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江戸の庶民文化の普及?

少し文化について勉強し始めています。 疑問に思ったことがあるのですが、 江戸時代に普及した庶民文化。 なぜ、このときに庶民に‘文化’というものが 広まったんでしょうか? 何か、生活や庶民の考え方?ゆとりなど・・・ 何が原因なんでしょうか。 もしお分かりの方がいらっしゃいましたら、 どんなことでも結構なのでお教え願います。

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  • ベストアンサー
  • fornaoya
  • ベストアンサー率32% (11/34)
回答No.4

単純すぎる答えで申し訳ありません。 よく一般に言われているように、戦争が無かったからかと……。 こんな答えを望まれているわけではないですよね。すいません。 違う側面から理屈付けるとすると、庶民の二極化と、江戸という「都会」の存在があげられると思います。 江戸という都会は、非生産区域でした。 江戸は大きな消費者とも言えます。 消費するばかりで、生み出さないんですね。 生み出すのは、農村、漁村等、都会以外の村々です。 文化が反映する条件に、「余暇」があります。 古代ローマに文化が栄えたのも、貴族達は奴隷を使うことで自身は労働をする必要が無くなり、余暇が沢山できたためだと言われています。 江戸も、これと同じではないまでも、似たような状況でした。 米は百姓が作り、魚は猟師が捕る。 江戸に住む人々はそれを、金を出して買えばよかったので、江戸の住人が自ら魚を捕ったり稲を育てたりする必要がありませんでした。 よって、余暇が出来ます。 現代と違って一日8時間も労働する武士などほとんどいないため、武士にも沢山の余暇があります。 それゆえ、様々な文化が発展したのだと思われます。 ちなみに、金がなければものも買えないではないか、とお思いかもしれませんが、江戸の場合、どんなことをしても商売になったので、本当に喰えなくなるという事はまれでした。 ちょっと手作りのお面をかぶって家々の前で踊るだけでご祝儀がもらえましたし、道端に咲いている花を摘んで売り歩けば買い手がつきました。 元ではタダです。 それでもどうしても体を壊して稼ぎにいけない、という時には、長屋住まいならば必ず誰かが助けてくれました。そのための隣近所です。 江戸で食えない奴はよっぽどだ、と当時は言われていました。 よって、職業も制限されたえた・ひにん等は別として、庶民、武家ということでしたら、ゆとりの原因は「非生産階級であるため」という事になろうかと思います。 つまり、江戸に住んでいる時点で、どんなに貧乏でも「勝ち組」なのですね……。 また、ご質問の「庶民の考え方」についてですが、江戸っ子は宵越しの銭は持たない、と言われる通り、貯金をしない事が美徳ですから、持っているお金はすべて使ってしまおうとします。 また、長屋住まいで、困った時は必ず誰かが助けてくれる、という考えが前提としてあるので、貯金はする必要がないんですね。 老後も同じです。必ず同じ長屋の若い人が面倒を見てくれます。今と違って、老後のためにお金を取っておく必要がないんです。 あったらあっただけ使うわけですから、消費は拡大します。すると経済は活発化し、都市は繁栄します。必然的に、文化も華やぐ、と考えられます。 実際はもっと複雑なのでしょうが、単純に考えるとそういう事なのではないでしょうか。 江戸も半ばごろになると、特に農村においてですが、裕福な土地持ちの百姓と、その日の暮らしにも困る水のみ百姓との二極化が進みました。 その結果、裕福な方の百姓には余暇が出来、家業の片手間に趣味を持つようになりました。また、道路や宿駅制度の整備等により、江戸からの情報も逐一入るようになったため、都会(江戸)の流行にも敏感でした。 こうして、江戸という都会以外の地域にも文化は広がって行き、ああした隆盛をみたのではないかと思われます。

aichika
質問者

お礼

詳しいご回答、どうもありがとうございました。 勉強になりました。

その他の回答 (3)

回答No.3

故・樋口清之博士の著書はお勧めです。 「梅干と日本刀」等いろいろ出てます。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A8%8B%E5%8F%A3%E6%B8%85%E4%B9%8B 古代から現代まで幅広く解説されていて、本も読みやすいです。

参考URL:
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A8%8B%E5%8F%A3%E6%B8%85%E4%B9%8B
aichika
質問者

お礼

購入を検討します。どうもありがとうございました。

  • Gantz10
  • ベストアンサー率17% (20/117)
回答No.2

 No.1 、なんかいいかげんなことを書いていますね。「庶民」ってのはそんな限定されたものではありません。  例えば江戸時代大流行したアサガオなどの鉢植えは、長屋暮らしの職人の家庭でも行なわれたものです。今の年賀状のように、来年のカレンダーを年末に考案して知り合いに配ったりというイベントも行なわれていましたが、これも高級武士から一般庶民まで広まっていたイベントです。  平和で、成長度合いは微弱なれど安定した社会だったから、生きるだけ以外の幸せや楽しみの追求にエネルギーやお金を掛けられたというのが大筋です。

参考URL:
http://www.amazon.co.jp/gp/product/4061859404/503-8021835-4718347?v=glance&n=465392&s=gateway
aichika
質問者

お礼

参考になりました。ありがとうございます。

回答No.1

 文化が発展する=消費が拡大=富裕層が積極的に金を使うということです。  この場合の庶民とは、身分が現代のように中流層という意味ではなく、武士や公家以外の身分の低い町民、農民をいいます。身分は低くても富裕層でした。これが消費を担っていました。そもそも江戸時代の農民、町人というのは農地、土地を所有している者=金持ちを指します。小作農や店子のような無産階級は含まれていません。江戸時代も時代が下るにつれ、貧富の差が拡大していきました。 江戸の庶民とは今で言うと富裕な勝ち組サラリーマンです。

aichika
質問者

お礼

勉強になりました。どうもありがとうございました。

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