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柳生 十兵衛三厳
皆さんこんにちは。 柳生 十兵衛三厳 江戸初期の実在の剣豪として知られ、ドラマや映画でも 度々でてますが、本当に強かったのですか? もし、何か彼の武勇伝でもあれば教えてください。 よろしくお願い致します。
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ドラマや映画ではとても有名な柳生十兵衛ですが,残念ながらその実際の行動やエピソードは謎(詳細不明)とされております。でも,柳生但馬守宗矩(将軍家指南役。江戸柳生の祖)を父に持ち,「月の抄」その他の兵法書も書いておりますから,おそらく相当に強かったであろうとは推測されます。 しかし,柳生石舟斎以降の柳生新陰流における剣豪と云えば,まず第一に柳生兵庫助(十兵衛の従兄であり,新陰流第三世)でしょうね。その次が,連也斎(同第五世)。 特に,兵庫助はその後の剣術史の一大変革となった「直立たる身の兵法」(つったったるみのへいほう)の発明者ですから,天才と呼んでも過言ではないかと。これは,他の流派(宮本武蔵の二天一流を除く)が腰を低く落として構えるのに対して,現代剣道と同様に腰を落とさないでまっすぐに伸ばす構えです。高いところから撃ち下ろすことができたわけで,おそらく他流が敵することはできなかったと思います。 同じ柳生でも江戸柳生には,この構えは当時伝わらなかったようですから,十兵衛が伝来の「沈なる身の兵法」(これは低い構え)で対決すると,兵庫助に勝利を得るのは困難であったであろうと考えられます。 なお,反論するわけではないのですが,仮に柳生十兵衛が伝えられるように隻眼であったとすると,武芸者としては致命的かと思います。数ミリの見切りが命を左右する立ち会いにおいて,隻眼では距離(間合い)が測れないからです。ですから,これはあくまでも伝説だと思います。
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- myeyesonly
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こんにちは。 隻眼の話が本当なら、相当、というか凄まじく強い人だったと思います。 伝説?では、父、柳生但馬が剣の稽古中、それを見て笑った十兵衛に手裏剣を投げて避けられず失明した、が、その時、無事な右目を手でかばって身構えた、という事になってますね。 この状況で本当に右目を守り、なおかつ相手の攻撃を予期して身構えられる人はいるでしょうか? これは最高の武勇伝だと思うし、しかもこれは十兵衛が子供の時の話ですから、末恐ろしい。
お礼
こんにちはー 柳生十兵衛は、小説やマンガでもよくでて くるのですが、豪傑ですねー ご回答ありがとうございました。
お礼
こんにちはー 詳しく教えていただきありがとうございます。 やっぱり強かったのでしょうねー 歴史上の人物で一番題材になっているような 気がします。 ご回答ありがとうございました。