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音楽の「LD」は存在するのでしょうか?

どのカテゴリーで質問したらいいのかわからなかったのですが もし専門の方、もしくは詳しい方がいたら教えていただきたいと思います。 私はピアノ講師をしています。 他の先生から移ってきた生徒ですが幼稚園からピアノを初め、今小学5年生ですが 楽譜が全く読めません、というよりも音符の高低、音符の種類の (白い→全音符 白、棒がついてる→2分音符 黒棒がついてる→4分音符など) の判別が出来ません。 例えば「ド」があってとなりの「レ」を指しているのに 「これは何の音?」って聞いても首を傾げてしまいます。 仕方ないので一緒に読んでドレミを書くようにしていますが そうすると高さなどがバラバラになってしまい本人も辛いようです。 お母さまにも色々話しましたが「うちの子はピアノ大好きですから」の 一点張りでどう対処してよいかわかりません。 そこで本題ですがLDの資料を少しだけ読んでみました。 「読み・書き」「計算」などが苦手…などその分野だけがなかなか うまくいかないのがLDと書いてありました。 音楽での「LD」というのは存在するのでしょうか? *私の知識不足などで誤認していることなどがあるかもしれませんが よろしくお願いいたします。

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noname#78753
noname#78753
回答No.1

心理・教育系の学生です。 一人の生徒のためにこんなに熱心に勉強してくれるなんて、とても素敵な先生ですね!! 私もピアノを習っていたことがあって、すごく進むのが遅くて先生もあきれていたので楽しくなく、バイエルも終らない(それでも2年通った)うちにやめてしまったので、質問者様のような先生ってとっても素敵だなぁ、と思いました。 さて、LDに関しては、質問者様の理解でおおむね正解だと思います。 音楽のLD…というのは、私は聴いたことはないですが、ありそうな話だとおもいます。 というのも、「読み・書き」「計算」以外にも、「極度に不器用」『極度に視覚から情報を読み取れない」などさまざまな領域に関するLDが現在確認されているからです。 音感がどうしても獲得できない、歌えない、などのLDが存在してもおかしくありません。 また、それぞれのLDは複合する可能性もあります。『読み』のLDと「計算」のLDが同時に一人の子どもさんに存在することもあります。 ただ、この生徒さんの場合、特別な「音楽LD」というより、「読み」のLDの延長線にある問題なのではないかなぁ、と思いました。 というのも、楽譜を「読む」のに困難があるのですよね? >例えば「ド」があってとなりの「レ」を指しているのに 「これは何の音?」って聞いても首を傾げてしまいます。 といった感じの生徒さんの様子は、国語の教科書をどうしても飛ばし読みしたり読めなかったりする子や、算数の式をどうしても読めない子などに似ているからです。 そういう子どもさんにとって、どうやら文字や数字の固まりは、私たちが見ているのと違って、だんごのかたまりのようにみえたり、ゆがんで見えたりするみたいです。 見え方が根本的に違って、無理にそのまま読ませようとするのは、かなり本人にとって辛いことらしいです。 ちょっと、その生徒さんのことがわからないので、うまく行くかどうかはわかりませんが、今思いついた対策を書いて見ます(学生の浅知恵ですから、あまりあてにしないでくださいね)。 ・楽譜を拡大コピーする  LDの子どもさんの中には、他の子より文字を大きくするだけで読めるようになる、と言う子がいるらしいです。  何倍くらいから読みやすいのかは人それぞれだと思うので、様々な拡大サイズの楽譜を用意して、どれが一番読みやすいか聞いてみてはどうでしょうか? ・楽譜に色をつける  LDの子は、いろんな情報があると、全部くっついて見えて、どこをどうみたらいいのかわからない、と言う子もいるみたいです。  とくに楽譜って、いっぱい線が書いてあって、LDのある子じゃなくても、見方を知らなければ、なかなか読めないものだと思います。  音符だけ色をつけてどの情報に注目すればいいか分かりやすくする、楽譜の中の重要な線にだけ色をつけたり太くしたりして、情報を区切りやすくする、などの工夫ができると思います。  どの情報を強調すればその子が読みやすくなるかは、人それぞれだと思いますので、その生徒さんの日頃の様子や、工夫したときの反応などから、ちょっとずつ調節していく必要があると思います。 ・いま見る音符以外の情報を隠すシートを作る。  LDの子の中には、隣の文字と隣の文字がくっついて見えてしまって字がよめない、と言う子もいるみたいです。そういう場合、国語の教科書なら、下敷きや厚紙に縦長の穴を開けて、今読む行だけを見えるようにして残りの文章を隠すシートを作ってあげると、スラスラよめるようになることがあるそうです。  ずっとこの方法だと、ピアノで難しい曲を弾いていくのは難しいかもしれませんが、はじめに音符を覚えたらあとはちょっとずつはずしていけるかもしれませんし、「ピアノは楽しい」と思ってもらえることにはつながると思います。 とりあえず思いつくのはこれくらいですね…。 国語だとあと、「文節ごとに区切り線を入れる」という方法もあるのですが、楽譜の場合始めから区切る線が入ってるから難しいですよね…。 一般に出ている本では、もっといろんな方法が紹介されていると思います! 参考になれば幸いです☆

