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「聞こえない人」ってどう思いますか?

長年手話のボランティアをしている母がいます。 いつも会話で、「聞こえない人」のことを「聞こえない人」と言います。人前でもそのように言います。 なんだか違和感を覚えますが、これは適切なのでしょうか? もっと適切な呼び方はあるのでしょうか? 「ろうあ者」とどっちがいいのでしょうか?  どなたか教えてください。よろしくお願いします。

質問者が選んだベストアンサー

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回答No.7

皆さんに対する質問者さんのコメントを拝見して思ったのですが、 質問者さんは「耳が聴こえない人」という言い切り方に対して 違和感を感じてしまったのではありませんか? もしそうだとしますと、うなずけるものがあります。 「耳が聴こえない人」「聴覚障害者」という言い方には、 「障害」の事実をより断定的・否定的に表現しているかのような 言葉の響きを感じざるを得ませんよね。 ですから、「聴こえない」「障害」という言葉の持っている マイナスのイメージとも併せて違和感の元になってしまったのでは、 と思いました。 これをせめて「耳が不自由な人」と表現すると、 確かに、言葉の響きは柔らかくなりますし、 マイナスのイメージも和らいでくる、とは思います。 ただ、だからと言って、 「耳が聴こえない人」という言い方をする人は 聴覚にハンディキャップを持つ方を否定的にとらえてしまっている、 と質問者さんが受け取ってしまうのだとしたら、 それは少し早計だと思います。 必ずしもそうではない、と思うのです。 とはいえ、障害福祉に直接たずさわっている者がふだん このような「言葉の響き」を意識することは、 正直申し上げて、あまりありません。お恥ずかしい話ですが。 ですから、感覚がマヒしてしまっているのでは?、と 質問者さんが思われるのも、あながち間違っているとは言えません。 (私は聴覚障害をもつ当事者であり、同時に障害福祉専門職です。) いずれにしても、言葉の響きの大切さも意識する、ということは 大事なことかもしれませんね。 一方、逆に、必要以上の統制は「言葉狩り」になってしまいます。 障害福祉とは直接的な関係はありませんが、 ちびくろサンボが黒人差別だ、ということで教科書から消えたり、 外人という言い方を外国人、という言い方に変えたりした、 ということなどがそうです。 どこかに差別的なものが指摘されたから このように言い方が変わったのでしょうけれども、 過剰な神経質過ぎる反応は、本質を見誤るおそれがあるでしょう。 質問者さんの場合にもある意味ではそうで、 「耳が聴こえない」≠「耳が不自由」である以上は、 「耳が不自由な人」と表現することによって、 「聴こえない」という事実がどこかに消し飛んでしまう、という 危険性すらあり得ます。 聴覚にハンディキャップを持つ人が何に一番困っているのか? 聴こえない、ということに一番困っているわけですよね。 その本質がどこかに置き去りになってしまう危険性があるわけです。 一般論という範囲でだけ言うならば、 確かに、「耳の不自由な人」という言い方が最善となるでしょう。 けれども、たいへんむずかしいとは思いますが、 上に申し上げたとおり、いろいろな角度からとらえてゆかないと、 このご質問の答えというものは、なかなか見えてこないと思います。  

moamoamoo
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 回答者様は、とても心のお優しい方で、誠実な方だと感じました。 また、ご回答を読ませて頂き、言葉の使い分けの大切さを感じました。 家にはしばしば、「聞こえない方」が訪ねてきます。母に誰が来たの?と聞くと、「ろうあ者だよ」という答えが返ってきたとき、もめたことがあります。「別に、名前があるんだから、名前で言えばいいのに」と。 そのことがあり、今回もまた、「聞こえない人」と言ったので、首をかしげてしまいました。「そんな失礼な言い方あるのかな」って。せめて「耳の聞こえない人」って言って欲しかったです。微妙ですが、やっぱり違いますよね。 ありがとうございました。とても参考になりました。

