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ホロコーストと他国(ヨーロッパ)の動き

ホロコーストの際の他国(ヨーロッパの国々)の動きについて知りたいです。 ホロコーストwikipedia・「ヴァンゼー会議とユダヤ人問題の最終的解決」より引用↓ ヨーロッパに住むユダヤ人1,100万人という数がハイドリヒによって確認され、その「最終的解決」なるものが決定された。ドイツ領内には230万人のユダヤ人、ハンガリーには85万人, 他の占領地域には110万人、ソビエトには500万人の合計650万人を、アウシュビッツなどの強制収容所に列車で送る計画が承認された とのことなのですが このようにナチスが他のヨーロッパの国々からユダヤ人を摘発する時、ナチスとその国との間に交渉のようなものがあったのでしょうか? <<アウシュビッツなどの強制収容所に列車で送る計画が「承認」された>> というからには、ユダヤ人移送計画の交渉、取引があったのでしょうか?(つまり、ユダヤ人の売り渡しというか取引のようなもの)あるいは、ドイツ軍が占領地として勝手にその国に侵攻→ユダヤ人連れ去り。でしょうか? もう一つ、ホロコーストが起こっていたとき他のヨーロッパ国は何をしていたのでしょうか?ヨーロッパのドイツ以外の国でユダヤ人摘発が起きていた時、デンマークはユダヤ人を収容所に移送させずナチスの手から逃れさせた国だと思いますが他にもこういう国はあったのでしょうか?? 他の国々は連合国軍と同じようにホロコーストは行われていると薄々知りながら(堂々知りながら?)黙殺していたのでしょうか?確かポーランドでは抵抗運動が結構あったと聞いたような・・・・ あるいはホロコーストの際の他国の動きについて知る事ができるような資料・書籍がありましたら教えて下さいませm(_)m よろしくお願いします

みんなの回答

回答No.4

No2です。 少し回答が不親切でした。下記URLにDVDが売られてます。 ちなみに、イタリアはナチスドイツに占領されるまでは、一人のユダヤ人も移送に協力していなかったと番組では解説していました。 質問者さんも書いているデンマークのような国は、他には少なかった様です。 私はキリスト教信者ではありませんが、60年前のユダヤ人はヨーロッパ中から嫌われていた様です。 理解しがたい環境?状況ですね!?

参考URL:
http://www.yodobashi.com/enjoy/more/i/cat_1107_27194670_766_25013788/47586836.html
  • Mumin-mama
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回答No.3

ANo.1です。 ANo2.様の投稿を参考にユーチューブを検索したところ、 Auschwitz: The Final Solution Part 4 of 5 〈英語とドイツ語) で8分頃にスロバキアがナチにユダヤ人一人をRM500.-で売る話が出てきます。NHKで放映されたものと同じかは分りませんが。 また、ユダヤ系イタリア人を描いた Life Is Beautiful Part 1 Movie (English) も1939-1945年のユダヤ人の置かれた状況や強制収容所、ナチスが描かれています。

回答No.2

貴方の質問の全てに答えるTV番組が、昨日BS NHKでやっていましたよ! BBC制作の「アウシュビッツ」です! 川口のアーカイブセンターで貸し出してくれるかもしれません。 ご確認のほどを!