noname#144204
質問者

お礼

ご丁寧なご回答ありがとうございます。 私は心理学が専門ではないのでずっと疑問に思っていたことを 専門の方に答えていただけて本当に嬉しい限りです。 「極度に聴覚から情報が読み取れない」まさにそんな感じです。 ご回答からによれば「読み」のLDに近いものなのですね。 確かに五線譜というのは小さい子供にはとても読みづらいので 大きな五線譜を用意して書いたり読んだりしていきます。 でもその子はもう高学年だし前の先生に随分きびしくされてきたらしく 自信をつけてあげたいな…と思っていましたがかえって楽譜を大きくして 読みやすくしてあげたほうがいいのかもしれません。 >・楽譜に色をつける >・いま見る音符以外の情報を隠すシートを作る。 とても参考になりました。試してみたいと思います。 そこでこれも何かLDと関係あるのかお時間があれば伺いたいのですが… リズムもうまく取れません。 私が「タン、タン、タン、タン」だよ。(一拍ずつリズム通りだけ)といっても 手拍子でも「タン…タタン……タ」のように不規則になってしまいます。 これは音符を読まずに私のリズムを真似するだけなのですがそれも うまくいきません。 お母さまが結構きつい物の言い方をなさる方で弟さんのほうを溺愛していて その子には私の前でもすごくきつく当たります。 (弟さんがレッスン中うるさくしていても全く注意せず、私が少し「レッスン中だから 少し静かにしてね」といっても軽く流されるだけです…) レッスンが終わるたびに「まったく…下手くそ!!」みたいに。 私は「いいんですよ、先週より良くなってますよ」とフォローしても お母さんは「もうっ!」と怒ってしまったりします。 リズムの不安定は精神的なものからも来るのかな?とも思ったりするのですが…。 お時間があるときで構いません。 もしよろしければもう一度ご助言いただければと思います。 ありがとうございました。

noname#144204
質問者

補足

「極度に聴覚から情報が読み取れない」 →「極度に視覚から~」の間違えでした。 失礼しました。

その他の回答 (3)