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その他の回答 (6)

noname#133552
noname#133552
回答No.6

一般ウケするやんわりとした言い方、っていうんだったら、耳の不自由な人でいいと思いますけど。 でも、これだって、ツッコミを入れようと思えばいくらだってできちゃいますよね? たとえば、「じゃあ、どんなふうに不自由なの?」って。 ろう者なの? 難聴なの? 生まれつきなの? それとも中途失聴なの? 違いがわからなくなっちゃうデメリットがありますよね? 逆に、ちょっと堅い言い方をするんだったら、聴覚障害者っていう言い方がいちばん無難だとは思うんですけど、いわゆる行政の言葉、っていうか、そういう感じを受けてる人も多いでしょうし、「害」っていう字を使うべきじゃない、とかって考えて「障がい」とか「しょうがい」って書き替える人もいます。 でも、これだって、ハンディキャップをもってる立場から言えば、言い替えられたところでハンディキャップをもってる事実が変わるわけじゃないし、はっきり言ってどうでもいいっていうのが本音です。 要は、その人の耳のハンディキャップをどういうふうにとらえるか、ってことが大事だと思うんで、堅いとかやわらかいとか、単に語感だけでとらえちゃうと、ちょっと肝心なところを見落としちゃったりしてしまうんじゃないかな、って思います。 人によって、どんなハンディキャップがあるのかは違いますよね? 低い音のほうが聴きやすいとか、歳をとってだんだん聴きづらくなったとか、そういう違いだってあるでしょう? で、おかあさまは、どういうハンディキャップの方とメインに付き合ってるのか、っていうこともあると思うんです。 おかあさまの受け取り方として、全体として耳の聴こえない人っていうとらえ方をしてるんだったら、それはそれでいいと思いますし、あなたがそれに違和感を感じたんだったら、それもそれでいいと思います。 つまり、どっちの言い方が良くってどっちの言い方が良くない、っていう問題としてとらえるんじゃなくって、その人のハンディキャップにほんとうにしっかりと目を向けてるか、ってことを問うべきかな、って思いますよ。 この人はこういうふうに助けてあげたらいいんだな、って。 たとえば、手話を必要とする方なのか、それとも筆談とかを必要とする人なのかって。 ひとりひとり違ってあたりまえでしょう? そういう意味からいうと、失礼な言い方になっちゃんですけど、はっきり言って、あなたの考え方はちょっとずれてるかなー、ちょっと残念だなーと思わないわけでもありませんでした。 見るべきところ(ひとりひとり違うんだ!、っていうところ)をちゃんと見たほうがいいでしょうね。

moamoamoo
質問者

お礼

すみません、私の質問が分かりづらかったですね。 いろいろなハンディキャップがあることは承知しておりますが、福祉に関しては全くの無知です。 あくまで、一般論です、ただ単に、「聞こえない人」ってどういうイメージなんだろう、ということが質問したかったのです。 私は、ストレートすぎて、ちょっとびっくりしました。 労わる言い方として、「耳の不自由な人」がやはりしっくりきます。 福祉に携わっていると、だんだん感覚が麻痺するのかと思ってしまいます。それとも、やはり私の思いすごしなんでしょうか。 どうでもいいことかもしれませんが…。気になります。お気を悪くされたのでしたらすみません。

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  • baka_inu
  • ベストアンサー率58% (148/254)
回答No.5

はじめまして。 手話をまなんで10年以上たちます。 私も、(無意識に)「聞こえない人」という言い方で地元のサークルなどで話していて、そのことについて質問されたことがあります。 その集団においては、手話を使っていても「ろう」か「ろうではない」とか、色々と細かいことを考える方もいます。なんとなく、手話を母語としていないひとを「ろう」と呼ぶことに違和感を感じる、という雰囲気がある場合も。 なので、単純に「ろうあ者」と括ってしまうのも、という感じです。まぁ、一般化して全て「ろう者」と呼んでいる方もいらっしゃいますが。 たとえるなら、 「アメリカ人」とひと括りにしてしまっても、実際には英語を話せる人ばかりではない(ヒスパニック系、中華系etc)、という感覚に近いでしょうか。 それより、「アメリカ在住の人」と括ってしまったほうが、なんとなく通りが良いような気がしているのだと思います。 「耳の不自由な人」という表現は、堅い印象があるのと、「不自由」という欠損感が浮き出る雰囲気が、なんとも使いにくい印象ですね。たとえるなら「アメリカの国籍を取得した方」みたいな(違うか…)。

moamoamoo
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 とても参考になります。 「耳の不自由な人」は堅い印象ですか。 「欠損感が浮き出る」うーん、そうですか。学校では、「足の不自由なお年寄り」とか使っていたような気がします。決して「歩けないお年寄り」とはいいませんでした。 「聞こえない人」と母が話していたのを聞いて、正直ギョッとしました。福祉に長年携わっていて、肝心なところが麻痺しているのかと思いました。私の思いすごしでしょうか。

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  • pokuda
  • ベストアンサー率55% (29/52)
回答No.4