  • Mumin-mama
  • ベストアンサー率45% (1140/2503)
回答No.1

>ドイツ軍が占領地として勝手にその国に侵攻→ユダヤ人連れ去り。 ほとんどがそうだったと思います。 列車などの前で銃を持って強制連行していたのはほとんどがナチの兵隊だったでしょう。 >デンマークはユダヤ人を収容所に移送させずナチスの手から逃れさせた国だと思いますが他にもこういう国はあったのでしょうか?? 確か、ヒットラーがユダヤ人は胸にユダヤの星のワッペンを付けるようにといった時に、デンマークの国王は国民全員にユダヤのワッペンを付けるように命令したという話〈逸話?)があったと思います。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AF%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%83%81%E3%83%A3%E3%83%B310%E4%B8%96_(%E3%83%87%E3%83%B3%E3%83%9E%E3%83%BC%E3%82%AF%E7%8E%8B) 残念ながら、その当時ユダヤ人を国として擁護したのはデンマークだけだったようです。 中世の時代からヨーロッパにはゲットーというユダヤ人居住地区が各地にありそれは1516年べエニスに法王パウルス4世の「ユダヤ人恒久隔離制度」1515年によって、全イタリア、フランスのアヴィニョン、チェコのプラハ、ドイツのフランクフルトなど壁と門で隔離された狭い地域のみでユダヤ人はユダヤ人独特の服装で生活することを許されます。中世、カトリックはお金にかかわる職業はいかがわしいものとしていたので、ユダヤ人は商人や金融業に携わることになります。 ルターの宗教改革後、教会とは関係が無く、お金を持っていたユダヤ人は16世紀のオランダのスペインの独立戦争の資金や17世紀のイギリスではオランダやスペインとの戦争のため、18世紀のドイツでは産業政策や財政政策のためにユダヤ人を自分達の都合の良いように解放したり、徐々に同化して行きます。 1815年のウィーン会議の後、自由主義運動が進展すると、ドイツの自由主義政治家たちは、ユダヤ人のキリスト教への改宗、ユダヤ的要素の解消、ドイツ民族の同化という政策を通じ、ユダヤ人を解放しようとしました。その結果、強制収容所にユダヤ人が送られる時代にはほとんどのユダヤ人はドイツ人と外見的見分けは出来ない状態で、宗教的にも、ユダヤ教からキリスト教に改宗しているユダヤ人がほとんどでした。1933年までの間ドイツのユダヤ人は「ユダヤ系ドイツ人」または「陰でユダヤ教を信じるドイツ人」〈少数)でした。 近代になって、手工業や小商業や農民が振るわなくなり、その反対に新聞、書籍、弁護士、医者、学者、金融業にユダヤ人が活躍してくると、不満はユダヤ人に向けられるようになったのです。 イタリアのムッソリーニはヒットラーがユダヤ人を強制収容所に送ることに関して、了解をしていたと思います。その当時、ユダヤ人はイタリアでも厄介者扱いされていました。ですから、ナチがユダヤ人狩りをすることはファシズムのイタリアにとっても好都合だったと思います。 フランスの北半分はパリが1940年6月にドイツに陥落したことでナチの支配下に置かれ、南フランスはフィリップ・ペタンによりファシズム政策を取りやはりユダヤ人は強制所送りでした。 ポーランドが抵抗したのはユダヤ人のためではなく自分達のためであったと思います。ポーランドでもユダヤ人は他のヨーロッパの国のように邪魔者扱いされていました。 ロシアにもユダヤ人は多く住んでいましたが、いつもユダヤ人に対する迫害はありました。「屋根の上のバイオリン弾き」などにも迫害されて行くユダヤ人の話が描かれていますね。 >他の国々は連合国軍と同じようにホロコーストは行われていると薄々知りながら(堂々知りながら?)黙殺していたのでしょうか? 黙って見ていたというより、一緒になって密告したりしていたと思います。密告すれば、お金がもらえますし、もし、目の前に自分の子供が飢え死にしそうで、近くにユダヤ人の隠れ家があったら、密告するとか、ありえない話ではありません。友達でも密告します。戦争というものはそういうものです。自分ひとり生き伸びるのに必死なのです。たとえば、教会の神父や牧師がユダヤ人殺害を否定すると強制収容所送りだったそうです。1939年9月ポーランドのユダヤ人は胸にユダヤの星を付けることが強制され、1940年9月からドイツ帝国全土のユダヤ人に対して星を付けることが強制され、ユダヤ人にはユダヤ人のパスポートが発行されます。それにより、ユダヤ人は人権をなくすことになり、動物以下の扱いをされることになります。