  • noname002
  • ベストアンサー率36% (97/264)
回答No.4

かなりの長文投稿になりますことを最初にお詫び申し上げておきます。 これまでの質疑応答を拝見して質問者様の御立場の辛さを了解しました。何ら専門の知識を持っておりませんので投稿を躊躇っておりましたが >「ピアノを好き」といっているのはお母さまの方だけです。 ここを読んで黙っていられなくなりました。 これでは体のいい「虐待」かもしれません。 今回御相談されておられる生徒さんの精神状態と将来を思うとゾッとするものを感じます。 実は私は聴覚障害を持っています。恐らく、その影響もあるかと思うのですが自閉症とかアスペルガーとか学習障害の傾向も多少持っているのでないかという自覚が薄々あります。にもかかわらずタテマエ上は全くの健常者として生きてきましたが、母が亡くなったあとになって、難儀に耐えかねている私に、障害者福祉に携わっているかたたちが身体障害手帳申請申立てを強く勧めてくださり、私自身は生前の母から「そんなものは必要ない」という強硬な主張の下で生育しておりましたので半信半疑ながら受診したところ予想外のランクにて申請受理されたという経緯があります。 申請申立てを勧めてくださったかたたちは地域の名士として活躍していた母の交友関係の人たちですが、彼らが言うには、母存命中から私の障害のことについて、それとなくアドバイスしてくれていたそうなんですが、母が大変に不愉快そうな表情をするので、それ以上強く言うことができずにいた、ということでした。 いま振り返ると、健常者として学校を出、健常者として社会に出ていたことに我ながら不思議な芸当でもやっていたような感慨が湧きます。 しかし、もちろんのこと、一筋縄では行かない人生です。 特に痛恨の思いを禁じ得ない出来事は、進学に関してでした。 大学受験に失敗した私は、浪人は認めないという親の方針で、すぐにも就職という方向に向けて行動しなければならなかったのですが、たとえ健常者として生きてきたとは言え、それは飽くまで表向きのこと、実態はどうであるかというのは自分が一番骨身に沁みて分かっていますから、人並みに大学も出ていない、しかも、どうやら身体的に欠陥があるらしい自分が、このまま、いきなり世間に出て行ったらどうなるんだ、ほどなくズタズタの満身創痍になるのが目に見えている、と思い悩みました。 そこで母が提案してきたのが、ある学校への入学という妥協策だったのですが、これがなんと、よりによって聴力を必要とする職業者養成の学校だったのです。その学校に行くのなら、とりあえず就職は見合わせてやるが、それ以外は一切認めない、と言うのです。 自分の聴力障害の実態すら母の言いなりに無理をして納得していたバカな私は、不本意ながら、その学校に入学し…結果、断末魔の苦しみでした。どうやって最下位の級とは言え一応、資格試験に合格したのか、いまだに全くもって不思議です。授業のレベルが上がっていくにつれ私のようすが、おかしいことに気づいた校長先生たちが哀れに思ってくださったか、特別な計らいで辛うじて卒業させてくださいましたが、当然、仕事としては役立てていけません。大学受験失敗のショックも尾を引き、在学中から幾度となく自殺を考えました。 質問者様が御引き受けされている生徒さんのお母さんも、そのようですが、私の母は終生、頑として私の障害という現実を認めませんでした。障害ではなく努力の問題だ、という見解でした。 残酷な話です。乳児の頃に投与された薬が原因で聴神経を損傷しているというのに、努力すれば聞こえるはずだ、聞こえないのは性格の問題だ、と言うのですから。私は自分を責める癖のある人間に育ちました。 ところで私の母も、音楽関係の教室を主宰しておりました。 常々、音楽の世界というのは結局、才能が全て、努力だけではどうにもならないものがある、と申しておりました。 そうであるなら、才能がない者が芸術分野の習い事を敢えてするということの意義って何なのでしょう。まして、その生徒さんのように、別に好きでもないのであれば…まさに「音が苦」になってしまいますよね。拷問ではありませんか。 その生徒さんのお母さんは、いったい何が目的で、娘さんにピアノを習わせ続けるのでしょうか。 「読字障害」の範疇に入るのであれば、いわゆる「学習障害」の一種ということになるのでしょうが、そのことの認識が親御さんにはあるのかということが気になります。 その生徒さんが通う学校で、学習障害者としての配慮をとっているのであれば、親御さんにも当然、認識はあるはずですが、そのあたりどうなのでしょうね。もし認識があるなら、娘さんにピアノを習わせることが、お母さん自身の強い意向に基づくのであれば、矯正とかリハビリ効果とかいったことを期待しておられるのでしょうか。 そのあたりの確認がとれるならば、それに応じた指導方針が、御質問者様のほうからも提案されやすいんじゃないでしょうか。 なかなかキツイもの言いの親御さんということですが、そういうところも私の母と共通してます。 恐らく大変プライド、負けん気の強いタイプの人ではないかと思うのですが、それだけに自分の娘が人並みでないようすなのが許せなくて苛立つのでしょうか。 