• ベストアンサー
※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:哲学の事で)

高校生の質問:哲学についての疑問

zero_mugenの回答

回答No.9

専門用語なんて覚える必要ないですよ。あなた様が普段使われている日常の言葉で一人で「考える」事が一番大事です。そうすればどんなに悪い翻訳の哲学書でも専門用語などすっ飛ばしても読める様になります。 そうすると哲学書の翻訳の善し悪しが自ずから分かる様になりますよ。あわてなくて大丈夫です。と言いますか極端な話、哲学書なんて読まなくてもただ「考える」=「哲学する」って云う事なんですよ。 お勉強家の感じのする人っていますよね。そういう人の本や言葉は信用しなくていいです。あなた様はお若い分、そういったものを直感で感じられるのではないですか。そういう直感的なもの、ずっと大切にして頂きたいです。 「哲学」って決して勉強ではありません。だから文系理系なんて意識しなくていいです。 哲学は単に「する」ものであって、「持つ」ものではありません。思想はこれの逆ですね。 ただもう、あなた様が「本当のことが知りたい」って言う気持ちがあり、自分で考える事が大事です。哲学書を読んで全てを暗記しても何にもなりませんよね。 一番大事なことは「何なんだこれは」って驚くことなんですけど、こればっかりはあなた様にしか出来ませんので、って当たり前ですよね(笑)けど本当なんですよ、これ。 池田晶子氏の「14歳からの哲学」若しくは、プラトンの「ソクラテスの弁明」をおすすめします。 ご質問には全然答えられていませんが、ご参考になれば嬉しいです。

関連するQ&A

  • 哲学はいろんな事に応用が可能でしょうか?

    現代思想とか、今の潮流の哲学を理解出来れば、 現代の経済とか、 現代の産業とか、 現代の芸術とか・・ その他様々な分野を理解する飲み込みが早いのでしょうか? 様々な分野は全て、抽象的なレベルでは似ていて、 似ている事は思想家や哲学者の考えが当てはまるのかなー、と思い質問しました。 よろしくお願い致します。

  • 哲学の辞典

    哲学用語がわからないので本を読み進めるのが難しいです。 前に思想の科学研究会の「哲学・論理用語辞典」というのを買ったのですが、これはポスト構造主義以降の用語はあまりカバーしておらず、最近の本を読むのにはあんまり役に立ちません。 難しすぎず、単なる辞書的な意味以上の内容がある辞典でお勧めのものを教えてください。 理系の学生なので、あんまり専門的すぎるのはちょっときついのですが、デリダとかドゥルーズとか読みたいので…

  • 出来る事なら哲学を何に役立てたいですか?

    哲学を何かの為にやる これは不純でしょうか? もともと哲学は農夫にもあったし、漁師にもあったし、女性にも男性にも在ったと思います。 生きながら考えたことが哲学となり、己の人生感、世界観となったと思います。 それから哲学が学問になって 哲学は利益の為とか、誰の為にするものじゃない という 風潮になりました。私はここで言いたい。今こそ哲学が世界に役立たなければならない時代だと 宗教がバラバラの今、哲学が何かを示さねば 人々は分からないまま 苦境に追いやられるのではないでしょうか? 今 出来る事なら、哲学で何が出来ると思いますか? その可能性と考えをお教えください。 当方病人につき、出来れば端的にお願いします m(_ _)m

  • 哲学にとって最も重要な事はその自己完結性である

      宗教であれ信仰であれ、思想であれ、哲学であれ、これらを成立させる最も重要な要件は何かと考えてみた。 そしてこれらのものを成立させる最も重要な要件は自己完結しているかどうかであると考えた。 どれほどの綺麗事を掲げる政策であれ、実行段階で内部矛盾を抱えていれば直ぐに破綻する。 仏教であれ、キリスト教であれ、およそ既成宗教と名の付くものは、この意味で見たとき内部矛盾を抱えるものばかりであり自己完結したものなど一つも存在しないことが分かる。 奇跡を説くキリスト教であるがその奇跡を受け入れることのできないキリスト教徒は悩み苦しむことになり、無や空を説く仏教であるが結局坊主は無や空が何たるか分かるわけもなくただただ途方に暮れるばかりで、せいぜい葬式仏教を営むくらいしか出来ないのである。 思想や哲学において最も重要な事は、その思想や哲学の歴史でも権威でもなく、またそれを支える組織やコミュニティの存在でもなく、純粋に自分自身がその思想や哲学を納得できるかどうか、その思想や哲学が自分自身の中で自己完結しているかどうか、それ以外ないのである。 このように考えるとそれが自分独自の考えであろうとなかろうと、やはり自分自信で辿り着いた思想なり哲学なりを最も大事にしないといけないのではないだろうか。  

  • 革命的哲学は誕生するか?

    一時代を吹き荒れた思想に共産主義がありますが あれは武力革命だったので 結局、武力や暴力がまかり通って悲劇をうみました。 日本共産党は議席を獲得して革命を起こすのでしょうから いいとは思いますが いろんな問題 人口爆発とか地球温暖化とか宗教対立とかエネルギー食糧問題とか そういう問題を乗り切るために 今共産主義を超える思想が必要だと思います。 哲学なくして思想なしと言ってもいいでしょう。 何かそのような哲学を期待しますか?それともこのまま成る様になればいいのでしょうか? 今世界に思想哲学がない と思いませんか?宗教ばかりでは相容れません それを取り持つためにも 宗教より根本から考えた哲学が必要だと思いませんか?

  • 哲学・現代思想は科学や芸術をどうとらえているのでしょうか??

