• 締切済み

私と記憶?

私と記憶とは何なんですかね?どんなつながりがあるのでしょうか? 大学で哲学を勉強していますがよくわからなくなってしまいました。わたしとは何?と研究していたところ記憶という話が後輩から出てきて関連性があるのではないかと・・・ 記憶とは何によって支えられているのでしょうか? お金の貸し借りで僕は覚えていないけど確かに借したというA君。B君に証言を求めたら確かに借していたいうので返しました。このときB君が貸し借りの場にいなければ・・・またはB君が覚えていないといった場合は?記憶ってあいまいですよね・・・一致しない場合も多々あります。 記憶によって支えられているものは何なのでしょうか?またその記憶は何によって支えられているのでしょうか?

みんなの回答

回答No.1

哲学は門外漢なのですが、興味が尽きない分野ですよね。 記憶は、いわゆる認識と時間によって支えられています。 そして、記憶によって支えられているものは人間そのものです。 そして人間にとって広い意味(DNA情報も記憶とし、伝送中の情報も記憶とするなら)で記憶がすべてと言っても過言ではないでしょう。 とはいえ、認識も時間も未だ曖昧なので記憶の概念も曖昧なのだと思います。 まずは、時間です。数μ秒前であっても過去はどこにもないと言う事実。それを今が存在するかのように錯覚させているのも記憶となります。認識とか意識も絶対に時間を必要とする事柄なので広い意味で記憶になります。 何を言ってるかというと、「リンゴ」という言語が発せられたとき、時間は「り」から「ン」に移り「ゴ」へ、「ゴ」が発せられているときには「り」はもはやどこにも存在しません。 そして人間はこの「リンゴ」音声全体を時間を使って記憶しているという驚異的なことをやってのけています。 記憶がなければ、生きてゆくことが不可能となります。

zun333
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 時間の問題には自分も考えているのでとても参考になりました。今が存在するかのように錯覚、過去はどこにもないという事実。この二つが気になりました。二元論的に対立するものが存在しなければ意味が成立しない気がしますがどうなのでしょう?

全文を見る
すると、全ての回答が全文表示されます。

関連するQ&A

  • 記憶障害。。。なんとか乗り越えたい!

    初めまして。 メンタルと病気と、どちらの項目にするか悩みましたが、こちらで伺いたいと思います。 私は幼い頃から持病をもっており、記憶力が人よりありません。なので、いつも関連付けて覚えたりして暗記をしてきました。 わからなくなると、頭が真っ白になって、すべてを忘れてしまったりもします(これは緊張からくるもの)。 緊張については、過去ログで勉強させていただきました。緊張も苦手なのですが、記憶障害があることを社員に言ったところ、今までと社員の態度が変わりました。 私の仕事は、記憶をわりと必要とします。医師は、メモ帳などに書いて、記憶の手助けをしながらなら問題ないといいますが、会社としては記憶障害→ダメという感じにつなげているようです。 それがとてもショックでたまりません。 覚えられないと、また会社であれこれ言われてしまいそうで、自分の中のバランスが崩れていくような感じがするんです。 今までは記憶なんて、大学入試の日本史くらいでしか使わなかったのですが、あれも横のつながりを意識したりして覚えました。 英文なども、意味を理解して覚えたり、何度も単語を口ずさみ、耳で聞いて、とにかく人より覚えられないのだから、なんとかしようと私なりの努力をしてきました。 けれど、まわりから「あの子はすぐ混乱して、物事を覚えられない」という目で見られている感じがしてなりません。いつの間にか、噂が広まっていたり… 今は仕事量も減らし、記憶するものも人より少し減らして、自分のペースでやる環境を提供してもらっていますが(そのかわり、お給料が低くなりました)レッテルを貼られているみたいで、けっこうショックを受けています。 こういった現実を、どう受け止めていくべきなのでしょうか? また、記憶力がよくなるために、どのようなことをするべきなのでしょうか? アドバイス、よろしくお願いします!!