追い詰めるようなことをすると、かえって萎縮してしまいますのに。。。 萎縮すると、うまく行くはずのことも失敗し易くなりますから、失敗の記憶ばかりが残ってしまい、やがて徒労感と挫折感で無気力になってしまいかねません。 私自身、視覚による情報と聴覚による情報とでは、ことばの理解度や処理スピードに大幅な差がありますので、たとえば職場等で何か慣れない業務に関する説明を口頭で受けたとき、相手の音声の特徴等によっては、すぐに理解できないことがあるんですが、気の短い人などでしたら、イラッときているのが、こちらにも分かるんです。そうすると困惑やら申し訳なさやらで一種のパニック状態に陥ってしまいます。すると意地の悪い人だと、それを承知で、「分かりましたか?え?分からないんですかっ?」と問い詰めるような口調で、ますます大声を張り上げますので、しまいに、こっちがフリーズしてしまうことすらありました。 くだんの生徒さんも、精神的な抑圧が積み重なっていなければいいのですが。。。 ピアノが好き、というのが、お母さんが勝手に言っていることなのでしたら、好き嫌いさえ自分で決めさせてもらえないのでしょうか。彼女の心中を想像すると私まで胸が苦しくなります。 これも私の母が、よく言ってたことなんですが、手先指先の器用な人は頭の回転が速い人が多い、楽器等、指先をよく使うのはボケ防止になる、だから楽器はいいんだ、とか。ホントかどうか私は知りませんが、高校のときのクラスメートに頼まれてギターを教えてあげたことがあるんですが、一人は、一度教えると、その次には前回より確実に上達してるんです。そして、やはり好きなんですね。もう一人は何度も何度も懇切に教えたはずなのに、翌日になったら、すっかり忘れていました(笑)コード進行自体も覚えられないんですが、とくにリズム感が致命的に悪かったです。私のような素人目にも両者の差は歴然としていました。 下記の参考URLには、このように記載されています。 「読字障害と書字障害の子どもには、ことばを一つ一つの音に分けられない音韻操作の困難さ、音の聞き分けの困難さ、音と文字の形が結び付けられない聴覚的記憶の困難さ、目と手の協応や協調運動の困難さ等があると指摘されることが多い。」 http://www.cec.or.jp/e2a/e2a/16rePDF/A03.pdf また下記参考URLには、このように記載されています。 「従来の特殊教育においては、障害の種類や程度に応じた固有な指導内容・方法あるいは指導形態があるが、学習障害児については、困難のある特定の能力の種類により指導方法等が異なることもあり、学習障害児に共通した一般的な指導方法は現時点では確立されていない。 さらに、同一の能力に困難を有していても、個々の学習障害児に生じている学習上のつまずきや困難などは様々であり、これらを改善するためには、個々の実態に応じた指導を行うことが必要である。その際、個々の児童生徒の認知能力の特性に着目した指導内容・方法を工夫することが有効である。」 http://www.asahi-net.or.jp/~uv3k-kmgi/ld.html ですからNo.1様がお挙げになった各種のアイデアや、くふうは実際的な方法として活用の参考になるのではないでしょうか。 また、同参考URLには 「この障害は学習の“発達性"障害であって、遅れながらも徐々に獲得していくことが知られている。その回復の援助をすることが、関係者の任務である。もし可能なら普通学級で、不得手な課題について時間をかけてゆっくり学習するとともに人間関係の持ち方を身につけていくことが望まれる。」 ともあります。 読字障害や学習障害を持っていながら各界の歴史に名を残したような優秀な人たちは意外と多いんですね。アインシュタインとかエジソンとか。 御質問者様は、聡明な教育者としての素質をお持ちのかたと見受けます。深みのある優しさが感じられます。これは、生徒さんにとって救いでしょう。とは言え、荷の重いことでもありますよね。 その生徒さんのお母さんが、娘さんに「負の記憶」ばかりを押し付けてしまう前に、お母さん御自身が抱えている内面的問題に気がつかれたらよいのですけど、御質問者様の口からは、生徒さんの障害に関することすら話題にするのは困難そうですね。。。 でも、御質問者様の前でも、あまりガミガミ言われるようでしたら、「お母さん、音楽というのは、リラックスした穏やかな楽しい気持ちでないと、ますます上達しにくくなります」とでも言ってさしあげては如何でしょうか? さしあたって今できることは、ちょっとしたくふうによって、少しでもピアノを楽しんでもらえるように導くことでしょうか。 たとえヘタの横好きであっても才能がなくても、苦痛でさえないならばピアノを習うこと自体は、とてもステキなことですから。 あとは、できれば、やはり学習障害児の教育に関して詳しい人のアドバイスを受けられる機会があればいいですね。 質問者様に良いヒントが与えられますように、御健闘と、生徒さんの健やかな御成長を祈ります。 『レオナルド・ダ・ヴィンチは読字障害?』 http://www.ohchild.com/2008/02/post_100.html http://www.ohchild.com/cat73/cat92

