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躓き、食い違い

 心理学のカテゴリではなく、一つの観としてのお教えを賜りたく敢えて哲学を選ばせていただきました。  私たちの生活も世界も非常に多様でdiverseは日常茶飯事です。  願わくば自分との異質性や個別性のない、自分の思うことに食い違いのない常であってほしいと、願えないことを願うのが凡人のわたし(たち)だります。  でも仮に常に、順調で、何事も自分に支障や問題のない人生であったとしたら、つまり人や事柄が自分に齟齬し、摩擦的な世界を出会わせることがない日々であったら、人生はどんなに楽しいでしょうか。それとも面白くないでしょうか。  どうかお感じになられること、想像されることをお教えください。

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noname#96295
noname#96295
回答No.3

ただdifferentiaによって、 わたしたちは渾沌を知覚することなく、意識のままに図figureをみとめることができるのです。 微分化はすばやさをもって積分化されます。 そのことによって、われの存在はどのようにも対象化しなおされ、捉えなおされます。 われにおいても、われのないところにおいても。 われのないところにおいては、すなわち、仮の存在としてあるまま、それらが関係を結びあう運動において。 これはどのようなレベル、どのような局面についての話であっても、 ていねいに扱うべき問題で、 同質の海から乖離することが、生命にそなわる智慧なのです。 ちいさな植物の種子から、虎を狩る人間まで。 しかし、同質性は印刷術の発明からすでに人間の足もとを浸しています。 同質性の加速する現代社会は、わたしたちの個々そして全体を非常に内的な繊細な側面から壊していく要素があります。 ほとんど生命をおびやかすはずのものであると、まだ呟くしかないのですが。

krya1998
質問者

お礼

 ありがとう御座いました。  同質の海から乖離することが、生命にそなわる智慧なのです。  やはり乖離は必ずしもいけないことではなく、いや寧ろ大事なことなのですね。  異端、変人、バルバロイ、オッズ、半端な私は何か力づけられる感じがします。  創造とは大いなる唯一の実在のディファレンシエイト、下降であるかも知れませんが、そういう私たちにとり、differentia必須不可欠な出会いなのでもあるのですね。  丁寧にきちんと対応していくことが必要ですね。  同質性は印刷術の発明からすでに人間の足もとを浸しています。  みんな一様にさせられて、なって、異なる人は居にくいので、角を矯め、丸く、円満、調子合わせになってきています。  ありがとう御座いました。  丁寧に異質とは、自分のためにも対応して生きたいと存じます。  

その他の回答 (2)

noname#80116
noname#80116
回答No.2

 ★ 私たちの生活も世界も非常に多様でdiverseは日常茶飯事です。  ☆ 私たちの生活も 日常茶飯事を一歩外に出ると 非常に多様でdiverseな世界です。と言い換えるのが よいでしょう。  ★ 願わくば自分との異質性や個別性のない、自分の思うことに食い違いのない常であってほしいと、願えないことを願うのが凡人のわたし(たち)だります。  ★ 自分との異質性・・・のない常であってほしい  ☆ そんなばかな。そんなことを ほんとうに願うのでしょうか?  ★ 個別性のない・・・常であってほしい  ☆ 意味がとりにくいでしょう。  ★ 自分の思うことに食い違いのない常であってほしい  ☆ 《思うことに食い違い》は あまり ないでしょう。考えが甘かったり その考えどおりに ことが運ばなかったりすることがあります。  ★ 願えないことを願うのが凡人のわたし(たち)  ☆ 願っても詮無いことは あまり 願わないはづです。  《考えを たしかなものにして しかるべき中身のことは 最後まで 行ない通したい》というところでしょうか。そういう願いは 持ちます。  ★ でも仮に常に、順調で、何事も自分に支障や問題のない人生であったとしたら、つまり人や事柄が自分に齟齬し、摩擦的な世界を出会わせることがない日々であったら、人生はどんなに楽しいでしょうか。それとも面白くないでしょうか。  ☆ たぶん 見方が甘いのです。自分ひとりのことだけを捉えているのみだからです。人びととの関係を どうか 捉えるようにしてください。自分と同じように 同じ程度に 人びとの存在をも 気にかけるようにしてください。  そうすれば  ★ 支障だの 齟齬だの 摩擦だの  ☆ は それら自体の問題であるなどということは なくなります。また 相手があたたかい人であれば 一緒に それらの問題を 取り扱うようになれるでしょう。それは   ★☆ 何ごとも 順調にすすむ社会  ☆ のほうが なんてったって よいでしょう。  関係性のうちに   ★ 楽しさも 面白さも  ☆ 共に 味わって行かれるとよいでしょう。

krya1998
質問者

お礼

 brageloneさんのご謦咳に接し、光栄に存じます。  まことに仰せの通りと存じます。  ありがとう御座いました。

回答No.1

わたしが思うにそのような人生はつまらないもののような気がします。 幸福な人生と言うのは裏に不幸が潜んでいる。 不幸な人生と言うのはまた幸福になるチャンスも巡ってくる。 何も摩擦のない人生というのは、ある意味快適かもしれませんが ロマンチックでも何とも無く、情熱的な人生とは程遠いものだと思います。 GLAYの歌(サバイバル)にもあるでしょ。 「タフにこの世を生きる為に、必要なもの ちょっとぐらいの絶望も 長い目でみりゃ極上のスパイスを味わえる」 この言葉が人生の内の沈んだ状態を端的に表していると思います。 長い目で見れば不幸も幸福を際立たせるスパイスに成り得る。 逆に何の摩擦の無い人生は不幸ではないかもしれませんが、幸福でも無いと思います。

krya1998
質問者

お礼

 ありがとう御座いました。  不幸ではないかもしれませんが、幸福でも無いと思います。  というお言葉は大変示唆的であります。  時、偶の予期しない障害や衝突は、時につらい思いにしてくれますが、仰せのとおりでしょうね。  ありがとう御座いました。

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