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戦で敗残兵はどうなった?
日本の戦国(江戸時代初期の大阪冬の陣と夏の陣まで)時代までの戦で生き残った負けた軍の兵士はどうなったのですか? 大河ドラマをいくつか見ると、敗残兵は落ち武者狩りで勝った軍の兵士が殺害していることが多いですが(逆に味方の兵士は生きていれば助けけていますが)
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- eroero1919
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戦国時代の足軽兵というのは、金で雇われた傭兵です。もっとわかりやすくいえばフリーターみたいなもんでした。だから非常に士気が低い。こっちが負けそうだとなると「命までかける筋合いはねぇ」とばかりに逃げ出してしまうのです。織田信長の軍隊は足軽が中心だったので「織田の弱兵」とよくいわれたのです。 逃げ出した足軽たちは戦場を逃れると町をぶらぶらします。大抵、勝った側は軍隊の補充と時には規模を大きくしなければならないので「足軽募集」ということになります。そうすれば、元足軽たちはまんまと「再就職」というわけです。 派遣会社が潰れれば、そこで働いた人はどうなるか?多くの場合、別の派遣会社に登録するでしょう。それと同じです。 織田軍のように戦さに負けても国にさしてダメージがない場合は、どちらにしても失った兵を補充しなければならないので「足軽募集」となります。そうすると、逃げていた連中も他に行くアテがないですから・・・というわけです。 当時は今の日本に比べれば人口がはるかに少ないですから、戦さがどこかである限りはまたどこかで仕事が見つかる可能性は高かったと思います。 むしろ天下が統一されて足軽や戦さのときだけ雇われた「フリー武士」が失業してしまうことのほうが為政者にとってはるかに深刻な問題でした(仕事のない元軍人が武器持ってそのへんをウロついている)。その対策が秀吉の刀狩であり、朝鮮出兵でした。家康は、大阪の陣でかなり浪人を「整理」しました。また後に徳川幕府は島原にそういった浪人連中が集結しているのを把握しておいてあえてそれを放っておきました。そのため島原の乱では歴戦のベテラン兵が天草軍に多数参加していたので幕府軍は鎮圧にてこずったのです。こういった浪人問題は、由井正雪の乱まで続くこととなりました。
- komes
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敗残兵といってもいろいろなケースがあります。 1.まず味方陣地ないし城を目指すでしょう。 2.これが遠方でその見込が乏しい場合、山野に逃げ込むことで敵ないし落ち武者狩りの目から隠れる。 3.運悪く追跡者に見つかれば自決するか、とらえられるかです。 この場合、兜などをつける身分の高い場合は捕らえられ敵に引き渡され、その処置は敵の判断に委ねられます。 これは報奨金目当てです。 運がよければ助命され召抱えられるケースもありました。 4.死体となってる者は鎧、衣服、武器、金目の物をはぎ取られて放置されます。 掠奪者は勝利側の兵士の場合も、死体荒らしの近郊の農民の場合もあります。 以上は身分のある武士の場合で、雑兵はたいてい殺される運命でした。 民間人、ないし非戦闘員は奴隷として売買される習慣でした。
鎧などそこそこ装備を持っている敗残兵は勝った軍に所属する武士から足軽にいたるまで全員が狙っています。 そういう武士を取れば農民兵は武士に、下級武士はより高い地位へに出世できる可能性がありますから味方同士で争奪戦も当然あります。 また、今でこそ衣類はとても安いものですが、あの当時はそれなりの価値がありますのでそういう金目のものは負ければすべて剥ぎ取られます。 戦場に借り出される農民にはまともな恩賞など期待できませんから敵国の財産や田畑の作物を回収し、現地の人間を売買してその代わりとしていました。 末端の兵隊は降伏して捕虜となれば奴隷として売買されることとなります。 武将の多くは軍隊の最前列には軍勢の通る道を作る土木技術者、後ろには勝利した後、即座に市場で領民=奴隷を売買できるよう奴隷商人をつれていました。 そもそも「いくさ」が起こる理由や目的自体、こういった略奪行為にあります。
- k-josui
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たまたま目に留まりました、詳しいわけではないですが・・・・ 雑兵と呼ばれる最下層の兵士は領地の農民が駆り出されるので、再び農民に戻るのではないでしょうか? 当然、領主は戦に勝った殿様の領地になりますので、その人たちは大切にしなければ年貢が入ってきません。 落ち武者狩りの対象になるのは武士クラスまででしょう。 また、第3者(戦の当事者同士でない、例えば隣の領主)が普段から「あの男はできるから家来に欲しい」と思って見ていた武士などは、即探し出して召抱えた事もあったようです。