noname#144204
質問者

お礼

大切なお時間を私のために割いていただき本当にありがとうございます。 この文章をお母さまに見せたいくらいですが…きっとご理解いただけないのが 現状だと思ってしまい、とても残念です。 しかし私にとっては本当に心にくるものがありました。 最初この質問をしたときは何とか教えなくてはいけない責任みたいなことを 思っていたのですが、心の片隅で >これでは体のいい「虐待」かもしれません。 ご両親(特にお母さま)に対してこう思っていたのは事実です。 でも実際の親ではない私に出来ることはやはりピアノでしかないので 教育方針、ご両親の考え方までに口出しは出来ないというのが 現実でありながらも無力さを感じていました。 noname002さん、ご自身のお辛い体験を書いていただき、書きながらも つらい思いがよみがえってきたのではないかと心配ですが、こうして書いてくださったことに まずは感謝申し上げます。 >その生徒さんのお母さんは、いったい何が目的で、娘さんにピアノを習わせ続けるのでしょうか。 私もこれが一番の疑問です。実際聞いてみたこともあります。 それが何度もいう「うちの子は好きなので」と言う答えです。 ですが本人はやはり劣等感を持っているみたいで何に対しても 「別にどうでもいいよ」とか褒められても「きっと○○だったからいっただけだよ」など あきらめ、とも取れる発言がとても多いです。 例えば発表会の曲を決めるときが本当に大変です。 何を弾いても(たとえ本当に簡単なものでも)「ムリムリ!」と答えます。 ムリに発表会に出なくても…というのですが、前から私の生徒だった子と 同じ学校なのでご両親は出したい…という結論になるわけです >恐らく大変プライド、負けん気の強いタイプの人ではないかと思うのですが、それだけに自分の娘が人並みでないようすなのが許せなくて苛立つのでしょうか。 私もそんな気がしてなりません。 しかし無力ながらお母さまの考えを変えることは私には出来ません。 お答えにあったように#1さんの提案してくださった方法をとにかく試して 何か彼女にあったものを探し出せればと思っています。 ご回答頂きありがとうございました。

noname#144204
質問者

補足

この場をお借りしてnoname002さんにはご迷惑をおかけしますが 記載場所がないので書かせていただきます。 #1の方に質問をしていたので締め切らなかったのですがその後の方の 回答を拝読させていただき、とにかく私が出来ることをやっていくことが 今の私に出来ることだと思い、締め切らせていただきます。 専門外のことでまだまだ勉強不足のこともあると思いましたが 皆さんのご助言とてもありがたく、とても勉強になりました。 本当にありがとうございました。 この場をお借りしてお礼申し上げます。

