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木曽義仲の正室は誰?本物の平家物語ではどうなっているの?

今、宮尾登美子さんの平家物語を読んでいます。その中では義仲の正室(義高の母親)は甲という松本の女性でした。 しかし、以前読んだ松本利昭さんの『巴御前』では、山吹という海野兼保の娘が正室でした。 実際はどっちなんですか?ご存知の方、教えてください。

みんなの回答

  • nene-k
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回答No.3

#2です。 ごめんなさい、 何を血迷ったか、別の人物とこんがらがって、間違った事を書いてしまいました~ 基房の娘=伊子さんです。 ただし、この頃には義高はすでに鎌倉に人質となってますので、「正室=義高の母」でない事は確かで、母親が巴御前の姉というのもあってると思います。 スミマセン、これからは、落ち着いて回答します

  • nene-k
  • ベストアンサー率42% (118/279)
回答No.2

確かに、氏素性のはっきりしている人は藤原伊子さんだけなので、正室という事になると#1さんのおっしゃる通り、この伊子さんという事になるでしょう。 ただし、「正室=一番つながりがあった女性」ではありませんし、「正室=義高の母」でもありません。 伊子さんとの夫婦生活は、最後のわずか3ヶ月ですし、この頃の義仲は、摂政松殿基房の姫に夢中になって足しげく通っていて、鎌倉軍に攻められた最後の最後にも別れを惜しんで会いに行ってますから、伊子さんとは、まともな夫婦生活は送ってないのではないか?と思います。 義高のお母さんは、確か、巴御前の姉だったと思います・・・つまり、中原兼遠の娘ですね。 名前は伝わっていません。 女性の名前は、戦国時代でさえ、よほどのお姫様しか残っていないので、小説などに登場する名前は、ほとんど、小説家の創作による物だと思ったほうがよいです。

  • tanuki4u
  • ベストアンサー率33% (2764/8360)
回答No.1

http://ja.wikipedia.org/wiki/藤原伊子 ということのようですが、まだ正室という概念が無かった時代ですから、上記の判断も、他の女性が氏素性の分からない女性に対して、藤原家の娘で氏素性がハッキリしているという意味で正室と判断しているのではないかと。

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