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徳川将軍の覚え方について
徳川将軍について一代からの順番を覚えたいと思っているのですが、家康などの有名な人は覚えられるのですが、家定などら辺を覚えても順番をすぐに忘れてしまいます。 もし、いい覚え方やそれぞれの将軍の順番を覚える上で覚えやすい重要な出来事などがありましたら教えてください。
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- takatukireds
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関連付けて覚える、コレしかありません。 あえていうと、家綱・・子供がいなかったから綱吉が将軍に 徳川家宣・・・綱吉の生類憐れみの甲斐なく綱吉の養子 家継・・・吉宗が将軍になるのはこの人が早く死んだから 家重・・・田沼意次と関係があり死ぬ間際、家治にも薦める。田沼意次は2代に渡って仕える。 家斉・・化政文化の将軍 家慶・・・・ペリーが来た時の将軍 家定・・・篤姫のご主人。安政の大獄のときの将軍 家茂・・・最後から2番目の将軍 慶喜・・・大政奉還 このように覚えておくと15人の将軍がいた、と覚えておけば後はいいと思います。
- goold-man
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甲州高校良し先生始終小さい検定模擬 http://okwave.jp/qa4385730.html 康秀光綱吉宣継宗重治斉慶定茂喜 (1)家康、(2)秀忠、(3)家光、(4)家綱、(5)綱吉、(6)家宣、(7)家継、(8)吉宗、(9)家重、(10)家治、(11)家斉、(12)家慶、(13)家定、(14)家茂、(15)慶喜 ちなみに私は、覚えにくい将軍のみ関連付けしております。 6家宣は甲府から=間部詮房・新井白石を登用 7家継は4歳で将軍になり8歳で死去 9家重は吉宗の子=小便公方(仇名)脳性麻痺(推測)障害により言語が不明瞭で側近大岡忠光のみが聞き分けた 10家治=側用人田沼意次の田沼時代 11家斉は妻妾が多い色キチ 12家慶=老中首座の水野忠邦、=ペリー来航=政治を省みなかったため、「そうせい」というのみで「そうせい様」と呼ばれた