おにんぎょう?」 …… この子の内面では、それまで以下のような「世界の分節化」(世界の整理棚)があり、それで何ら不都合なく生きていられたのです。すなわち    「柔らかくて、暖かくて、動くもの=人間」    「固くて、冷たくて、動かないもの=人形」 です。 ところがこの日、初めて電車に乗った。「固くて冷たいけど、動くもの」に遭遇したのです。それで「どっち?」ということになったわけです。 …… この女の子が上記二項からなる整理棚に拘泥しつづけるかぎり「電車」は未知のものであり続けます。実際にはそうではないでしょう。いずれ彼女なりの「物語」を経て    「固くて、冷たいけど、動くもの=機械」 という第三の棚を「析出」させることでしょう。彼女に与えられた世界そのものには何の変化もありませんが、彼女の中で、この世界を整理する仕切りが一歩、細かくなるのです。すると…「電車」なるものは彼女の言語体系の中に「安らかに収まる」ことになります。 ここで言えることは、彼女は世界に新しい区切りを投げかけている(分節化している)と同時に自分自身の内的言語体系の中にも新たな区切りを刻んでいる(分節化している)ということです。世界の分節と言語体系の分節は同時的なのです。 …… 「真理」と「方法」とは単純に並置されているのではありません。 …… つまり「方法」なるものによっては「真理」は見えない、ということです。 「方法 method」という言葉は語源を遡るとギリシャ語の「meta hodos」になります。「道(hodos) に沿って(meta)」ということです。 …… 先入観は、テクスト理解に必要な「解釈者自身の持つ意味連関」として積極的に評価されます。「なければならないものである」ということです。 …… テクストそのものは元々解釈者のそれとは異なる意味連関(歴史的背景)に支えられて成立しているわけですから当然、解釈者が自分の意味連関に、言い換えれば「先入観」に閉じこもるかぎりは理解に限界が生じます。この限界は「テクストの側から」解釈者に投げつけられます。「わからない」という事態です。「意味が通じない」「一貫しない、矛盾する」などなどです。この事態に立ち至り、解釈者は「問」を立て、その答をテクストの中に模索し、答を見出すという形で自分の先入観から歩み出すことを余儀なくされます。 …… ここでは「先入観」という言い方をしていますが、これは「自分の持っている言語体系」と同じものと考えて差し支えないでしょう。すると、ここでは「別の物語」との出会いの中で「自身の言語体系を乗り越える作業」が進行すると同時に「自身の言語体系を自覚化する作業」もまた、行われていることになると言えます。 …… 要するに、異なった言語体系同士が接触し、ぶつかりあうところに「問いと答えの弁証法」は生じうるわけですから、同じことは異文化理解の場面でも起こるでしょうし、あるいは一人の人間と他者との出会いの中でも起こりうることでしょう。別の育ち方をし別の価値観を持ち、別の言語体系を持つ者同士が触れ合えば、そこには必ず互いにとって未知のものが見出されるはずです。それは両者を「それまでの言語体系」から超脱させていく契機になるでしょうし、いわばそれを鏡として、自身のもつ「それまでの言語体系」を自覚化できるでしょう。手短に言えば、他人との関わりを通じて他者を媒介として自己を認識する、ということです。」 ちなみに私は彼らから「未知」の物体と見做されていたようです(苦笑

  • debukuro
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回答No.1

ビー球でも出来るのになぜ人を使うのか >そうしたことから何を目的にしたのであろうと推察できますでしょうか 実験者の加虐趣味が見える

noname002
質問者

お礼

早速の御回答、有難うございます。返事が遅れ失礼しました。 >ビー球でも出来るのになぜ人を使うのか ヒトの心理なども絡んでいたらしく、目的がヒト自身にあったからのようです。 「加虐趣味」と仰るのは、やはり、と思いました。第三者の人たちからも指摘はありましたし、本人も認めているようです。ブッているだけかもしれませんが。 実験していたと言う本人以上に、取り巻き連の人間性に引きずられたようにも窺えるのですが本人自身、何か大事なものが欠けているように見受けております。 いずれにせよ、年齢のわりに典型的な世間知らずのオボッチャマで女性の扱い方や、その心理に疎い専門バカ学者みたいです。博士号だの学問が泣きますね。 こういう人に教わる学生がいるなら、と日本の将来が思いやられました。 いまだに不快感が拭えません。

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