• 締切済み

日本における国際化について皆さんはどう思いますか?

日本で「国際化」について議論されて久しいですが、表題のとおり、みなさんの考える「日本における国際化」について、皆様なりのご意見をお聞きしたいと思います。 テーマがあまりにも壮大かつ抽象的すぎて捉えにくいとは存じますが、皆さんご自身が「日本の国際化」と聞いて思い浮かぶイメージをお伺いできれば結構です。例えば、「こういうことができたとかこういう状態になった時に日本は国際化したと言える」というような感じです。 私が「『日本の国際化』のあるべき姿」として日々感じていることを皆様にお伝えいたします。 日本では「国際化」と称してやたらと「英語英語」と喧伝し、「0歳からの英語教育」などが流行って久しいですね。一方で「日本語の乱れ」の深刻化も社会問題になり、それを修正しようと、出版界をはじめマスコミでも、正しい日本語の遣い方を見直そうという「日本語ブーム」が沸き起こっています。しかしこの現状を見て、私は何と嘆かわしいことかと日々思っております。 日本はかつて江戸時代に、限定的ではあるが鎖国によって、外国との交流を閉ざしていたことは周知のとおりです。そして明治時代になり文明開化で一気に西洋化の道へと突き進みました(当時は上流階級だけでしたが)。 また先の大戦後のGHQによる占領政策時代にも、アメリカナイズされた憲法ができるなど舶来ものが大事にされ、日本古来の「武士道」もアメリカによって否定されたといわれます。(歌舞伎でいえば、日本の武士道讃美の象徴である「忠臣蔵」が、占領下では上演できなかった) そして平成の世になっては、「0歳からの英語教育」などと囃したて、日本人である幼子に、日本語よりも先に英語を教えようとしています。 これらのことから、日本人は「自国の文化をないがしろにして、ひたすらアメリカナイズしようとしている、世界で唯一の国」だと感じて仕方がありません。日本人は「外国かぶれ」することを「国際化」だとはき違えているようです。 私は子供のころから父の影響でNHKの大河ドラマや民放の時代劇を見るのが大好きでした。また神社仏閣城郭史跡を見るのも大好きな子供でした。長じては歌舞伎にはまって20数年。今では茶道も嗜む徹底的な日本文化愛好者だと自負しております。 しかし日本では、そのような日本文化が大好きだというと、悪くて「オヤジ臭い」とか良くても「渋いね」などと言われてしまいます。「日本人が日本文化を大好きに思って何が悪いのか、当たり前だろ!」と私は思います。嘆かわしいのは、現在の日本には、日本人より外人さんの方が日本通の方が多いことです。外人さんでさえ日本のことが詳しいのに、その国の人間であるわれわれ日本人が日本のことを何もわかってないことに、今の日本人は恥ずかしさを感じないのでしょうか? 以上のことから、私はやみくもに「英語英語、外国外国、海外旅行海外旅行」と言う前に、母国である日本のことをしっかり理解した上で、それを、それこそ「英語で日本のことを語れる」ことの方がよっぽど国際化だと思うのですが、みなさまはいかがお考えでしょうか?お聞きしたいと思います。今の日本人は、日本のことをかなぐり捨てての「単なる外国への迎合」と「国際化」をはき違えていると私は思います。 私はそんな「外国がぶれの日本人」が多い中で、あえて時代に逆らって「日本のあらゆる文化に親しんでいること」に誇りを持っています。また、私とおなじ感覚を持った日本人が増えてくれることを願っています。私はこんな「西洋かぶれした今の時代」こそ再び鎖国をすべ来たと思います。その方がよっぽど「日本の国際化」に貢献できると思います。とにかく、今の日本人は自国のことを知らなさすぎます。英語はペラペラだけど、母国語はまともにしゃべれないことがその証です。