  • Diogenesis
  • ベストアンサー率49% (859/1722)
回答No.3

音楽は聴覚芸術ではありますが,演奏者の活動に注目すると ・楽譜を目で見て記号の意味を理解し記憶する。 ・記号の意味に対応した身体運動を惹起して楽器を操作する。 ・楽器から発せられた音を聞いて身体運動を調節する・・・ というような一連の複雑な知覚運動協応活動を行なっています。 ですので,ひとくちに音楽領域におけるLDと言っても, どの過程にどの程度の問題があるかによって多彩な表われ方をするでしょう。 御質問にある生徒さんは 読譜を学ぶ機会に恵まれていたにもかかわらず読譜に大きな困難がある。 だけどもピアノの演奏自体はそこそこできるということでしょうか。 もしそうだとしたら,他の回答者の方もおっしゃるように 読字障害か,その近縁の問題を抱えている可能性があると思います。 下記の講演録の26ページに ブラスバンド部でトランペットを吹いていて楽譜を読み飛ばす癖のある中学生が 楽譜を縦に置いたら飛ばさなくなったという事例が紹介されています。 視覚性の読字障害の中で,縦書き/横書きの違いによって 読字の困難さに差があるケースとの関連性が指摘されているようです。 ■広島県立教育センター/障害児教育セミナー等講演記録集  http://www.hiroshima-c.ed.jp/soudan/h14/1kouen.pdf 学習障害ではありませんが, リハーサル中に急に楽譜が読めなくなるという症状を示したプロのトロンボーン奏者がいます。 この人の場合,文字の読み書きは可能で,楽器を演奏したり歌を歌ったりすることは問題がなく, また音楽を聴くことにも問題を生じなかったそうです。 ただ,よく知っている曲の譜面を書こうとすると, リズムは間違いないものの,音の高低に誤りがあったとのこと。 調べてみると左大脳半球の角回という部位に小さな病変が見られたそうです。 角回は視覚入力と体性感覚入力の両方を受けとめており, この部位の損傷が失読症と関連していることがわかっています。 交通事故による頭部のけがのせいで,溢れるように湧き上がってくる音楽を 譜面に書き留めることができなくなったと言われる晩年のモーリス・ラヴェルも この部位とその周辺に損傷を受けた可能性が指摘されているようです (もともとあった欠陥がけがのせいで表面化したのと説も)。 日本語の読み書きと違って 日常生活の中で読譜の能力が問われることはあまりありませんし, 楽譜が読めないまま国民的歌手になったなんていう人もいましたから, 読譜の困難が教育のせいなのか,それとも脳の機能的障害のせいなのかを 突き詰めて調べることは少ないと思います。 同じような問題を抱えながら見逃されているケースは結構あるのかもしれません。 ピアノの先生としてはむしろ親御さんへの対応が難しいかもしれませんね。 他の子どもと比べて読譜が極端に困難であるという現実を受け入れたうえで, あえて学ばせたい・・・ということならいいのですが, 現実から目を背けて教師の能力のせいにされたりするようなときには きっぱりと引導を渡したほうがいいかもしれません。 わが子に障害があると認めたくない気持ちはわからなくもありませんが, その態度がかえって子どもの可能性の芽を摘んでしまう場合もありますので。 本人については ピアノが好きで続けている限りできるだけの支援をしてあげてください。 まだ小学校5年生でしたら今後の発達による改善の可能性がありますし, 先の中学生のケースのようにちょっとした工夫で障害を克服できるかもしれません。 読譜の困難をずば抜けた聴覚と体性感覚の記憶で補うことができれば, ミュージシャンとして活躍することだって可能かもしれません。 ずっと昔のハンガリーに,音楽が大好きなのだけど何かと問題行動の多い少年がいました。 この子の将来を心配した父親は,せめてちゃんとした音楽教育を受けさせようと そのころ名前が知られはじめた音楽教師カール・ツェルニーに息子を預けます。 「注意力が散漫で落ち着きがなく,むらっけがある。ただ初見と即興に見るべき所がある」と 少年を評価したツェルニーは「その子の長所を出来るだけ伸ばす」教育を施しました。 この少年こそ,のちに「ピアノの魔術師」と称されるフランツ・リストその人であった・・・なんていう例もあります。 その生徒さんが質問者さんをツェルニーにさせてくれるかもしれません! 以上,まったくの専門外ですが, かつて素人合唱団でバリトンを歌っていた一音楽愛好家の意見でした。

