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二重スリットの実験とは?量子力学の不思議な世界について考察
- 量子力学の教科書を読んだことがないが、インターネットで二重スリットの実験について知り、興味を持った。
- 量子の波動性と粒子性の関係、そして観測の影響について疑問を感じている。
- 二重スリットの実験は光や電子などの観測によって結果が変わるのか、観測装置の有無で実験結果が変わるのかについて考えている。また、観測とは具体的に何を意味するのか、シュレディンガーの猫の言葉が的を射ているのかについても疑問を抱いている。さらに、分子でも同様の結果が得られるのかについても関心がある。
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> 量子力学でいう、観測とは具体的にはどういうことなのでしょうか? > 人間が認識するということなのでしょうか? > それとも、観測に必要な条件が揃っているということなのでしょうか? どちらかと言えば後者、つまり「観測に必要な条件が揃っている」ということです。 観測行為に限らず、外界との相互作用は全て干渉縞が消える原因になりえます(実際の実験は周囲を真空にしてやります) 実際に人間が結果を確認するか否かが干渉縞ができるかできないかに影響することはありません。 ただし、実際に「観測装置で観測した瞬間(外界と相互作用した瞬間)」にいわゆる波束の収縮が起こっているかというとそうとも言い切れず、このあたりには哲学的には微妙な問題がたくさんあります。 実際に何か特別なことが起こるのは人間が結果を認識した瞬間だ、という人もまだいると思います。 ただこれは、たとえば「観測装置が観測した瞬間に右スリットを通ったか左スリットを通ったかが確定する」のか「人間が結果を確認した瞬間に『右スリットを通った粒子とそれを観測した観測装置』と『左スリットを通った粒子とそれを観測した観測装置』のどちらかが確定する」のか「人間が結果を確認してもまだ『右スリットを通った粒子とそれを観測した人間』と『左スリットを通った粒子をそれを観測した人間』が重ね合わさったままである」のか、といった話であって、 どれにしたって「観測装置で観測を行うと(人間が結果を確認しなくても)干渉縞はできない」というところには相違はありません。 > 「どちらでもあり、どちらでもない」という言葉は、本当に的を射た言葉なのでしょうか? 「どちらでもあり、どちらでもない」という言い方は私は聞いたことがありません。 物理の言い方では「生きている状態と死んでいる状態が重なり合っている」などと言います。 いずれにしろ、そもそもが常識に反する世界なのですから、言葉での説明には限界があると思いますので、的を射ているかというと微妙です。 野球ボールでも「原理的には」干渉縞ができる、と考えている研究者がいまは多い(あるいは少なくはない)のではないかと思います。 ただし、野球ボールを「観測できない状況にする」難点も確かにありますが、むしろ「ド・ブロイ波長」と呼ばれるものが野球ボールほどの大きさのものでは非常に小さくなることが大きな難点だと思います。 干渉縞の間隔が、決して識別できないほどに非常に狭くなってしまいます。
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- s_hyama
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お礼ありがとうございます。 最近は以下のように結論しています。 相対論の相対論的質量や等価原理は誤りで 世界で一番有名な公式、 静止エネルギーE=慣性質量m・光速度c^2、も誤りで 力学と電磁気学を融合するには、 全エネルギーE=重力質量M・光速度c^2、が正しい 光速度c^2=粒子速度p^2+波動速度w^2において 絶対屈折率n=c/w 慣性質量mと重力質量Mの関係は、m=nM、M=m/n 波動量(Pw)=mw=Mc エネルギーE=Mc^2=mwc=(Pw)c 運動量(Pv)と波動量(Pw)と粒子速度pにご注意を! 飛んでもない光論より 実際、アインシュタインが特殊相対論を出すより前に、 ポアンカレが電磁場の「質量にあたるもの」Mが電磁場のエネルギーEとE=Mc^2の関係にある http://homepage3.nifty.com/iromono/PhysTips/mass.html
お礼
回答ありがとうございます。 ここで締め切らせていただきます
