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古文 謙譲語「参る」

古文の質問です。大江山という物語の中で、 丹後へ使はしける人は参りたりや。 という文がありますが、「参り」は謙譲語だと習いました。これは、このセリフを言っている定頼中納言が小式部内侍に敬意を表しているという事なので、自分なりに理解して、このような文と一緒ではないかと思いました。 私の母は先生のお宅へ参りましたか。 私の母=丹後へ使はしける人、先生=小式部内侍 理解が間違っていたら指摘していただけるとうれしいです。

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回答No.1

「丹後へ使はしける人は参りたりや」って藤原定頼が小式部内侍に意地悪をしたときの言葉じゃなかったですか?たしか。 「(小式部内侍が)丹後(にいる母・和泉式部のもと)へ行かせた使いの人は、(都へ)帰ってきましたか?」という意味だったかな。 小式部内侍が「丹後へ使はしける(丹後へ人をつかわし)」で、「参りたりや」は藤原定頼が小式部内侍に向かって丁寧語として使ったか、謙譲語としてなら、小式部内侍をその母である歌人・和泉式部に見立てて、イヤミっぽく子供相手に謙譲語で話しかけたか。 それに対して小式部内侍が、 「大江山いく野の道の遠ければ まだふみもみず天の橋立」 と「いく野」を「行く野(=田舎?)・生野(=地名)」、「ふみ」を「文・踏み」にかけて読み返し、都から遠い田舎の丹後に父の国司赴任と一緒についていった母・和泉式部に助けをかりずとも歌を詠むことができますよ、とギャフンと言わせたというオチがある。 本件は考古学分野への質問では返答できる人が少ないような気がしますし、しかも、古文の苦手な私が返稿することもないですが、、、あしからず。。。

Aurorander
質問者

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