  • 記憶と過去世界

    命題A:動物は今だけを生きている。 命題B:ハト(動物の一種)は記憶を持っている 命題C:記憶は今でなく過去のことを記憶する。  命題Aはどこかで聞いたことがあります。  命題Bは心理学で勉強したことです。  命題Cは哲学で勉強したことです。 これらの命題は、すべてが同時に成り立つことはないと思うのです。なぜなら、 命題Aが正しければ動物は過去のことは全く知らないはずです。しかし、命題Bでは、動物であるハトが記憶を持っていると言っています。命題Cは、さらに記憶は過去と必然的に関係があるということだと主張します。そうするとBとCから動物であるハトが過去を把握しているということになります。これはAの動物は今のみを生きているということと矛盾してしまいます。 命題Aが私の記憶が不明瞭なためにそれが間違っているということも考えられます。 また命題Bのハトの記憶は命題Cの記憶の一種ではあるが、少し意味の違う使い方をしているとも考えられます。例えば、コンピュータの記憶装置などの記憶は過去世界を持ちうるかといったらそうではないような気もします。 私が知りたいのは記憶を持っていれば必然的に過去世界が存在するのかということです。 記憶はいつも今、記銘し、今、保持し、今、取り出します。この今が過去へと変わっていくのですが、それがわかるのは記憶によるものなのか、それとも、それ以外のものが必要なのかということです。 それから過去世界は記憶がなくても存在するかということもわかりません。これは存在論と認識論の問題になってしまうかもしれません。 もしも、ハトが過去世界を持たないとしたら、それが過去だからなのか、それとも世界だからなのかということも知りたいところです。ハトは世界(現在世界)もわかっていないのでしょうか?そうだとしたら、過去世界をもつことも難しくなります。

  • 大学院に入るにあたっての専攻変更・・?

    現在大学で英文科に所属し、英語学を専攻しています。 しかし、最近哲学に興味を持ち始め、違う大学院の哲学科に、私が研究したいことをしている教授がいらっしゃって、その大学の大学院の哲学科に入りたいと思っています。 これは無謀なのでしょうか? また、大学院入試にあたってどのように勉強をすればいいのでしょう?

  • 記憶のすりかえ、恐くないですか?

    雑誌「ニュートン」よれば、アメリカ,マサチューセッツ工科大学のラミレ博士らが、下記のようなマウス実験で「安全だ」という記憶を「危険だ」という記憶にすりかえることに成功したそうです。 ヒトの場合にも,過去の記憶をよびおこすときに外部からの強い刺激を受けると,誤った記憶が作られるかもしれないと博士は言っているようです。 これってPTSD(心的外傷後ストレス障害)を人工的に作り出そうとでもでしょうか? 記憶にかかわる神経細胞に外から遺伝子を入れ,光を当てることで,記憶を思いだせるようなマウスを作った。 ↓ マウスを箱Aに入れて安全だと記憶させたのちに,箱Bへ移し,光を当てて「箱Aは安全」という記憶をよびおこすと同時に電気ショックをあたえた。 ↓ そしてこのマウスを箱Aにもどした。その結果,「箱Aは安全」という記憶は「箱Aは危険」という記憶へと上書きされ,恐怖ですくむ反応を示した。 http://www.newtonpress.co.jp/news/science.html

  • 東大(本郷)の哲学の院を突破する必要条件(2)

