• ベストアンサー

古文の文章のわからないところ

(1)この世に名をえたる舞のをのこどもも、げにいとかしこけれど、・・・(源氏物語) この文の「をのこ」が「専門家」と訳されていたのですが、これは文脈からですか? 普通は「おとこ」と訳しますよね?前後の文脈はわからないのですが・・。 (2)かたはらいたしの訳に「(相手に対して)気の毒である、みっともない」とあるのですが、気の毒って相手に同情しているということですか?それとも、相手を蔑んでいるということですか?気の毒って普通、同情の意味になりますかね??? (3)一日の御有様うるはしかりに、今日はうちみだれて歩き給えかし。 (先日のご様子はきちんとしていたけれど、今日はくつろいでお歩きなさいよ。) なんで一日が先日になるんですか?辞書に載ってませんでしたけど。 (4)「あかつき」って現代語にありますか?「暁」って「あかつき」って訳して良いのでしょうか?「~した暁には・・・」みたいな感じで現代も使われてますよね? (5)おやのかぎりにおはせむ見奉りたりとて、おほやけもいとど罪させ給ひ、・・・(栄花物語)「おはせむ見奉りたりとて」の部分の品詞がよくわかりません。どう品詞分解すればよいのですか?

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • 3rd
  • ベストアンサー率30% (7/23)
回答No.1

私がわかる範囲で。 (2) 「かたはらいたし」の意味としての「気の毒である」の場合、雨が降る中、傘がなくって濡れている人を見て「気の毒だなあ」と思う、という感じなので「同情」に近いかも知れません。 (3)「一日(いちじつ)」には、「ある日」という意味があるので、意訳されて「先日」となっていると思われます。 (4)「あかとき」とも読む場合がありますが、意味としては、現代語の「暁(あかつき)」と変わっていないと思います。 「夜が明ける頃」という意味もあります。

super_mario_
質問者

お礼

お返事ありがとうございます! >(2) 「かたはらいたし」の意味としての「気の毒である」の場合、雨が降る中、傘がなくって濡れている人を見て「気の毒だなあ」と思う、という感じなので「同情」に近いかも知れません。 なるほど、「かたはらいたし」には「気の毒である」のほかに「みっともない」の意味もあると思うんですが、「気の毒である」が「同情」で「みっともない」が「軽蔑」ということなんですね? >(4)「あかとき」とも読む場合がありますが、意味としては、現代語の「暁(あかつき)」と変わっていないと思います。 「夜が明ける頃」という意味もあります。 なるほど、そうすると、「暁」をそのまま「あかつき」と訳しても問題ないのでしょうか?

その他の回答 (3)

  • 3rd
  • ベストアンサー率30% (7/23)
回答No.4

>なるほど、「かたはらいたし」には「気の毒である」のほかに「みっともない」の意味もあると思うんです > が、「気の毒である」が「同情」で「みっともない」が「軽蔑」ということなんですね? 説明が中途半端でしたね。 「かたはらいたし(傍ら痛し)」の「みっともない」の意味は、 他人に対して「みっともない」という意味もありますし、 自分が「みっともない(恥ずかしい)」という意味もあるようです。文意で解釈するほかないかも知れません。 「かたはらいたい(片腹痛い)」の場合は、 明らかに「軽蔑」になりますが。 ちなみに、「片腹痛い」のほうが「傍ら痛し」より後にできた言い回しです。

super_mario_
質問者

お礼

そうですか、すみません、誤解していました。なるほど、文意で半ダンスるんdねすか。「かたはらいたい」っていう表現もあるんですね。知りませんでした。どうもありがとうございました!

  • ShaneOMac
  • ベストアンサー率39% (356/898)
回答No.3

品詞分解しろということだったので助動詞の種類を書いたまでです。該当する意味が何であるかは別の話です。 ここでの「む」は連体形で活用されています。意味解釈はそこから考えてください。

super_mario_
質問者

お礼

そうでしたか、スミマセン早とちりしてしまいました。(^^) >ここでの「む」は連体形で活用されています。 あのぉなぜ連体形とわかるのでしょうか?後ろに句点がついていないからそうなるんですか?連体形なら下に名詞が省略されていると思うんですが、どのような名詞が省略されているのかわかりません・・・。すみません、教えていただけませんか?

  • ShaneOMac
  • ベストアンサー率39% (356/898)
回答No.2

1.この世に名を得たる舞の男子 言葉をただ置き換えてやれば「舞をする男」ですが、それはあまり自然でないでしょう?「舞をする男」って何でしょう?現代的に言えば「ダンサー」でしょうかね?意訳すれば「舞の専門家」とも言えなくはないですね。 5.おはせ・む・見・奉り・たり・と・て おはす(動詞) む(助動詞・推量・未然形接続) 見(動詞) 奉る(補助動詞・謙譲) たり(助動詞・完了・連用形接続) と(格助詞) て(接続助詞)

super_mario_
質問者

お礼

お返事ありがとうございました。ところで、5についてなんですが、普通、文中の「む」は「仮定」か「婉曲」で推量の意味になるのは文末の場合じゃないですか。ということは、例外中の例外ということなんですか?文中の「む」が推量になる形は初めて見ましたけど。

関連するQ&A

  • ★☆源氏物語ブーム☆★

    今日「源氏物語ブーム」と言われて久しくなりました。 宇治市にできた源氏物語ミュージアムは、バブル崩壊の不景気の状況でも予想を上回る入場者を集めました。 瀬戸内寂聴さんの現代語訳がよく読まれます。 そうした「源氏物語ブーム」と言うことを聞いたり気づいたりした事はありましたか?  もしあれば「源氏も恩が足りブーム」についてのどんな話題か? またブームの理由について教えて下さい。 御願いします。

  • 源氏物語はどっちがいいのでしょうか?