私も「聞こえない人」って言っちゃいますね。 あくまでも個人的感覚ですが、「ろうあ者」というのは公式、というか堅い言い方。ニュアンスとしてはニュートラルで、公の場でも、内輪の世間話でも使える単語という感じです。 「聞こえない人」というと、親しみがちょっと入ります。ただ、あまり公の場では使わない感じ。内輪の会議とかで使うことが多いですかね。それと、これを使うときは、「聞こえる人」との対比で使うことが多いような気がします。大会の参加者を調べていて「聞こえる人が40人、聞こえない人が34人で間違いないですね」とか。 あ、そうだ、難聴者とろうあ者を区別したくないときも、この言葉を使いますね。 「耳の不自由な人」は、ろうあ者よりもポリティカルに堅苦しい感じがします。企業や行政が、当たり障りのない言葉として使う感じです。

moamoamoo
質問者

お礼

ご回答ありがとうございました。 とっても参考になりました。 なんとなくうなずいてしまいました。 ただ、最初、30年以上も手話をやってきた母から、「聞こえない人」と言われた時は、えっ??って感じで驚きました。 なんか横柄な感じというか、見下した感じというか、そんな感じがしました。どうしてなんでしょうね。 素人的には、耳の不自由な人(方)がしっくりきています。

moamoamoo
質問者

補足

「耳の不自由な人」がどうしてしっくりくるのかわかりました。 オブラートに包んだ感じで、やわらかく聞こえるような気がします。 「聞こえない人」ってちょっとストレートすぎて、きつい感じがします。どうでしょうか?

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回答No.3

聴覚障害者、ろう者、耳の不自由な者、耳の聴こえない人‥‥。 それぞれ言い方はあるのでしょうが、いずれも適切とは思いません。 聴覚障害者と一口に言ったとしても、 その原因や必要とされるべきサポートの内容に相違があるからです。 たとえば、生来性のろうの人と、難聴の人、中途失聴の人。 必要とされるべきサポート内容は大きく異なります。 ろうの人に対しては手話が最も有効で、文字は効果が薄いのですが、 難聴の人や中途失聴の人に対してはむしろ逆で、 文字媒体(筆談、要約筆記、OHP、パンフ等)が有効です。 補聴器についても同様です。 したがって、そのような方たちと一般の方以上に接している者が そのような方を呼ぶときには、 ひとくくりにしたような呼称をすべきではなく、 ひとりひとりの障害の特徴に合わせた呼称をすべきだと考えます。 (一般の方が呼称するときには、「聴覚障害者」が無難でしょう。)  

moamoamoo
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 「聴覚障害者」、これもなんとなく使えそうですね。 ただ、障害者というのが、ちょっとひっかかります。

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  • pocorino
  • ベストアンサー率39% (214/544)
回答No.2

聾者(ろうしゃ)がいいと思います。 聾者という言葉では、聾者の中では当たり前に使われています。 聴覚障害者のための学校も○○ろう学校という名称です。 今は、行政主体でろう学校と言う名称を変える動きもありますが、聾者からは反対意見が多いです。 ただ、聾者の中では、「聾」は先天的聴覚障害者を指し、病気や事故で後天的に聴覚障害者になった場合は「中途(聴覚失調)」と分類しています。(手話で表す単語がそうなっています) それだけ、聾者ということにプライドを持っているのだと思います。 ただ、一般的には中途聴覚障害者も含めて聾者でいいと思います。 聾者と呼ぶのは、差別発言と言われないかと危惧する方もおられるかもしれませんが、聾者自身が自分たちのことを聾者と言っているので問題はありません。 名称に関しては、「そう呼ばれる方」がどのように呼ばれるのが心地よいかを最優先に考えたらいいのではないでしょうか。 (地方によって変わるかも知れませんし)

moamoamoo
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 「聾者」そうなんですね。いろいろと参考になります。 ただ、素人からすると、なんだか堅苦しい響きがあります。 なぜなんでしょうね。

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  • 51happy
  • ベストアンサー率21% (82/376)
回答No.1

はじめまして、確かに「聞こえない人」というのは私も違和感を感じます。 正しい表現かどうか分かりませんが、 「耳の不自由な方」というのはどうでしょうか。

moamoamoo
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 「耳の不自由な方」いいですね。なんだか丁寧な感じがして。 とってもしっくりきます。

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このQ&Aのポイント
  • エレコムらくちんプリントソフトを使いエレコム光沢用紙M28サイズでCD/DVDラベル作成する際に、プリンターの用紙設定で困っています。
  • 利用のプリンターはキャノンPIXUS TS3330ですが、この用紙設定が上手く設定できません。
  • 解決方法を教えてください。
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