     生徒時代から哲学に興味があり、大学では哲学の勉強をしようと考えていました。しかし、大学受験で東大文(3)の受験に失敗し、現在は都下の国立大に通っています〈2年男子)。現在、念願の哲学の勉強をしていますが、日に日に哲学への思いが強くなり、研究者として哲学でメシを食べていきたい!とまで考えるようになりました。そこで色々調べた結果、本郷の方の哲学院に行くのが研究者の登竜門だとわかりました(本郷でも今は崩れる人が多いようですが、まだ他大に比べてましでしょう)。そこで、質問があります。 2、現在、東大哲学院には、ギリシア哲学、近代ドイツ哲学、近代英米哲学、近代フランス哲学の4人の指導教官がいらっしゃいますが、一つ問題があり、それは私の専門が現代哲学orマルクスであるということです。この場合私は、現代orマルクスでは、院生として受け入れてもらえないのでしょうか?(マルクスではまず無理だとも聞きますが・・) やはり二次試験の口頭質問の時にヘーゲルなどに変えたほうがようでしょうか??(卒論はヘーゲルで書いても良いか、指導教官の意見が現時点ではわからない、おそらく書ける) あくまで院試突破という観点からご意見頂ければ是れ幸いです・  字数が800字を超えてしまい、勝手ながら2回に分けて質問させていただいて申し訳ありません。どうぞ宜しくお願いします。 関連URL:http://oshiete1.goo.ne.jp/kotaeru.php3?q=208787

  • 院試対策として英語か仏語で哲学史の勉強がしたい!おすすめの本を教えてください!

    こんにちは。大学院進学志望の大学三年生です。 私は将来、フランス哲学の研究者になりたいと思っています。 大学1、2年の頃はなんとなく興味があり、趣味として哲学を勉強していたのですが、今から半年前の大学3年の夏頃から、真剣に哲学を勉強したいと思うようになりました。 それからの半年間は、所属している大学に哲学科がないので、所属しているゼミ(応用倫理学)の先生に他大学の授業を紹介して頂いたり、自分で研究書を読んだりして勉強してきました。 しかし、半年前までは研究者になることを真剣に考えていなかったこともあり、私は語学をほとんど勉強してきませんでした。 英語は大学に入学して以来ペーパーバックを二冊読んだ程度で、おそらく高卒の直後から実力はまったく伸びていません(2005年4月に受験したTOEFL IBTで520点程度)。 フランス語の勉強を始めたのは三ヶ月前の12月からで、もう少しで基礎文法が一通り終わるくらいの実力です(コレクションフランス語の入門編、初級編、文法編を一通り学習した程度)。 また、専門的な哲学の講義を受けたことがほとんどなく、哲学史全体の流れなどがまったくわかりません。 そのような私ですが、2008年9月末から行われる東大文学部の学士入学試験、2009年1月末から行われる東大大学院人文社会系研究科の修士課程入学試験を受験することを考えています。 前者については哲学あるいは倫理学の専修過程、後者については哲学研究室あるいは倫理学研究室を志望するつもりです(来年度、直接に研究室を訪問して決めたいと思っています)。 入学試験対策として、語学の勉強と哲学(史)の勉強を並行して進めていきたいと考えています。 フランス語に関しては、さしあたり、渡辺諒『フランス現代思想を読む』『20世紀フランス思想を読む』を購入しました。仏語の原文と日本語訳、加えて丁寧な解説が載っていることから、目的に適っていると考えたためです。 しかし、英語に関しては、適当なものが見つけられずにいます。「自分が院試の勉強をしたときにはこれを使った」、あるいは「おそらく、これはいいと思う」というものがありましたら、教えて頂けますでしょうか。仏語のものも、なにか他に良いものがあれば教えて頂けると幸いです。 ご回答のほど、どうぞよろしくお願い致します。

