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江戸時代の庶民のお金事情について
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江戸時代の身分制社会は徹底的です。 江戸・京・大坂に限って言えば、「町人」とはまず「家持ち」である必要があります。 家を持っていない人間は町人とは見なされず、自治権なども一切ないです。 長屋住まいの人間と大家はここで区別がつきます。 これに関しては江戸初期から決まったしきたりのようですね。特に、京都で早くに定着した慣習かと思います。 と、いうことを念頭にまずおきましょう。 そこで、質問者様のご質問ですが。 >江戸時代の庶民は貧乏と思っていたのですが、意外とそういう訳ではなく、幕府から豪華な服装等はやめろとお達しが出るくらいの華やかさを誇ったと聞きました。 まず、いろいろ問題はありますが、江戸時代の都市生活者の構造を武家・僧侶→家持ち町人→借家住まいに区別しましょうか。 武家や僧侶は武家諸法度・寺社奉行の管轄などでしっかり取り締まられ、あまり自由の利かない身分ですが、一応上位に位置しています(まあ、いずれもピンキリですが)。家持ち・借家ひっくるめて、現代では全部町人でしょ、っていう扱いになってますね。それとは別に穢多などの被差別集団がいますが、そこにも階層があるので話は長くなってしまいます(なので割愛)。 で、質問者様の言う「庶民は貧乏」、これは借家住まいのその日暮らし集団です。地方出身者が多く、貧乏です。 で、「幕府から豪華な服装等はやめろとお達しが出るくらいの華やかさ」で良い暮らしをしているのは家持ち。主に商いの家が中心で、結束して商売をしています。設ける手段は、大名への高利貸しや、飢饉を察知して米の買い占めなどを行い値段をつり上げる、等と言った現在では非合法きわまりないやり方です。 まあ、商人の家ですから、基本無駄遣いを否とする風潮は強かったようですが…時折豪遊してしまうやんちゃなお子様やご隠居様などがおりまして。 ちなみに、豪奢な服装を取り締まる禁令は後期のものが有名ですが、実際に家名断絶にあっているので有名なものは淀屋事件かと思います。元禄頃の出来事ですが…。 実録は摂陽奇観などに詳しいです。あまりに豪奢な生活をしたため商いの取りやめと手代の斬首などが決まったようですが、その実は大名への高利貸しの額がとても返済可能なものではなくなり、途方に暮れた大名サイドから淀屋の断絶がなされたという説が有力です。 武家が商人から金を借りた物の返せなくなって力に訴えるというのは中世から聴く話しですが、近世でも健在です。
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- ben1151
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ある程度の商家ですが、現代と違うところは、人件費の安さでしょう。 ほぼ、無給で、休みもほとんどなく、仕事を仕込むという建前で、若い子を使えます。 宵越しの金を持たないというのは、火事の多さにも、由来すると、思います。 ビジネスチャンスも、あったでしょうし、手に職があれば、困らないことは、今と変わりないと思います。
- ecoshopQ
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商人たちは大金持ちが多かったようです。 江戸も後半あたりになると武士が商人に金を 借りに来るほどでした。士農工商がやかましい ので彼らは表向きだけ質素にしていました。 庶民については山東京伝という人が書いている んですが、けっこうお金はあったようです。 それで花見や祭りといっては楽しく暮らして いたといいます。むしろ貧乏なのは武士くらい でした。
- jasko
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庶民ではなく、町人の金持ちに対するお達しだったと思います。 江戸の庶民とは、つまりは職人たちのことを指すといって良いと思います。 長屋の八つぁん熊さんたちです。彼らは年中貧乏だけど、威勢はいい。「宵越しの銭は持たない」どころか、つまり資産というものを持っていないです。金を貯め込んでも、火事がは多いわけで、自分のすみかも焼けるけど、仕事はいくらでもあるわけです。だから。「宵越しの銭は持たな」くても暮らせたのです。反面、そんな贅沢が出来るわけもありません。 その点、大名などに金を融通している大商人たちは贅沢が出来ていたわけで、彼らに対する幕府からのやっかみみたいなものでしょうかね。禁令なんてのは。
お礼
ありがとうございます。 なるほど、町人と庶民は別々の区分だと考えてよいのですね。これは学問的にそう分けられているのでしょうか? あと町人というのは現代でいえば我々のような一般市民を示し、庶民というのは土木工事などを行っている専門的な業者などのことを示すと解釈しても良いのでしょうか?
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お礼
ありがとうございます。 そのようですね。着る物も見た目は質素でも中の模様を凝ったものにするなど工夫した。というのも見ました。 武士などはやはり体面を保つことにお金がかかったんでしょうかねぇ。 ただそこまでのお金をどのように稼いだのかを知りたいです。(答えて下さったのに申し訳ないです。) 引き続き回答くださると大変うれしいです。