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平安時代の女性の化粧について(源氏物語)
宜しくお願いします。 源氏物語中の女性の化粧について 少し疑問を感じました。 1 女性達はいわゆる(厚い)白塗りの化粧だったのか 2 その化粧を毎晩落としていたのか、朝に塗りなおしていたのか 3 オハグロ等はこの時代にもしていたのか もし、化粧を夜もしていたとすると源氏が夜に忍んで来た時も女性達の素顔はわからなかったと思うのです。美人かどうかなどわからなかったのではないか、と思いました。特に末摘花の鼻の色はわかるまい、と思ったもので質問させてもらいました。 詳しい方、どうかご教示願います。
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ご質問の直接の回答は#1さんと同じで、補足のようなものですが・・・ >もし、化粧を夜もしていたとすると源氏が夜に忍んで来た時も女性達の素顔はわからなかった・・・ むしろ、夜のために白く塗りたくってました。 たいした灯りのない当時の夜の室内は、それは真っ暗で、しかもだだっ広い寝殿造りでは、どこに相手がいるのやら・・・ それで、「私はここにいますよ」ってな感じで、なるべく暗闇で見えやすいように白塗りをしてたんです。 源氏物語では、源氏みたいなイケメンを表現するのに 「匂うがごとき花の顔(かんばせ)」と言ったりしますよね。 当時の男前&べっぴんは顔そのものよりも(と言うより、皆が白塗りなので顔のよしあしを、ほとんど識別できません)、匂いの美しさ・・・皆、いろんな香料をまぜてオリジナルの香りを造って、真っ暗闇の中での個人を識別していたんです。 だから、そのオリジナルの香りがステキなほど「カッコイイ~」「カワイイ」って事になります。 普通、顔は、結婚してからでないと、まともには見られませんでした。
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- k16399638
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記憶モードですが参考になれば 1)そうです 2)毎日は落としません。かなり塗りっぱなしの時間が多かったはずです。 3)していました こわいのは、当時の白粉は鉛白とかの有害物質が主成分なので、鉛中毒で、さまざまな病気になる人が続出。昭和9年に鉛をつかった白粉は禁止になりますが、色が美しいのでつかう人がやはり多かったそうです。
補足
昭和9年まで使われていたのですか?! それは初めて知りました・・・ 勉強になります^^; 塗りっぱなしではお肌に悪そうですねぇ
補足
なるほどー ということは、紫の上や夕顔や明石の上も現代的美人だったかは怪しいってことなんですね。香はよかったと・・・。 となるとますます末摘花の鼻の色はわからなかったはず、ということになりますね。平安のイメージって難しいですねぇ。 ありがとうございました!