みんなの回答

回答No.13

付けたし申し訳ないですがさせてください。 歴史的にみても、強固な「日本文化」「日本人」っていうのはいたのでしょうか?発祥はもちろんアフリカで、中国東南アジア樺太経由だとして、まずそこから、オリジナルな日本人はいませんし、あるところから線引きして(たとえば大宝律令だとしても)それは、朝鮮系の文化に毒された時代です。日本古来のものなんて、野暮ったすぎてつかえたもんじゃないですよ。あの陶磁器の洗練度は大陸では1000年先を行っていますからね。では、平安京からといったってあれは完全に唐を模したもんだし、鎌倉からって言ってもなんでそっからなの?と思いませんか。鎖国で日本人らしさ固有のものが醸成されたからそれを守ろうと、そんなに徳川300年なんて誇れる時代でしょうかね?それに、鎖国と入っても常に西洋の脅威や事物は流入して知識人はそれに躍起になっていたわけです。 そんな文化的な背景からも、順日本的という観点を作り上げることができるのかどうか、非情に疑問なところです。 あと、私は日本語が非常に好きで(その割に誤字脱字が多すぎますが)格調高い文学はすばらしいと思います。なので、日本人の学力が高かった時代(昭和30年代くらいか?)の雰囲気に戻って、つつましいおごらない日本人というものが取り戻せるといいと思っています。ただこれは純日本という幻想ではなくて、「モラル」の高揚だと思っています。

noname#72652
質問者

お礼

何度も言うようですが、私が「日本文化を大切にしましょう」と言っているのは、独りよがりの「幻想的理想主義」ではありません。 仰るように鎖国の時代でも完全に鎖国したわけではなく、常に西洋の脅威にさらされ、勝海舟や坂本竜馬や松平春嶽ら開国派はそれを積極的に取り入れて新しい日本を作ろうとしました。今大河ドラマがちょうどそのあたりですが・・・。そんなことは私だって知ってます。でも彼らはそんな時代だからこそ日本の行く末のことを考えていましたし、日本のいいものは大切にしてきたのではないかと思います。それに対して今の日本人は、日本のいいものいいところをかなぐりすてて、「右へ倣え」で外国ばかりに目を向けようとしているように私は思うのです。そこが気に入らないのです。その代表が幼児からの英語教育です。そしてそのような小さい頃から、普通に外国文化に親しんで大きくなった彼らは、抵抗なく外国文化を受け入れます。それはそれでいいのですが(だって「国際化時代」ですから)、その時に、全くとは言わないまでも、ほとんどの若者が「日本の来し方」に目を向けていない。だから外国人に日本の良さを問われても立派に説明できないという恥ずかしいことになるのです。それではいけないと私は言っているだけです。誤解なさらないようにお願いいたします。「日本の文化」と大上段に振りかぶらなくてもいいです。ただ、「外国人に日本の特徴を説明できるレベルくらいにはなっていただかないと困る」と言ってるだけです。「最低限の日本人の教養」として知っておいてほしいことだからです。「文化の壁として振りかざせ」と言っているのでは毛頭ありません。そんなことをしたら正真正銘の「鎖国」になり、日本は世界から却って孤立します。

回答No.12

ちょっと、観点が違うところから回答してみたいと思うのですが。 そもそも、固有の文化言語とかって、それほど貴重なものあるいは確固たるものなのでしょうか。日本語日本文化って何?そのことをもうちょっと掘り下げてみてはどうでしょう。 人類学的に言えば、日本人って言うものは、アフリカ発祥の人類が大陸経由で、何回かにわたって上陸した(当時は氷河期だったので陸続きであったらしい)というもので、当然、言葉文化が違った種族が列島に分かれていて、それがやがて混血され今に至る。日本語は、アイヌから沖縄語まで存在し、それらは当然外国語同士という実情である(薩摩と会津でさえ疎通はかなり難しかったでしょう) 文化とは何か?ヨーロッパの地続きの国では、国境地帯ではその混じり藍があります。フランスドイツ国境のアルザスやピレネーの仏西のそれなど。それらを、彼ら陸続ききの人種は当然と捉えております。イタリア語はフランス語の方言のようなもの。 この基本はあると思います。 こっからご質問の趣旨を考えるに、守るべき強固な日本語体系というものも、かなり幻想的で特権的あるいは政府的といいましょうか、現実と理想の乖離はこの時代でもあるのです。で、アメリカかぶれやらが政治的理由から起こっています。これは、歴史的にみれば、植民地支配を受けた国がみなそうなってきたことであり、日本のアメリカにおける存在度が、ハンバーガーやらカタカナ氾濫やら、そういう可愛い現象となっているだけ。 質問者さんの衒学的文化的姿勢も結構なのですが、人の90パーセントは、その日生きていく食い物をどう確保するかという絶対的氏名に縛られていますから、日本文化がどうの項の言うよりも、カタカナ並べまくったほうが商売になるのならば、もろ手を挙げてそちらへ流れるだけ。また、美しい日本語など関心もなければ価値も感じない。英語で乱れようがモラルが落ちようが、日本人魂が消えようが、己の生存のためには知ったこっちゃありません。 そういう実もふたもない話しになってしまいますが、あながちそういう観点も間違いでないと思います。

