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言語/英語
言語全体の中で 英語は最も支配的な言語だと思うので このカテゴリーで質問させてください 言語の代名詞という感じで 社会学などで使われる概念で「疎外」というのがあるんですが 言語についても「言語の疎外」のようにつかわれています 定義はたぶん 「人が作った言語が 人を離れて その言語の枠組みに 支配される感覚」 こんな感じだと思います 言語/英語について考えるとき 言語/英語教育について考える場合にも なにかヒントになる概念だと思うのですが 専門家の方や 英語が好きで得意な方は このような「疎外」の感覚について どう思われるでしょうか?
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こんにちは。 「言語の疎外」を正確に理解しているか自信は無いですし、その専門でもないのですが、ちょっと興味を惹かれる分野なので口出し(^^)させて下さいね。 >言語についても「言語の疎外」のようにつかわれています >定義はたぶん >「人が作った言語が 人を離れて > その言語の枠組みに 支配される感覚」 >こんな感じだと思います これを読んだ時、先ずコンピュータ言語を思い出しました。プログラムが分らない人はある意味では、コンピュータ言語あるいはプログラムに 支配されている感覚があると思いますね。不信感はないにしてもですね。 結局、「言語の疎外」というのは、「人間が作った言語が人間を支配し、人間が疎外される」という感じなのでしょうか。英語教育においての言語の疎外というのは、一体どういうものと解釈をすればいいのでしょうか。英語を覚えたために、英語という言語の思考に支配されて、もともと母国語で思考をする自己が英語から疎外されるというようなことになるのでしょうか? もし、そのような解釈で正しいのなら、そういうことは世界中で起こっているでしょうし、英語で授業をしようとしている日本でもこれから起こるのではないでしょうか。私自身は日本人ですが、日本に住みながら英語を話したりしてきたものですから、若い頃は特に周りと自分との思考や行動方法の違いに悩んだりしました。結局、それは避けることが出来ないものだと悟り、最終的にはその言語のどちらでもないところに、あるいは言語とは無関係のところに、言語を越えたところに自分の存在価値があるのだと考えたりしました。 歴史的にも世界中で外国語を押しつけられた人々はたくさんいるでしょうけど、その人達はきっとその外国語にも言語の疎外を感じ、あるいは、自分の母語にも疎外を感じたでしょう。言語の疎外というのは、大袈裟に言えば自己の喪失、あるいは文化の喪失にもつながりかねない大きな問題だと思います。無邪気に英語教育を論じ、突然英語教育の方向転換をしようとしている日本なのですが、もしかしたら、取り返しのつかないことをしようとしているのかも知れません。現状がいいわけではありませんが、もっと良い方法があるかも知れません。 なんてことを書いてきましたが、こんなんで良かったのでしょうか?まあ、これを枕にしていろんなご意見が出てくるといいですね。
お礼
ちょっと重たい質問なのに 回答いただけて感謝してます 今日の新聞でも英語教育のトピックありましたよね ぼくも詳しくないので間違ってるかもしれません 「疎外」は制度/イデオロギー/コンピューター いろいろ応用して説明できるんだと思います だけどそれを教育とかの現実のなかで うまく応用するのは 不可能なんだと思います まず 経済/効率 が問題になると思います 教育とは関係ないけど マザーテレサなどは ポジティブな実践者かもしれません 辛抱づよく 個人と向き合うような先生というのも 個人としての実践者かもしれません 「言語の疎外」はどんな言語でも 母国語/外国語も 射程に入ると思います でもそれを教育とからめてどう関係づけられるのか まだよくわかりません 深刻に突詰めて考えちゃうと 身動きができなくなると思います 教育の場で個人で実践するにしても 気楽さ/現実とのバランス感覚などは 必須なんじゃないでしょうか 以上なにか間違ってたら誰か教えてください という感じなんです こういうのは 理想があっても たぶん実践が難しいので 一般的には 嫌われると思います こんな質問でも 気楽な回答とか意見がもらえるのが いちばんありがたいです
補足
すいません これは追加の質問ではありません お礼の欄があまりにも説明が足りないので こちらで まず 言語の疎外は必ずしもネガティヴなものではないです なにか誤解を与えてしまったのかもしれません 言語の疎外=人間の条件 という感じです 言語を押し付けられた場合 「押し付けられたこと」と 「新たな言語の疎外」を 切り離して考えないと たぶん正確な理解にならないんです 言語の疎外がなくなる=言葉を失う もし「言語の疎外」に興味があるのでしたら 斉藤環の「生き延びるためのラカン」が めちゃくちゃ分かりやすいと思います あと マザーテレサ云々というのは 個人と個人がはだかで向きあった状態=イデオロギー/制度から自由な状態 という感じです