  • 非英米系哲学研究者の胸中について。TT

    こんにちは。 この質問でお尋ねしたいことは、 (1)非英米系哲学研究の学者の方々が研究としてなさっていることとはどんなものであるのか?真の学問?それともただのお勉強? (2)自然科学化された哲学に対して何を思いつつ自らの研究をなさっているのか? (3)哲学科の学者は、数学や論理学をどのように受け止めているのか。 (4)学問としての哲学にはどのような道が残されているのか? といったことです。 20世紀を経て今の哲学には自然化の波が押し寄せ、認識論が自然科学の学問に下るのではないかという悲壮的なムードが漂っています。 英米系の人たちは、最先端の論理学や数学を駆使して、伝統的な哲学に対して次々と否定的な評価を下しています。 さて、このような情勢の中で伝統的哲学を専門とする学者の方々は、どのような思いでご自分の研究をなさっているのでしょうか? また伝統的哲学に含められない哲学であっても、論理学の色が薄い哲学者(浅薄な知識ですので的確ではありません。フッサールやガダマー、デリダやレヴィナスなどでしょうか)を研究されている学者の方々は何を思って研究をなさっているのでしょうか? 近代やそれ以前の哲学者を専門とされておられるような大学の先生方のなかには、「大学教授のやっていることはお勉強に過ぎない」と卑下される方もいらっしゃいますが、なかには哲学者としての矜持をもって取り組んでおられる方もいらっしゃいます。 しかしながら、数学者や論理学者らがもっている道具を持たずして、今後の哲学を切り開いていくことは難しいのではないでしょうか…?そういった道具を身に着けずにができることと言えば、もはや昔の哲学者のお勉強に過ぎないのではないでしょうか…? いかがでしょうか?TT 例えばフッサールの生活世界に論点を当てて論文を書いておられる研究者、アクィナスにおけるなんとかとかいうラテン語の単語について論文を書いておられる研究者、こういった方々は、英米系の論理ワールドを見て何をお思いになるのでしょうか? それでもなお哲学者だという矜持を持てるとしたら、それはなにに依っているのでしょうか? お願いします。

  • イメージ記憶と文字記憶

    本、書籍、教科書など読んでいるとき、文章中に妙に一分が長すぎたり、文章が複雑だったり、抽象的だったり、理解しにくかったりするとき、頭の中でその場をイメージしたりすることがあります。小説など読んでいるときでも、人物関係、背後関係など文字のみでつかみにくかったりすると、ちょっと理解しやすくするためにイメージしたりすることがあります。 しかし、ただ単に複雑なことをちょっとわかりやすくするために使うのでなく、本屋の店頭、自己啓発関係の書籍などでは、イメージ記憶といって、記憶すべき事項を文字記憶としてでなく、記憶するために使ったり、本そのものを 文字としてでなくて、イメージとして読んでしまうといったことが書いてあったりします 私の場合だと、こんな方法はとてもじゃないけど そこまで鮮明に忘れないように覚えるためにイメージを使うなんて芸当は、出来ないです。 思い浮かべてもあまりに希薄ですぐどっかに飛んでいってしまいます 実際にこのようなことが出来たり実際に方法として、やっている人は、少数でもいるんでしょうか やっている人がいたらご意見お願いします また、ここまで取り入れなくても、皆さんは、勉強や本読みなどでイメージ的な要素って、どのくらい取り入れたりして使ってますか よろしくお願いします

  • 男性に質問 彼女にお金を借りる

    もしあなたが学生だとして、同居している家族に金銭的な問題が起きてかなりお金に困ってしまったとします。自分ではどうしようもないし生活費にも困っている。しかしあなたにはかなりお金を持っている彼女がいたとしたら。 1.あなたは誰からお金を借りようとしますか?彼女から借りようとしますか? 2・1の理由は何故ですか? 3・彼女をとても大事にしている場合と、あまり深い心のつながりがあるような付き合いではない彼女ではお金に対して貸し借りの対応は変わりますか? よろしくお願いします。

  • 退行催眠で被験者が、幼少時や生前や前世などの記憶といわれるものを語るそ

    退行催眠で被験者が、幼少時や生前や前世などの記憶といわれるものを語るそうです。そして、大学の研究者も研究していて、B・ワイス博士、J・ホイットン博士、G・ウィリストン博士などがその研究を発表しています。こういった研究は心理学的に評価されてるのでしょうか? またオカルトや精神世界のものとしてみられているのでしょうか?