noname#72652
質問者

お礼

「そういう実もふたもない話しになってしまいますが」・・・ほんとに身も蓋もないことを仰いますね。 「質問者さんの衒学的文化的姿勢も結構なのですが」・・・別に知識をひけらかしているつもりはないんですけど。外国の方に「日本のいいところは何ですか」と尋ねられて、堂々と答えられるくらいの知識は持ってほしいなと思うだけです。 確かに今は、地球規模での自然破壊あり、世界恐慌へと再び突入しそうな経済情勢でもあります。国内でも犯罪が低年齢化したり、食品偽装が頻発したりと大変嘆かわしい状況になっています。そんなときに私のように「日本文化や日本語の行く末がどうこう」などと「夢物語」のようなことにこだわってる場合じゃないのでしょう。世界中の人々が今を生きるのに精いっぱいでいます。かく言う私も現在、就職先探しに躍起にならねばならない状況です。 しかしだからと言って、「日本文化がどうのこうの言うよりも、カタカナ並べまくったほうが商売になるのならば、諸手を挙げてそちらへ流れるだけ。美しい日本語など関心もなければ価値も感じない。英語で乱れようがモラルが落ちようが、日本人魂が消えようが、己の生存のためには知ったこっちゃありません。」などと、「そこまで言いきっていいのかな」と私は思います。 極論すればそういう人は「自分さえよければ周りがどうなろうと知ったことではない」という「秋葉原の通り魔」と、同じレベルの「独りよがりの人間」だと思います。 確かに陸続きの外国では、国境付近の文化や言語はあいまいです。日本にだって方言があります。標準語圏の人が例えば鹿児島や沖縄の言葉を聞いたら、方言というより外国語の様に聞こえるのは私も実感するところです。しかしだからと言って、カタカナ語や若者言葉が氾濫するのを指を咥えて見ていて良いはずがないと思います。最低限の日本語のレベルは守って当然だと思います。 そもそも「日本語や日本文化の大切さ」と、「己が生きるか死ぬかの死活問題」を秤に懸けることに、私は違和感があります。現実を見ることもおっしゃるように大切でしょうけど、大切なものを次代に引き継ぐことも我々の世代の使命です。

  • clash0511
  • ベストアンサー率26% (188/714)
回答No.11

もし私が「日本の国際化とは何か」を知りたくなったなら、おそらく私はそれを日本人以外に尋ねるでしょう。 一つの国家が国際的と言えるかどうかはその国民自体ではなく他の国の人々が決めることだと思います。 どこかの国が、そこで勝手に決めた「国際化の定義」に沿っているから「我が国は国際化社会である」と主張したとしたら、みなさんは「はい、おっしゃる通りですね」と素直に受け入れるのでしょうか? 「日本文化を愛する自分は国際的」という質問者の主張(少なくとも私にはそう読めてしまいます)も、アメリカナイズ・西洋かぶれした日本人も、それぞれの勝手な「国際化」感が根底にあるという意味では、まったく同じに見えます。

noname#72652
質問者

お礼

なるほどなぁ。やはりいろんな方のご意見は聞くものですね。 「灯台下暗し」とも言うように、「日本が国際化しているかどうか」は客観的に外国人の方々に判断してもらう方が、冷静に判断できるかもしれせんね。大変勉強になるご意見を頂戴いたしまして、誠にありがとうございました。 「国際化」に対する考え方は千差万別で、答えは一つではありません。従って、私が考える「国際人としての日本人の在り方」も他の人に押し付けるつもりはありませんけれど、最低限「日本人が日本のことを知っておくのは必要」だと思うのです。外国人とコミュニケーションを取る上で恥をかかない為にです。 他の方も仰っておられますが、外国人の方々は、自分の国に愛国心を持つと同時に日本のこともよく勉強なさった上で来日されます。それに引き替え日本人は、外国人に日本のことを答えられても何も答えられない人がほとんどです。これは事実だと思います。母国のことを尋ねられているのにですよ。これは、誰が何といっても「恥ずかしいこと」だとは思いませんか?その意味では、外国語なんか勉強している場合ではないと思います。私はそのことを強調しているのです。 それ以外の《「日本文化を愛する自分は国際的」という質問者の主張(少なくとも私にはそう読めてしまいます)も、「アメリカナイズ・西洋かぶれした日本人」も、夫々の勝手な「国際化」感が根底にあるという意味ではまったく同じに見えます。》などのclash0511様のご意見には理解できます。

