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勾玉の“まが”について
- 勾玉の“まが”について、勾と曲は、“まがまがしい”や“まがいもの”といった言葉の語幹として使われています。
- 勾と曲は、おそらく共通的な語幹であると考えられます。
- 勾玉の“まが”には、勾を意味する場合と曲を意味する場合があり、それぞれ異なる意味を持っています。
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1.について 勾と曲は、あくまで「まがたま」の形状から字をあてられたものにすぎませんので、当て字ではありません。「まがたま」は「まがまがしい」とかの「まが」とは関係ないと、私自身は考えております。湾曲したアルファベットのCの形状から、「勾(「かぎ形に曲がる」の意)」や「曲」の字がつかわれるのであって、「勾玉(曲玉)」という言葉は、「まがたま」を的確に表す言葉なのです。 2.について 共通的な語幹であるといえません。 「まがまがしい」は、「禍禍しい」であり、「まがいもの」は「紛い物」ですから、「まがたま」の「まが」とは直接的な関係はありません。しかし、「曲がる」が本来の形が弓形・く形になることから派生し、「性質や考えなどが正しくない状態になる」という意味を持つようになり、「禍」の訓として、意味が通ずることから「まが」をあてたという流れがあると考えられますから、まったく無関係というわけではありませんが。「紛う」も、本来の「曲がる」から派生したものですが、あくまで、「まがたま」の「まが」の意味するものとは違うものになっています。 3.について 「まがたま」の「まが」・・・「曲った形を表す」だけのもの 「まがまがしい」の「まが」・・・「間違っている(よくない)」ということを示す 「まがいもの」の「まが」・・・「間違っている(よくない)」ということを示す では、「まがたま(勾玉・曲玉)」はどういう経緯で作られたものなのか、疑問もあろうかと思います。それについては、胎児説も含めて、様々な考察がなされ、様々な主張があります。どれが正しく、またどれが間違っているということは、多分誰にもわからないことですが、私個人的には、 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8B%BE%E7%8E%89 にあるような説ではなく、以下のようなことではないかと考えております。もちろん素人考えではありますが。 勾玉の形は、地球にもっとも身近である「月」の形である「みかづき」の形を模したものである。太陽でも、日食等で神秘的な体験をすることはできるが、数年もしくは数十年に一回程度であり、天候によっては経験することができず、日食を見たこともない人も多数いたと思われる。これに対して、月の満ち欠けは、人間を神秘的な気持ちにさせるには十分であり、毎夜のことであるから、信仰に結びつくには十分な下地がある。満月・半月などに比べ、三日月は動物の牙などの形にも似て、因縁を感じるものであった為、特別な思いを起こさせた可能性がある。そのため、その形を模した「まがたま」を「魔を避け、幸運を授かる物」として装身具として使ったのだと考えます。
お礼
ありがとう御座いました。 “まがたま”という単語、ことば自体は“まがまがしい”とか、他の“まが”のつくことばとの語幹的共通性を持たずに使われ始めたた、ということなのですね。むしろ形状からの呼称として出発しているようなのですね。 しかし【「曲がる」や「禍」の意味に関連して】使用されたという流れも考えられるのですね。 太陽は明らかにぎらぎらと、冬にはありがたく、作物にはなくてはならないものではありますが、神秘や不可思議な現象と力を感じさせ、連想させるものは、確かに月の方ですね。古来、そういう神話などのあるのは月の方ですね。 月を模したというお説は、胎児や太極、渦などと並び、一つの見方としてたいへんたいへん納得力があると存じます。 ありがとう御座いました。