    源氏物語の現代語訳を読もうと思い、円地文子さんの現代語訳を読んでみようと思い読んでるのですが、先日瀬戸内寂聴さんの現代語訳を本屋さんで見たところ、こちらが話がわかりやすいなと思いました。 原文に近いのは円地文子さんの方だと聞いたのですが、源氏物語のおもしろさをつかむには、どちらがいいんでしょうか? 知人が原文を読んだというので、話をできるようになりたくて読み始めたのですが、でも、物語がわからないままっていうのも無駄な気もしますし・・・。 話がまとまってなくてごめんなさい。 よろしくお願いします。

  • 源氏物語訳本 オススメは

    30歳代の者です。源氏物語の現代語訳でオススメの物を探しています。 源氏物語の内容はひととおり知っています。 ・気軽に小説的に、しかしできるだけ話の省略なしに読めるもの ・図書館で普通に見つかりそうなもの を希望しています。 よろしくお願いします。

  • 昔の文章で主語述語が省かれる理由

    有名な源氏物語の冒頭 いづれの御時にか、女御、更衣あまたさぶらひたまひけるなかに、 いとやむごとなき際にはあらぬが、すぐれて時めきたまふありけり。 この文章は、「いづれの(帝の)御時にか」「すぐれて時めきたまふ(方が)ありけり。」 という具合に( )の中が省かれています。 これに限らず昔の文章は主語や述語が省かれる頻度が多いように思います。 現代語ならば( )の部分も表記されます。 もちろんこの場合敬意表現の使い方や前後の文脈で、誰を指しているか 分かりますが、 もっと分かりにくい文章もあります。 慣れていない人にとって古文が難しいのは、言葉の違いや表現の違いもありますが、 こういう省略が多い事も一因だと思います。 どうして昔の文章は主語述語が省略されるのでしょうか?

  • 源氏物語

    高校で、源氏物語「光る君誕生」に関する課題が出たのですが、どうしてもわからない部分がいくつかありました。課題は明日までなのでとても困っています。もしよければ教えてください。 困っている問題は次のような感じです。 「源氏物語作中に存在する『語り手』は、どのような『相関物』を作ることによって、どのような『自己の内面を確認している』と想像できるか。教科書中より、本文を引用しつつ答えよ。」 「文中に『御思ひ』とあるが、(おほかたのやむごとなき『御思ひ』にて、この君をば、私物に思ほしかしづき給ふこと限りなし。)『語り手』はどのような『世界認識』をもってこの『御思ひ』を相手取っているといえるか。」というものです。本文とは、「光る君誕生」の部分のことです。恐らく教科書での省略はないと思います。 現代語訳や、他の問いはできたのですが、この2つだけがさっぱりわからず、何も書くことができません。少しのヒントでもいいのでお教え下さい。よろしくお願いします。

  • たろんべ

    私の祖母(九州人)が昔、つららのことを「たろんべ」と呼んでいました。 九州の方言だと思っていたら、きょう、秋田でもたろんべと言うと知りました。「垂る氷(たるひ)から訛った言い方だ、源氏物語にもたるひと出ている」と聞きましたが、では古語が残っているような地方では、全国的に普通に使われる言葉なのでしょうか。 何かご存知の方、教えて下さい。

  • この古文の文章知りませんか?

    1989年の京大の入試問題なのですが、泥棒が改心するような話です。 もし、知っている人がいれば、教えてください。

  • 古文の文章のわからないところ2つ

    古文の文章で、「歌をかくべしとて、師光入道の女、宮内卿の殿に歌は召されて ・・」という箇所があるのですが、師光入道の女=宮内卿の殿なんでしょうか。 宮内卿って男性がつく役職だから明らかに違うと思うのですが。ちなみに訳は 「歌をかけよといって、師光入道の娘で、宮内卿さんに歌をお詠ませになって」 です。 「とふべきひとは、さるべきことなれば、とりわかれしませず」の 「とりわかれしもせず」のところがなぜ「格別うれしいとは思わない」 という訳になるのかわかりません。「わかれ」=「別れ」ではないのですか。 全体の訳は「安否を尋ねてくるはずの人は、当山のことであるので、 格別うれしいとは思わない」です。 よろしくお願いします!!

  • 古文の文章のわからないところ

    「心憂き年にもあるかな二十日あまり九日といふに春の暮れぬる」 この歌の「二十日あまり九日」の「あまり」ってどういうことですか?

  • 古文の文章のわからないところ2

    「君ならで 誰かに見せむ梅の花 色をも香をも 知る人ぞ知る」 この歌の訳がわかりません。それと、「未然形+で」は打ち消しの接続助詞だと思うのですが、接続助詞ってよく句点「、」の上にあると聞くので、文と文をつなぐんですよね?でも上の歌の「で」は文をつないでいるようには見えないのですが、どう考えればよいのでしょうか? それと、古文の現代語訳で「とても」という訳は存在しないと先生が言ってたのですが これは本当ですか?「いと」を「とても」と訳してはだめなのですか? これはどういうことを言っているのですか? だいたい「いと」や「いとど」の訳は普通、「たいへん、はなはだ」と載ってますが「とても」とのっているのも見たことがありません。