  • sacra-an
  • ベストアンサー率0% (0/0)
回答No.10

お返事ありがとうございました。凄いですね…とても詳しくて素晴らしいと思います。私は歌舞伎が好きで…歌舞伎談義かもしれませんがお許し下さいね(笑) 好きで…歌舞伎が縁でずっと憧れ最近やっと長唄をはじめて…京都に暮らしてますとこの季節は外国の方々でいっぱいですが…私は全く英語は駄目で(笑)それなのに…よく道を聞かれます。少しは話せたらもっといいなぁ…思うこの頃です。でもなんとか…なるのもコミュニケーションだと思います。小さい規模ですが…旅先での出逢いはご縁だと時間があればご案内します。でもやはり外国の方は愛国心があり自分の国について歴史についても詳しくしかも日本語も流暢なのには感動します…。国際化も大切だしかぶれるのではなく日本語や文化は大切だし…私は世界のどこにも負けないと思います…四季があり奥深くて…私はしみじみ味わってます(笑)マンションなので楽器が禁止でして…練習を近くの鴨川で練習しています(笑)友達は笑いますがね…ちょっと変わってます。少しでも日本の良さを伝えていけたらなぁー??まだまだ勉強不足なので…一生勉強しながらになりますね。とりあえず頑張ります(笑)

noname#72652
質問者

お礼

お返事ありがとうございます。数回ですが投稿の交換をしていくうちに、とうとう質問のカテゴリーが変わってしまいましたね(大笑) 「歌舞伎が好きで長唄を始めた」なんて、それじゃ私と全く同じですねぇ(^0^)/~~ 実は私も仕事との両立ができなくて残念ながらやめてしまいましたけれど、10数年前まで3年間ほど長唄の三味線を習っていたのですよ。sacra-anさんは「東音会」という東京芸大邦楽科長唄専攻の卒業生で作る演奏家団体をご存じですか?私はそのメンバーの一人に師事しました。「吉原雀」「菖蒲浴衣」「時雨西行」が大好きです。それにしても、歌舞伎が好きで長唄を始めて、鴨川のほとりで三味線の練習なんて、今のご時世に何と風流極まりないのでしょう。私もあやかりたいわ~。私もそんな体験してみたい。できれば羽織袴姿で・・・。鴨川のほとりで長唄の三味線演奏なんて、なんて粋なんでしょう???そして外国人観光客が集まって来ようもんなら、これこそ「国際化」じゃありませんか?そう思いません? さて、「お礼のお礼」に話を戻しましょう。 「外国の方は愛国心があり自分の国について歴史についても詳しく、しかも日本語も流暢なのには感動します…。」ホントそうですよね。それに引き替え、日本人はやたらと外国語教育ばかり推し進めるくせに、愛国心のかけらもない。それどころか下手に愛国心を持とうものなら「右翼」だと白い目で見られるのがオチですよね。 私は別に「右翼」ではないけれど、「自分の国に愛国心を持って何が悪いのか」と思います。日本ほど自分の祖国に愛国心を持たない国は、世界広しといえども、日本が唯一だと思います。それと同時に、祖国に対する愛国心を抜きにした「国際化」など、「外国かぶれ」もはなはだしいと思います。終わり。

  • wellow
  • ベストアンサー率46% (892/1932)
回答No.9

大部分で同意します。 ・自国の文化、歴史を知らない、誇りを持てない者は論外だと思います。バックボーンが無ければ他国の事例と比較することができませんし、それ故に理解に繋がることがないからです。 とは言いつつ、神社の参道のど真中を歩く日本人を非難したり冷笑することはしません。 ・米文化、米語(高い互換性はありますが、英語とは別の言語です)は確かに席捲していますね。世界で最も通じる言語の2つのうち1つではありますが(もう一つは西語)、仮に国連公用語を国際語と呼ぶなら、露、仏、アラビア語あたりも含まれます。が、そういった意識は国連中心主義の方にも存在しないように思います。 マスコミでとりあげられる数も圧倒的に米、継いで欧州(西欧)、アジアです。ニューヨークの給水タンク管理人の話題をニュースの1コーナーで取り上げるぐらいなら(昔NHKで見ました)、ジャカルタのビジネスマンの話題や、ラオスの農家の話題も同じレベルとはいわないものの、もう少し取り上げられるべき、ではあるでしょう。

noname#72652
質問者

お礼

ご意見ありがとうございました。  私も、自国の文化を振りかざして外国の方に押し付けようとは思っていません。少なくとも外国人の方々に日本のことを聞かれて、日本人が恥をかかない程度の「日本に対する知識」を持っていることが「真の国際化」だと思いますし、そういう意味で、闇雲に「0歳からの英語教育」を奨励するのは時期尚早だと思っています。その前に、我々は日本人なのですから、母国語たる日本語や日本文化を学ぶことは大切であり、日本国民の義務であると思うわけです。英語をはじめとする外国語なんかはそのあと勉強していけばいいことだと思います。

