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玉川上水開削工事の謎

こんにちは。 現在玉川上水の開削工事に関する、特に土木技術に関しての論文を書こうと思っています。 そこで、玉川上水の謎とも言われている開削工事の期間について質問がります。 記録によると、開削工事は7ヶ月で完了したとあります。ただ、工事はどの時点で開始になったとかは記録にありません。 江戸時代の頃にここまで短い期間に完成させたのは、一体どんな技術が用いられて完成したか何かアイデアがある方は是非教えていただきたいと思います。 宜しくお願いします。

みんなの回答

  • masa2211
  • ベストアンサー率43% (178/411)
回答No.2

>開削工事は7ヶ月で完了したとあります。 >江戸時代の頃にここまで短い期間に完成させたのは、一体どんな技術が用いられて完成したか 問題の焦点が違います。 工事期間については、人海戦術をとればどうにでもなります。ですから、 これは技術の対象ではありません。 技術の対象とは、「開削する深さをどうするか」 あたりまえですが、水は低いほうへ流れるから、下流へいくほど標高が低くなければならないし、可能であれば一定勾配 である必要があります。 で、これは水路の「設計」なので、工事期間(7ヶ月)に含まれておらず、 工事の前に測量(計算)されています。 ですから、「ある深さで開削すれば高いほうから低いほうへ水が流れる」 という「深さ」を求めるのがキモ部分。 要するに、「標高差」を求めるわけで、測量機械が無い時代にどうしたか? ということに集約されることになります。 で、当時どうしたか?というと「水張法」ですね。 2地点間をホースで結べば、水位が等しければ標高は等しいはず。 で、水位が異なれば、それがすなわち標高差です。

houyu
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 水張法は初めて聞きました。もっと調べてみます。 色々疑問はまだありますが、水張法を知れて大変参考になりました。ありがとうございます。

noname#160321
noname#160321
回答No.1

40年ほど前、某政党の機関誌に玉川兄弟の掘削苦悩の小説が連載されました。 たしか数年はかかり、岩盤などにはばまれ、幾度か水路を変更したはずです。

houyu
質問者

お礼

杉本苑子の「玉川兄弟」ですね。 苦労しましたがなんとか手にいれ、読んでみましたが、開削技術についてはすべて創作であると書かれていました。 わざわざありがとうございました。

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