- s_hyama
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お礼、ありがとうございます。 電磁気学を勉強しているのなら話は早いですね。 量子論の解釈問題は、アインシュタイン博士の自作自演では? (m0)が質点の場合、地表静止の粒子条件は、 地表での重力ポテンシャル:2GM/r、移動速度v=0 粒子速度p^2=2GM/r+v^2、だから その環境で光波を伝播させると、光波速度(w0)=√(c^2-2GM/r)です。 全エネルギーE=(m0)c^2=(m0)(p^2+w^2)ですから、 v=0につき、p^2=2GM/r、 位置エネルギーGM(m0)/r=(m0)(c^2-(w0)^2)/2=運動エネルギー(m0)v^2/2 だから電磁気学のE=mc^2と力学を融合するには、 光速度c^2=粒子速度p^2+波動速度w^2 と粒子と波動の二重性を公式で定義してから光速度を定めないと相関が狂いますね。 ★まあ、重力の存在しない環境は宇宙にないですから、考慮する考慮しないという問題ではないですねw 地表静止でない場合も、地表静止相対屈折率n=(w0)/wを掛け 全エネルギーE=n(m0)c^2、ですね。 波動運動量(p0)=(m0)(w0)の場合は、絶対屈折率(n0)=c/wを掛け、 E=(n0)(p0)c=(c/w)(m0)(w0)c、です。 w=(w0)の地表静止において、全エネルギーE=(m0)c^2ですね。 だから地球が作る微小重力下で静止質量さえ決めればおおむね観測が合う話と、理論にその静止条件の有無によって矛盾があるかないかは別の話ですね。 参考: 何がなんでもE=mc^2?(電磁気編) http://homepage3.nifty.com/iromono/PhysTips/mass.html ◆物質波の振動数と速さ v=νBλB(またはc=νBλB)という関係を期待してしまうことが問題なのである。 http://www.keirinkan.com/kori/kori_physics/kori_physics_2_kaitei/contents/ph-2/3-bu/3-2-4.htm#Anchor-34711 質量保存の法則とエネルギー保存の法則 http://eman.hobby-site.com/cgi-bin/emanbbs/browse.cgi/1209070016bfbdd9 屈折率(物質中もスカスカの真空ですから、同じようなものです。) http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%88%E6%8A%98%E7%8E%87 電磁気学において、自由空間(じゆうくうかん、free space)とは一切の物質が存在しない仮想的な空間である。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%87%AA%E7%94%B1%E7%A9%BA%E9%96%93
お礼
色々と式が出てきて、当時、電磁気学で同じようなことをしようなないような、懐かしい感じがします。 URL先はゆっくりと読ませていただきます。
- Tann3
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私も物理学は素人レベルですが。 質問者さんのおっしゃる、 >量子について、よく言われるのが「粒子でもあり波でもあるのは、不思議で常識では考えにくい」 とのことですが、この事についてはそれほど不思議には思っていないです。 そういうものだと思えばなんとでもなります。 は本当ですか? >「観測するということは、観測する対象に影響を与えるということである」 ということが疑問だ、ということは、「粒子でもあり波でもある」ことを受け入れられないということだと思います。 ご指摘の二重スリットの実験で言えば、干渉縞ができるので、これは「波」であることを示します。 ここで、電子でも光でも、「粒子1個」に相当する強度で二重スリットを通過させても、干渉縞ができるのです。どんなに強度が小さくとも波ですから。でも、粒子は1個しかありませんので、二重スリットのどちらか一方を通ったはずです。どちらを通ったかを観測によって確認したとたん、干渉縞は消滅します。二重スリットの片方しか通過していないので。「波」はなく「粒子」になるのです。 多数の粒子に相当する強度なら粒子の個数の半分ずつが通った、と解釈すれば済むのですが、たった1個の場合を考えると、上記のように理解できなくなります。 