回答No.8

No.6です。お早うございます。御礼ありがとうございます。 昨日、私は秋葉原と御茶ノ水に行きましたが、その間にある神田明神にも参拝しました。11月に入りましたから、参拝者に「七五三」の子供が多くいました。 私が子供だった、1960~1970年代は、七五三というと、当時の子供に人気の有ったTV番組のヒーローや魔女っ子ものの衣装がマスコミでも取り上げられた物ですが、今は伝統的な羽織などの和服を着ている子供の方が目立ちます。 また、神田明神の鳥居前の文京区・町内会掲示板(この附近は千代田区と文京区の境界線です)には、「祝・七五三」として、和装の男の子と女の子を囲んで、世界の民族衣装(祭り用の盛装か、時代劇のイメージ)を着た20人くらいの子供が笑顔で手を繋いで輪になっている絵が描いてありました。 神田明神では、境内で青空の下、結婚式も行なわれていました。新郎は羽織、新婦は白無垢に角隠し、挙式後、神社の門前から人力車に乗り、披露宴会場と思われる500mほど先のホテルに向かいました。 これらの七五三や人力車の様子は、秋葉原に来た外国人にも日本人にも、目に留まったことでしょう。カメラを向けている通行人が目立ちましたから。 ところで、日光を観光している中国人を見て、「このような旅行者は勿論、在日期間の長い日本在住の外国の方々」とお考えのようですが、たぶん違うでしょう。 日本に外国人登録して、住民として仕事や学問をしている人やその家族の家族の数が、215万人。一方、短期で日本を訪問する外国人は、2007年の1年間で835万人。政府・観光庁は、2010年には1000万人を達成する目標を掲げて受け入れ態勢整備などを進め、今年2008年は9月までで654万人。このペースだと年末には870万人になりそうでしたが、10月からの急激な円高で、少し鈍っております。 http://www.mlit.go.jp/common/000010015.pdf 在住外国人の4倍の人が、観光で来日しています。ビジネス出張の人を入れると、もっと多いはずです。そのような人が、日本に来た1週間ほどの間に時間を作ったり事前に計画を立てて、日光などへ行っているのだと思います。 しかしまた、日本で定職を得ている人が3日程の休みに観光に出かけることもあります。昨日に出会った中国人は、今年の夏に4人グループで富士山に登頂し、朝日を見て感動した話をしてくれました。 ところで、「昔の日本は外来文化を日本化した」「今の日本人は、外国文化を鵜呑み」とのことですが、これは物資や情報の流入量を考えれば当然のことです。遣唐使が数年に1度の船で、頭に覚えた技術や、レシピを書いた書物や、種苗や製造道具を持ち帰っていた時代と、今のように毎日大量に空港に物資が届き、情報なら書物などの物体にせずとも光ファイバーや電波を通じて入ってくる。こんな時代と弘法大師の時代を一緒に考えることは、無理です。 なお、私の印象では「国際化のために、日本の個性を捨てる」という現場は、あまり見かけません。むしろ、外国人と話をすると、両国の違いに気付く。別の外国人と話をすると、さっきの国とこっちの国との違いにも気付くものです。役所や関係機関が実際にとっている対策は、日本の日常の社会文化や生活習慣を英語に限らず中国語・韓国語・ポルトガル語を始めとする多くの外国語で説明する看板やマニュアル作りとその活用が、主な仕事のようです。日本人に求められている態度は、「外国人を避けない,偏見を持たない,仕事をさせたらキッチリ給料を払う」です。 国際化とは、文化の違いを叫んで理論武装することではなく、社会活動や地域生活の場を外国人と共有することなのだと、私は考えます。言葉は、誤解や誤使用を解くために使う道具であり、文化侵略や文化鎖国の道具にするものにしてはイケナイと考えます。

