• 締切済み

江戸期秤量貨幣の形の不規則性の理由

uu11212891の回答

  • uu11212891
  • ベストアンサー率23% (266/1132)
回答No.1

カテゴリー 学問&教育の歴史で質問をされたらいかがでしょうか。  回答に私も興味がありますから。

17891917
質問者

お礼

ご回答ありがとうございました。 最近は,切手や貨幣収集をされている方も減っているようで,なかなか回答がいただけませんね。 ご指摘のとおり,「カテゴリー学問&教育の歴史」で質問いたします。

関連するQ&A

  • 江戸期

    江戸時代の秤量貨幣(銀貨:丁銀や豆板銀)は,なぜ,金貨である小判のように整った形をしていないのでしょうか。 教えてください。

  • 江戸時代の「白銀百枚」はどれくらいの価値ですか?

    江戸時代中期の古文書で、「白銀百枚」もらったというものがありました。 白銀百枚とは何でしょうか? 白は美称でしょうか? 銀は丁銀のことですか? 小判になおすとどれくらいになりますか。 よろしくお願いします。

  • 銅がなぜ貨幣として広く使われてきたのか

    銅がなぜ貨幣として広く使われてきたのか 近代以前、お金といえば洋の東西を問わず、「金、銀、銅」の3種が材料として使われてきたと思います。江戸時代は「江戸の三貨」といわれ、小判(金)、丁銀(銀)、銅銭(寛永通宝)が決済に利用されたと聞きますし、中国でも通常の少額決済には銅銭、多額の決済には銀が使われたといいます。 金や銀に普遍的価値があるのは常識ですし、錆びない貴金属としての価値が本位貨幣としての通用力に影響を与えたというのは容易に理解できることです。 一方で銅は卑金属であり、その金属としての価値は鉄やスズと比べて大差ないように思えます。少なくとも金銀と並び称されるほど「誰もが価値を認める」金属ではないと思えるのですが、なぜこれが貨幣として通用したのでしょうか。「金本位制」や「銀本位制」というのは聞きますが、「銅本位制」というのは聞いたことがありません。 特に中国や日本ではコイン(銭)といえばそのほとんどは銅銭でした。逆に金や銀のコインはほとんど作られていません。西洋では金貨や銀貨は作られていましたが、同じように銅貨も作られ、非常に普及していました。銅が貨幣の材料として洋の東西を問わず普及したのはどういった理由からなのでしょうか?

  • 【歴史】江戸時代の大工さんの日当が現在の貨幣価値で

    【歴史】江戸時代の大工さんの日当が現在の貨幣価値で日当1万8000円ぐらいだったそうです。 で、1両小判が現在の貨幣価値で10万円くらいだったということは、江戸時代は庶民も1両小判を普通に持っていたと考えても良いってことですか? 庶民でも1両小判(10万円相当)を持ってたか教えてください。 1両小判が10万円なら、大判小判は1両小判の10倍の100万円ですか?

  • 江戸時代貨幣

    江戸時代に10文銭はあまり使われなかったそうですが4文銭と2朱銀の間の貨幣がないと不便じゃなかったのでしょうか?まあ天保通宝が幕末近くにあったけど。

  • 江戸時代の丁銀の不思議

    江戸時代の貨幣で、丁銀なるものがあります。 時代劇で見て、その不思議なる形を不審におもい調べたのですが、形や重さが一定しない貨幣のようです。 http://homepage3.nifty.com/harupii/cyomame.htm どうしてこんな不思議な貨幣が流通したのでしょうか? 大きさ、形、価値が一定であってはじめて貨幣の意味があると思うのですが。 またなまこ形のものはいびつで、非常に重そうですね。 どうしてこんなへんな形に鋳造したのでしょうか? 中世以降の海外でもこんな特殊な貨幣がありますか? よろしくお願いします。

  • 江戸時代のお店

    江戸時代のちょっとしたお店は客に豆板銀で支払われてもいいように金秤を用意してたのですか?

  • 江戸決済

    江戸時代の貨幣で1分金と1分銀が同じなら支払いは1分金でお願いしますよと言いませんか?江戸時代の人間はそんな野暮なことは言わないのですか?

  • 江戸期の・・・

    ども、皆様方いつも勉強になります。 現在z56は、山本一力著「銭売り賽蔵」を読破してます。で、チョッチ疑問を憶えましたんで2つ伺います。 1つ目は、時代背景が江戸中期のようなんですが、この時に日常の買い物は”銭”で遣り取りをしてたようです。 脱線しますが、大岡越前などで盗賊が豪商の蔵に押し入り千両箱を強奪していきます。 が、日常では、大判小判の金や丁銀、豆板銀などではなく”銭”のようです。盗賊は盗んだ千両箱の中身を。そのまま市中で使用できませんよね。どっかの両替商で小銭に両替をする必要があります。 奉行所から両替商に通達が出されますと、黄金を持ってても両替できませんと意味ないですよね。 その辺は、どうだったんでしょうか? 2つ目は、江戸と遠方とのお金の遣り取りです。 今現在のように金融機関が日銀に口座を開設し、振込み額の帳尻を合わせてるのと違って、お金を送金する時に、どうしてたんでしょうか?よく”為替を送る”ってな記述が見受けられます。意味は証書を送付するようなんですが、安全だったんでしょうか? トリビアですが、詳しい御仁が居られましたら宜しくお願いします。

  • 世界史上、貨幣の単位で4進法を採用した例はありますか。

    江戸時代、両・分・朱の単位は4進法でした。 なぜ4進法にしたのかという理由が知りたいのですが、 一つの仮定として、取引の決済時、秤量貨幣であれ銀や金の延棒であれ、1/2、1/4、1/8なら分割しやすいという従来からの商慣習を踏襲したのではないかと、推測しています。 しかし、このような理由であれば、他国でも同じように考えて、4進法にするのではないかと思って質問しました。 このカテの下記No.の質問の続きです。 よろしくお願いします。 http://oshiete1.goo.ne.jp/qa5179499.html