シュレディンガーの猫も同じことですね。箱の中の猫は、生きている確率と死んでいる確率とが存在するのですが、箱を開けたとたん、生きているか死んでいるかが明確になります。1匹の猫からすれば、「半分死んで半分生きている状態」はあり得ませんから、「生きているか死んでいるかのどちらか」なので、波動として確率で状態が記述されることととの間に現実には受け入れられないギャップがあります。 かのアインシュタインも、「神はサイコロを振らない」と言ってこの解釈には反対しました。 観測(一種の決定論)と確率は両立しないのです。状態は波動として確率で記述されるのに、観測すると粒子なのです。 これって、本当に理解、納得できますか? 私には、理解はできたつもりでも、やはり納得はできません。 「波であり、同時に粒子である」とはこういうことで、この二重性を解釈するために、 >「観測するということは、観測する対象に影響を与えるということである」 という屁理屈を持ち出しているのだと思います。
お礼
「粒子でもあり波でもある」といのが不思議でないといったのは、もともと二重スリットの話しを聞く以前からその話しは知っていたからというのがあります。 大学では電磁気学を習っていたのですが、その時、 「磁界が生じると電界を生み出し、電界が生じると磁界を生み出す」 という無限ループに似た話を聞きました。これがよく言われる「電磁波」だったのですが、実は光は電磁波の一種で、電磁波は光速で伝播すると習いました。 電磁波なのだから、波の性質を持っていることは不思議ではないですし、粒子性もっているのも「なんらかの理由」があるからだろうと思っています (そのなんらかの理由がわからないだけで、何かあるんだろう。自分はそれを知らないだけだから、そういうものなんだな、ぶっちゃけ磁界が生じるとなんで電界が生じるのかすらわからないけど、そういうものなんだなっという解釈。) しかし、「観測(一種の決定論)と確率は両立しないのです。状態は波動として確率で記述されるのに、観測すると粒子なのです」 これには納得できません。 どんな理由があろうと、観測するか否かで結果が変わるというのがあっていいことなのでしょうか?(いや、実際そうなのだから否定はできませんが) ということで、次に疑問が起こるのが 「観測ってどのレベルの観測なの?」 っということです。観測装置おいただけで変わるのか、観測装置を置いて、それを人間が認識したら変わるのか、それとも観測装置を置かなくても電子が確認できるほどの光がそこにあれば変わるのかってことです。 それがわからなければ「観測」なんて言葉を使っても机上の空論でしかなく、 そのことすら知らない人が「これが正しい」なんて言葉を述べても説得力がないわけです。 (ぶっちゃけ実験した人に聞かないとわからないでしょうが) No.1さんがだしてくれたURLを読んでみると、やはりそのことに対していろんな解釈があり、同時に存在するという説には否定的な文章でした (最後に否定しているわけではないとの旨がありましたが) どれどれが正しいっというより、 どういう説明なら皆が納得がいくのか気になっていきます。 皆さん、どんな考えをもっているのかどんどん答えていってください。
- s_hyama
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今の量子論は言葉だけで粒子と波動の二重性をいっていると考えてます。 ◆ 量子論の根源問題 http://openblog.meblog.biz/article/1362060.html#comment 説明によればこれはパイロット解釈を肯定する実験であるとの事だ。 http://blog.livedoor.jp/nanoris/archives/51656858.html
お礼
URL先の文章とさらにその先の文章を読ませていただきました(全部は無理なんで、またの機会にさせていただきますが) とりあえず、読んで思ったのは、やはり量子力学のうんぬんいは否定的な意見もあるなと。そのうえでやはり肯定する人もいたりして、かなり面白いことになっています。 というか、量子力学は辻褄合わせなのか、正しい理論なのか判断が難しいです。
お礼
回答ありがとうございます。 観測した瞬間に波動関数が収束するというのはなかなか、説明するとともに理解が難しい話ですね。一体どうやって証明するのだろう。 生きている状態と死んでいる状態が重なり合っているというのも奇妙な話ですね。マクロの話になると一気に訳が分からなくなります。 野球ボールで干渉縞ができたら、なかなか面白いことになりそうです。