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井上荒野“切羽へ”の疑問(ネタバレあり)
やっと読み終わりました。この作品が直木賞なのかなぁという感想ですが(これまでの作品のが好きなのがたくさんありました)、それは個人の感想なのでさておき、いくつか疑問が残りました。 (1)最後、セイに赤ちゃんができますが、これは普通に夫の子供ですよね?直接的な描写はありませんが、廃墟?で石和と何かあったとかは考え過ぎですよね?(あるいは以前に石和と何かあったとか) (2)夫はやはりセイの恋心に気づいていたのでしょうか?東京からのふいの帰宅などや、島を離れる石和を見送ったと思われることなどから。 (3)作品のキーワード“ミシルシ”ですが、これは結局、最後に赤ちゃんができることの前兆?それとも、新たに訪れた恋心の象徴?石和という人物自身がミシルシだったのでしょうか? ご回答お待ちしております。
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全くの私見ですが…… (1)夫の子だと思いますよ。「あんたは嬉しくなかとね?」に対して 「嬉しくないわけがなか」と答えていますよね。 穏やかな夫婦の幸せが満ちている感じが表現されていると思いました。 (2) 夫は気づいていたと私は感じました。 (あんな小さな島で気づかないわけがないし)(^^) 石和を見送った(と思われる)日の夜も、「あんたが作るお菜は本当に旨かねえ」と言いながら、いつもより静かにお酒を飲み続ける夫。 半ば、安堵感もあり、また彼女に対して大きな信頼感で包んでいたのでは、と思われます。 (3)筆者は「ミシルシ」を「この島で私たちが、正しくいきているという神託みたいなもの」と説明していますよね。 正しく生きているかどうかの試金石として、神が島につかわしたのが 「石和」なのかな~、などと私は考えました。 「切羽」(普通はセッパと読むらしい)とは、炭鉱のトンネルのこれ以上先に進めない先端を言うそうです。 なんとなく、物語を象徴しているような気がしますよね。何とも、淡い淡い(唯一、月江だけが破天荒?) 澄まし汁(変なたとえか)のような恋愛小説でしたね。(^^) 参考までに書いてみました
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- drop-in345
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読み終わって、これは好き好き&賛否両論極端に分かれそうな作品だなぁと思いました。 作品、としてはさほど好きとは感じませんでしたが、作品の中の心理世界には共感しました。そういうことってあるよな、という感じで。書き方がやはり上手だな、とは思いました。 井上荒野さんの作品をあまり読んだことはありませんが、小説作法としては直木賞に値すると私は思います。 (1)これは夫婦の子供でしょう。石和と何かあったという状況にまで至っていません。というか、最後にそこに至ってしまっていたらこの小説世界は成り立たないような。 キスさえも出来ないような感情だから成り立つ恋愛小説かなと思います。 (2)気づいていたんじゃないかなぁと思います。気づいていたんだよ、という雰囲気の描写が結構ありますよね。 その三者牽制(?)みたいな状況も読みどころの一つだと思います。 (3)No1の方の意見とほぼ同じ意見です。直接石和の存在が「ミシルシ」とは言えないのかなとは思いますが、正しく生きていることに拘らずにいられない人間であるセイという人の、物の考え方捉え方の表現のために「ミシルシ」という存在が必要だったのだと思います。 その「ミシルシ」に依るセイの試練としての一つの形が石和だったのだと思います。石和なきこれからを生きるセイにとっては夫婦の結晶である子供が「ミシルシ」であるともいえるのかなとも。 といった解釈が私の解釈ですがいかがでしょうか。
お礼
ご回答ありがとうございました。お礼が遅くなり申し訳ありません。特に“ミシルシ”の解釈について本当に参考になりました。またじっくり読みなおしてみたいです。ありがとうございました。
お礼
ご回答ありがとうございました。お礼が遅くなり申し訳ありません。大変納得いく回答をいただき嬉しいです。確かに、“ミシルシ”とは島の人々が正しく生きているという神託みたいなもの、そのためのにいわば“異邦人”的な石和がつかわされたのですね。本当にありがとうございました。