noname#144204
質問者

お礼

ご丁寧にありがとうございます。 >読譜を学ぶ機会に恵まれていたにもかかわらず読譜に大きな困難がある。 >だけどもピアノの演奏自体はそこそこできるということでしょうか。 他の方のお礼の箇所に少し書きましたが、演奏も困難が生じています。 指を動かすことがとても困難です。 小5年ですが初めて1年も経ってない生徒が弾くようなものも1ヶ月くらいかかります。 それはもちろん読譜の困難も手伝っていると思いますが、ただ指で 「ドレミ」を弾くにも指が思ったように動いてはくれません。 強い指1→2へ(親指→人差し指)だけでも困難なときがあります。 鍵盤を使わないで、指の体操みたいなことをしても思ったようには動いてくれません。 私も親御さんへの対応が難しいと悩んでいます。 普通の(といっては失礼ですが)親御さんでもわが子の生涯を認めることは 非常に難しいのに、この親御さんへの対応は困難だと思います。 ずっと家族から「ピアノ下手なのに何で辞めないの?」といわれ続けていたそうです。 それを聞いて私はお母さまに「それだけは言わないようにしてください」と お願いしたのにも関わらず毎回レッスンが終わるごとに「もう…ちゃんと練習しなさいっていったでしょ」 と怒鳴りつけるのです。 でも結局「うちのこはピアノ好きですから」って…。 それを聞いてなんとかしてあげなくては…とずっと思ってきました。 その子に今見えない音楽的な能力があるかどうかは私では判断できません。 その能力が私にないからです。 やはり他の先生に渡した方がいいと思うのですが 親御さんへの切り出しかた、本人への説明…でもこれは一度引き受けた私に責任があるのできちんとしなくてはと思います。 たとえ「障害だ」といわなくても少し話しただけでも、理解あるご家庭でないことも とても私の無力さを感じます。 ご回答ありがとうございました。

  • hipotama
  • ベストアンサー率50% (116/231)
回答No.2

表題から興味を持ち、質問文を読んでみました。読んでみてなるほどと思いました。楽譜が読めないというのは、LDの「読み書きができない。」のカテゴリーに入るかもしれません。 文字を読む・書くというのは、その形を認識しそれが意味を持つということが理解出来ないと習得出来ません。例えば「あ」ならばこの形が「あ」ということを意味し、「あ」と発音すると健常者は理解します。しかし、LDの場合はまず、形を認識出来ないか、たとえ認識しても「あ」と発音するということを理解できません。 音符が読めないというのは、全音符と二分音符の区別がつかないかもしれません。また、区別がついたとしても、全音符が四拍伸ばすということを理解出来ないかもしれません。そういう意味ではLDかもしれません。 幼稚園から習っていて「ピアノが好き」と言ってますが、素晴らしい才能を持っているかもしれません。母親が無理矢理やらせている場合はそうではありませんが、本当に本人が好きだったらあるかもしれません。そのような子供達は、特異な才能を持っています。新聞一面を全部濃くしてしまうとか、何十年先や後の「○月○日は何曜日」ということが分かってしまいます。 また、こだわりがあるので拘ることはとことん拘ります。その本人がピアノが好きだったら、それに拘るでしょう。 音楽は、感覚の世界だと思います。私なんか現代音楽を聴いても、さっぱり分かりません。その子にはその子なりの感覚があり、独自の世界を持っているかもしれません。 音楽教育には、いろいろな方法があると思います。楽典から教えていく正当法もあれば、ピアノを打楽器のように叩いてそこから独自の世界を切り開くという方法も聞いたことがあります。教師はその子の個性を伸長させるのが役目だと思います。 有名なミュージシャンでも楽譜が読めず、楽器を弾いてそれを採譜してもらうという人を聞いたことがあります。 自閉症や高機能障害、ADHD、LDに音楽が有効ということで、音楽療法というものもあります。その方面に関心がありましたら、一度検索してみてください。

noname#144204
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 実は「ピアノを好き」といっているのはお母さまの方だけです。 本人は「別にやめなくてもいいよ」みたいな感じです。 弾きたい曲ある?と聞いても「わかんない」など…。 #1の方のほうにも書きましたがお母さまがとてもきつくものを言うので ピアノ以外のことでもなかなか本音を言ったりしない子です。 あと指も不器用(これもLDのうちなのでしょうか?)なのか となりの音にいくだけでも一苦労、といった感じです。 >ピアノを打楽器のように叩いてそこから独自の世界を切り開くという方法も聞いたことがあります。教師はその子の個性を伸長させるのが役目だと思います。 私もこういったもののほうがいいのかと思いました。 それがやはり音大を出た私では学校業も並行しているので 時間的に他の生徒を辞めさせてその子のために 全力投球して1からその分野の勉強をしなくてはいけません。 「逃げ」と思われるかもしれませんがそういった専門の先生に習った方がいいのではないか? と思って、悩んでこちらに相談してみました。 教育大学の音楽科をでた方のほうがいいのでは、とも思いました。 私では力不足なのかもしれません。 ご丁寧にご回答頂きありがとうございました。

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