noname#72652
質問者

お礼

まずはじめに、誤解をなさっておられる個所がありますので補足させていただきます。 「ところで、日光を観光している中国人を見て、『このような旅行者は勿論、在日期間の長い日本在住の外国の方々』とお考えのようですが、たぶん違うでしょう。」ですが、私はそう言うつもりで言ったのではありません。「日光で見かけた中国人のご家族」については私も旅行者だと思っています。ただ私が言ったのは、あくまでも、「彼らのような旅行で来日される方を『含めて』、在住外国人の方もたくさん見受けられる」という意味で「勿論」という言葉を使ったまでです。(「旅行者=在留外国人」という意味で言ったのではなく、「旅行者&在住外国人」という意味で言いました)誤解を招く表現をいたしまして、大変失礼いたしました。 ≪国際化とは、文化の違いを叫んで理論武装することではなく、社会活動や地域生活の場を外国人と共有することなのだと、私は考えます。言葉は、誤解や誤使用を解くために使う道具であり、文化侵略や文化鎖国の道具にするものにしてはイケナイと考えます。≫には、私も一部同感です。 ただ私が今の日本人に「もっと日本文化を見直してほしいな」と感じるのは、あなたの仰る「国際化とは、文化の違いを叫んで理論武装する」とは少し意味合いが違うつもりです。私は「互いの国の固有の文化を尊重し紹介しあう」という意味で言ったまでです。その意味から、「現在の日本人は外国のことにはやたら詳しいくせに、日本のことは何も知らない人が多いのではないか」と危惧しているわけです。 前回のメールで「私が言う国際化とは西洋かぶれではありません」とありましたが、メールを拝見いたしますと私もそのように感じます。お仕事がらか、この問題に関する統計に大変お詳しい方とお見受けいたします。それを踏まえた上でのご解説ですから、現実はおっしゃる通りだと思います。私も日々実感しております。ただやはり一方では、「西洋かぶれしているだけの国際化人」も見受けられるように思うのです。

  • jamiru
  • ベストアンサー率5% (170/3044)
回答No.7

日本はとっくに国際化してますよ。 キリストもゼウスもオーディンもケツァルコアトルも天照も一緒にまとめてますから。 ゲームでは世界の宗教が国際化してますよ。 ゲームの神は雑魚が多いですがw

noname#72652
質問者

お礼

ふーん、そうなんですか。ゲームのことはよくわかりませんが・・・。 私は「仮想社会」でなく「現実社会における国際化」についてお伺いしたかったのですが・・・。

回答No.6

私は、日本国や日本社会は、とっくに国際化していると思います。個人として「国際化に適応できない人」や「もっと適応化しようと努力している人」がいるというのが実情だと思います。 質問者さんが「国際化」という言葉を大きな壁のように取り上げるのを見て、「博物学」という言葉を思い出しました。 鎖国時代の平賀源内や杉田玄白が活躍した頃には、「博物学」という言葉が有りました。動物・植物・鉱物や自然現象・天文事象について、ありとあらゆる資料を収集し、分類する学問でした。 今、博物学というものは有りません。分類された情報を元に、それぞれ物理学,化学,生物学,地学などに分かれ、それがどんどん細分化されて専門化しているのです。 近い将来、「国際化」という言葉は無くなるでしょう。その理由は、経済活動でも地域生活でも、取り組むメンバーの中に日本以外で生まれた外国人や、外国へ行ってネットなどで連絡を取っている日本人が、当たり前のように含まれる状態になるからです。今でも、多くの企業や自治体は、それが当然になっています。 そして、それぞれが議論しているのは「国際化」ではなく、細分化された課題です。「企業のこの業務を、日本ではなく人件費の安い外国に発注するにはどうするか」や、「地域に住む外国人の子供を、公立学校でどのように教育するか」等なのです。 お気付きでしょうか。私が言う「国際化」とは、「西洋かぶれ」ではありません。私がイメージする外国は、欧米だけではなく、中国やインドやブラジルなどを、全て含んでいるのです。下記は、法務省・入管局が今年の6月に発表した統計です。昨年末時点で、日本に在住する外国人は215万人。そのうち中国人が60万人で、ブラジル人が30万人です。 http://www.moj.go.jp/PRESS/080601-1.pdf この人たちの存在を無視しては、日本の国際化は語れません。海外旅行をしなくても、駅や、電車や、商店街や、あるいは自宅の玄関の前で、外国人の姿を見るのは不思議でないのです。 私は東京の都心区に在住です。勤務先近くの駅前には、インド系らしい顔の人がよく歩いています。今日は秋葉原と御茶ノ水に行きました。秋葉原では白人や黒人は普通に歩いていますし、中国語もたくさん聞こえます。御茶ノ水のある会合に参加しましたが、参加者の多くは中国から日本のIT企業に働きにきている人で、みな日本語を話します。そして、私の両親が住む関西の地方都市の実家の50m先には、ブラジル人が集中して住むアパートがあります。銀行の店内案内にもポルトガル語が併記してあるのです。 現在の国際化というものは、準備を整えて飛行機に乗って実行するものではありません。日本の伝統文化を壁にして守れるものでもありません。日常生活の徒歩圏内に、常に存在する「マナー」や「交渉」程度の頻度で現れるのです。 私も、私が参加した会合の人も、秋葉原の店員や買い物客も、今日また一歩「国際化」しているのです。