    初心者です。 哲学はある意味、主観と客観の一致の問題を考えてきたと捉えています。(違ったらすいません) (真理は存在するか??客観視は可能か??など) そこに近代哲学批判のニーチェが出てきて・・・ 「真理などはない、すべてあるのは解釈だけだ」と述べ、その考えが現代思想の根本にある気がします。 ポストモダン思想などは懐疑状態に陥ってしまったと思っているのですが(すべては差異だとか戯れだとか)、哲学・現代思想は、ある程度法則が見つかったとされる物理学(運動が説明できる)や生物学(遺伝子など)などをどう捉えているのでしょうか?? また、最近は「人それぞれ」というのが流行っていますが、何処までが人それぞれなのか?? 美しさや善悪の判断など、微妙にそれぞれといえないものがあるのはどのように説明されるのでしょうか??(芸術や道徳がなぜ存在するのか?人それぞれだと存在している意味がない) 気になったので質問させていただきました。よろしくお願いします。 あと、根本的に解釈が間違っていたらご教授して頂きたいです。

  • 大学での哲学は学ぶもの?

     私は現在心理学を専攻しているのですが、関心が認識の限界や死後の存在などの哲学方面にあり、哲学科に編入しようかと迷っています。  そこでいろいろな大学のホームページを見てみたのですが、卒業生や院生の論文内容や研究テーマが「~に関する研究」などの、ある思想家の研究ばかりで「大学での哲学は学ぶもの?」という疑問が生まれました。  私は哲学をやりたいのであり、哲学史を学びたいのではありません。勿論ある程度先人の思想を知るのは必要かとは思いますが、それだけで終わりたくはありません。  そこで質問なのですが、大学の哲学科は哲学史を学ぶところなのでしょうか?また哲学の大学院はある思想家の研究や自分の関心領域の歴史をさらに深めて学ぶところなのでしょうか?教えてください。

  • 哲学の意義について作文しました。添削してください

    前回はコレ↓ http://okwave.jp/qa/q7711979.html どのくらい読みやすくなったか評価して助言してください。 わたしは普段簡潔かつ断定的に短い文章で考えを述べてこそ、そも明白さが知性の表れなのだと考えて実践してきました。 このように言葉を膨らませて柔らかくする事は不慣れです。 どちらかと言うと国語的な質問ですがよろしくお願いします。 書店で入門用の哲学書を購入すると、特定の哲学者が著作者である場合には、まずその著作者特有の神との係わりに関する個人的見解と、そこから知性を発達させる手法に関して考え方が述べられています。神と個人の関わりの限りでは哲学であり、広く、神と人とのかかわりであればそれは宗教である。 おもにこのような手法をとる西洋哲学を理解しようとして、日本人が哲学を研究するとなると、文献を理解するためにキリスト教文化への見識が必要になります。 すなわち哲学研究が西洋の精神文化や宗教の研究と混在して日本を含むアジア人が知の探求に取り組むことを困難としています。 その哲学を私なりに定義すると、人間が知性を備えるという事実は哲学が表すように神の存在と関わり、神に対して真剣な答えを求めることが、哲学の問いかけそのものであった、 だからこそ日本人が独自に哲学研究する場合には西洋と同一の手法でありながら日本人としての信仰の風土を尊重し、仏教や神道に関して自らの考えを持つことが大事だ。 なぜなら自らの信仰心からしか神に問いかける事はできないからであり、それこそが人間が知性を持つことの果実だからだ。 知性とは神への言葉である必要があるのだ。 信じてこそ神と通じる。 その言葉は真となる。 そのように信仰を問うことが哲学の前提であり、日本人として自らの考えを正すために西洋から哲学を学ぶとすると、自らの信仰を明らかにする必要がある。 哲学を志とすれば、宗教そのものについて考えることと、哲学として考えることの違いがおのずから出てくるのだが、それは同一であり、哲学の起源から知性とは神を問うことに生かされ神の発見が人間知性の起源ではないかと類推します。今まで日本人が行った哲学は、仏教文化により無我でありながら、あえて我として考える、とでもいうような苦し紛れの言い回しがあったのでその点に焦点を当てようと考えています。

  • 若者の哲学離れは良い事なのか?否か?

    最近の若者は思想がないようです。 哲学とか言うとなんか気持ちの悪い話の様に思う人が多いようです 我々の頃は倫理社会という教科で哲学の話も勉強しましたが 今は現代社会にほんの一部紹介されてる程度で 根本から人生や世界を考える姿勢は見られません。 情報だけは溢れるように在る様で PCどころかタブレットやスマホで 色んな情報が手に入ります。 このような状態では 政治がまた戦争もやると言えば それに反論する思想はないかもしれません。 公明党まで自民党の路線に反対できません。 もう哲学は不要なのでしょうか? 理想などいらないのでしょうか?

  • なぜ女性には哲学者がいないのでしょうか?

    お世話になります。 先日、高校生向けの倫理の資料集(ソフィエ)という本を読んでいたのですが、 古今東西の思想家がわかりやすくまとまっている良書と思いました。 そこで気づいたのですが、なぜか女性が一人もいない点です。 ギリシャ哲学、中国諸子百家、国学者、戦後の思想家・・・全員が男性です。 女性の場合は、どちらかというと随想・エッセイストの延長で 哲学的思想が含まれていることが多い気がしました。 女性の思想家で個人的に知っているのはハンナ・アーレントくらいです。 日本では、瀬戸内寂聴などの仏教思想を基にした女性エッセイストが多い気がします。 また孟母断機・孟母三遷のように、非常に優れた倫理観をもつ 女性というのはいつの時代にもいるものですが、 なぜ自分の考えを本にまとめたりしなかったのでしょうか? いわゆる女性が自らを「思想家」「哲学者」として売り出さないのには、 何か理由があるのでしょうか?