noname#72652
質問者

お礼

ご意見ありがとうございました。ご意見を拝見し思い出したことがありました。平賀源内や杉田玄白の「博物学」にお触れになったことから私が思い出したのは、もっと古い時代の日本文化の成り立ちです。例えば奈良時代や鎌倉時代、否もっと前の縄文時代や弥生時代に、日本には大切な文化が中国から渡って来ました。歴史の教科書でも習うことで(間違っていたらお許しください)この時代に稲作文化が日本に伝わったのでしたよね。 現在日本食の代表として、また「お箸の国」として言われる事もある日本のお米も元々は日本のものでなかったとすれば、この時点で日本はすでに国際化してると言っていいかもしれません。 またお豆腐やお味噌や納豆の原料となる大豆を中国から請来したのは、かの弘法大師空海様だという話を聞いたことがあります。それが本当なら、今日本食と言っているもののほとんどは中国伝来の食べ物ということになります。日本には何もオリジナルの文化がなかったということもできます。 ただ、この時代の「国際化」と今の「国際化」が根本的に違うのは、縄文時代や空海様の時代の「国際化」は、外国の請来文化を日本の風土に合った新しい文化に生まれ変わらせていることでした。一方今の「国際化」は「無国籍化・脱日本化の国際化」、言いかえれば、外国の文化を「鵜呑みにして受け入れっぱなし」に思えて仕方ありません。 ≪お気付きでしょうか。私が言う「国際化」とは、「西洋かぶれ」ではありません。≫と≪経済活動でも地域生活でも、取り組むメンバーの中に日本以外で生まれた外国人や、外国へ行ってネットなどで連絡を取っている日本人が、当たり前のように含まれる状態になるからです。今でも、多くの企業や自治体は、それが当然になっています。≫については 仰るとおりですね。確かに「海外旅行をしなくても、駅や、電車や、商店街や、あるいは自宅の玄関の前で、外国人の姿を見るのは不思議でない」ですね。 「日本人なんだから日本文化を誇りに思いましょう」などと、私の様に大上段に振りかぶらずとも確かにいいのかもしれませんが、少なくとも「日本人らしさをかなぐり捨ててまでの国際化」はいかがなものかと私は言いたいのです。このままでは「日本の個性」がなくなってしまう様で不安です。 ご意見参考にさせていただきます。ご協力大変ありがとうございました。

noname#72652
質問者

補足

お礼の欄で言い忘れたことなんですが、Shirozaru9さまの仰るような「国際化のかたち」もありますね。 身の回りには本当にたくさんの外人さんがいらっしゃいますものね。 わたくし事ですが、先日日光の華厳の滝に行きました際、列のすぐ前にいた人は中国人のご家族でしたし。このような旅行者は勿論、在日期間の長い日本在住の外国の方々・・・。そういう日本の状態を指してShirozaru9さまは「国際化している日本」と考えていらっしゃる。そう理解してよろしいでしょうか?

  • Bayonets
  • ベストアンサー率36% (405/1121)
回答No.5

質問者様のお考えで間違いないと思います。 国際化とは、日本の姿有り様を他国の方に知らせて知ってもらうところから始ると思います。 知らせるためには、まず自らの国や歴史、文化を知らなければ不可能です。 最近の風潮は、国際化というより無国籍化のように感じています。 また政治家の言うグローバルスタンダードは米国化と、いうことですね。 国際化する為に日本を変えるのは本末転倒です。 日本も無国籍化をすすめたい勢力の人々も多くなりましたが、それはそれで日本を正しく世界に伝えていこうという人もまだまだ居ます。 日本の心根を守って行きたいと思っています。 英語は出来ないより出来た方がよろしいとは思いますが、まず日本語の読み書きが出来た上のことです。

noname#72652
質問者

お礼

早速のご意見ありがとうございました。 私が常々思っていて不満にさえ思っていることを、思い切ってこのサイトに投稿いたしましたところ、斯くも多数の方の賛否のご意見を頂き、質問した私といたしましては少々びっくりしております。「日本の国際化」について考えをお持ちの方は多いんだなとつくづく実感いたしました。もっとたくさんの方のご意見をお伺いいたしたいので、しばらくこの件については締め切りをしないでおきたいと思います。今のところ賛成派3人:反対派2人というところですね。 私は「アメリカナイズ」といういわば「死語」のような言葉を使いましたが、確かにそうですね、「無国籍化」ですね。レストランでも日本にいながらいろいろな料理が食べられますし、文字通り「無国籍料理」の看板を掲げている店もあるくらいですものね。 日本文化を見直そうという機運が高まっていることを思えば、まだ日本も捨てたものではないなとも思いますが、裏を返せば、日本文化を見直さなければならないほど、日本人は日本文化を粗末ににしてきたのかと情けなくも思います。 「国際化する為に日本を変えるのは本末転倒です。」には私も同感です。今のような「誤った国際化」では「日本らしさ」がなくなってしまい、「外国のダミー国家」と化してしまうような気がしてなりなせん。日本語が乱れ、外国と同じような摩天楼が立ち並び、「コンクリートジャングル」(この言葉も「死語」になりつつあるかも)に「温暖化」と、今地球規模で滅亡の一途をたどっているように感じます。 話が脱線しすぎましたが、そんな今こそ、「古き良き日本を見直して何が悪い!!それこそ国際化ではないか!!」と声を大にして言いたい今日このごろの私でした。 ご意見ありがとうございました。

回答No.4

>日本人が日本のことを何も・・・ 確かに自国の事を知らない人は国際人として受け入れられません。 ですが、全ての日本人が『国際化』を望んでいるわけでもないのですから、 日本の事を知らない人がいるのは全く不思議ではありません。 >母国語はまともにしゃべれないことがその証です。 私自身は、そうは思えません。 ただ、言葉の使い方が変化してきている事は確かだと思います。 問題は、正しく相手に意見を伝えられるだけのコミュニケーションが可能かどうかであり、 『国際人』としては、昔から伝わる言葉遣いが話せるかどうかは別問題だと思います。 『海外旅行=国際人』という関係は、相当に古い考え方で、 今ではあまりそのような考え方は殆ど無いと思われます。 海外旅行をしたいというのは、純粋な趣味や興味なのではないでしょうか? 私自身は、国際人になりたいと考えて英語を勉強している人がそんなにいないと思います。 『英語が話せたり、読めた方が何かと便利』程度にしか考えてないのではないでしょうか? そんな人たちに、「何故日本の事を学ばないのか!」「恥ずかしくは無いのか!」 と説いた所で、反応はないでしょう。 大衆文化とは変化するものですので、古来よりの文化は廃れる物です。 ですので、『日本の良き文化を伝えられる人材こそが国際人である』 という内容自体には、全く持って賛成なのですが、 現代の日本人の考え方にも全く異論は無いですし、普通だと思います。

noname#72652
質問者

お礼

ご意見ありがとうございます。 「大衆文化とは変化するもの」については同感いたしますが、「古来よりの文化は廃れる物」というご意見については、日本文化ファンの私としては受け入れづらいですね。 確かに「古来の文化は廃れるもの」かもしれません。しかし、一概にそうとは言えるでしょうか。その証拠に今年は何の歳ですか?「源氏物語千年紀」ですよね。この千年もの間残っている「源氏物語」は、当時から現在に至るまでなぜ一度も「廃れ」なかったのでしょうかね?私が好きな歌舞伎をはじめ落語などの古典芸能だって、何百年も昔の芸能ですけど、厳然と今残っていますよね。それどころか、役者さんや噺家さんの努力で歌舞伎ブームや落語ブームさえ起こっていますよね。この現実をどうご覧になりますか?「古来のものだけれど廃れていない」古き良き日本文化そして現在も生き続けて発展し続けている日本文化は厳然としてあるんですよ。それでも、「古来の文化は廃れるのだ」と言い切れますか? 確かに「古来の文化は廃れるもの」かもしれません。でも廃れていくのをほっといていいかというとそうでもありません。「変化しながら引き継がれていくべきもの」だと思いませんか?

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