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「人に評価される=自分の存在意義」という概念を無くしたい
幼少時から、「能力のある」人に憧れてきました。 統率力があり、皆に慕われ、機転がきき、頭の回転が速い人。 自分はそういう器ではないとわかっていても、自分も「能力のある人」になりたいと強く思い、何とか近づいてみたいとここ十数年過ごしてきました(現在19です) 「寂しい、人に構われたい」という思いが根元にあったようです。 (家族から愛されなかったわけでもイジメを受けたわけでもありません) しかし最近、はじめは憧れであったこの思いが「私を認めなさい!」「他人に認めてもらえないと私は存在している価値がない」という傲慢な私利私欲、野心であったことに気付きました。そのために人に好かれるどころか違和感を与えさせ、まったくの逆効果を起こしていました。 (接している全ての人に嫌われているわけではないのですが、一部の人間に「仕事ができない人だ」と陰口をたたかれました) サークル(寺社の案内)、趣味(絵画)も、「自分が楽しいから」ではなく「私を認めなさい」という野心でしか行えていなかったようです。 趣味の絵画は、ときどきは素直に楽しかったりするのですが、展示サイトを運営していて「もっと閲覧者に認められなくては、ウケなくては」という思いが先走りしてしまっているために、現在は楽しいとは言えない状態です。 その野心に気付いた今、自分には「自己満足」で心から楽しみたいと、心から頑張りたいと思えることが何もないんだ・・・と、虚無感に襲われています。 とにかく今は、今まで自分を動かしていた「認めなさい!」「認められないと存在している価値がない」という私利私欲を何とか消し去りたいと思っています。 自分のために頑張る、自分が楽しいからやる、つまり他人の評価を気にせず「自己満足」で生きたいです。自分で自分を認めてあげられるようになりたいです。 しかしこの野心がかなり深く根付いているようで・・・人に認められることが全ての核になっているようで、なかなか捨て切れません。 厳しいお言葉でも構いません。 どうか野心を捨てる具体的な方法を教えてください。 よく「気楽に生きなさい」と言われますが、具体的にどうすれば良いのか、どういう行動を取ればいいのかわからないので・・・。 よろしくお願いします。
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>「努力をすれば 必 ず 成長し、 必 ず 報われる」 まずこの考えはやめた方がいいですよ。 人生報われない努力の方が多いです。 努力と言うものは報われなくて当たり前と思ったほうがいいです。 ただ、報われるためには努力をしなくちゃいけない。 だから、いくら努力しても認められないのが当たり前なんです。 ただ、いつか認めてもらう人と会うためには努力をしていかなきゃいけません。 そして、他人が認めてくれると言うのは何かをした付属物、グリコのおまけのようなものです。 確かに魅力的で本体のキャラメルよりおまけが欲しいと思うかもしれない。 でもおまけだけじゃ買えないんです。 あくまでも本体のキャラメルを買わないとついてこないんです。 他人に認められるために何かするってのは売ってないグリコのおまけを買おうとしている行為ですよ。 どんな魅力的に思えてそれが欲しくてもそれを直接手に入れることはできない。 だから本来の行為をしっかりとしないといけないんです。 しかもついてくるおまけは自分が欲しかったものじゃないものが出てくることも多い。 過去に出てきたおまけでもう魅力的に思えないおまけかもしれない。 (その程度の感謝や認められ具合じゃ満足できなくなってしまっている) 人間は誰かに認められたいと言う欲求はあるので、それを捨て去るのは決していいことでは無いと思います。 ただ生きていくと何度も認められたことは当たり前になり、認められたと感じなくなってしまいます。 そのために認められることが少なくなるように感じます。 だから大人になれば認められないことが当たり前と思ったほうがいいですよ。 後、自己満足って自分が他人の目線で自分を認める行為ですよ。 少なくても自分が自分を認めてあげればいいんですよ。 当然自分が認められないような行為をしてたら駄目ですけど、 自分が認められる行為をする=努力をしている。なら最低自分だけは認めてあげられるじゃないですか。
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- ZXYZY
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私の自分に対する想いは”自分らしい自分になろう””自分の評価は自分でしよう””自分がなりたい自分になろう”です。 正直言って自分が好きですし、自分が可愛い。 人の評価は気にしません。 会社では辞めさせられない程度に言いたい放題。 時に自己嫌悪に陥りますが。 役職も前の会社では20代で課長になりましたが、自己評価とは違うので辞めました。 今は管理職にならないように上司の受けを悪くしながら自分のしやすいように仕事してます。 でも結構な苦労と覚悟は必要ですよ。 半分世捨て人ですし。 会社の人間とも会社以外ではほとんど付き合いませんし。 地域の人やネットのオフミーティング、共通の趣味を持つ人くらいしかアフターでの付き合いはしませんし。 まず、自分を一度開放して、解体してもう一度構築することです。 自分のあるべき姿、こうありたい姿を模索し、一本大きな柱を立ててそれからですね。 それから後は修正はしてもいいけど、妥協しないこと、そして折れないこと。 以上参考になれば
お礼
ご回答ありがとうございます。 御礼が遅くなってしまい申し訳ありません。 あなたのような、程度を守った自由性も一つの生き方かな・・・と参考にさせていただきました。 いろいろな方のご意見を聞くうちに、人の評価で動くことに少し疑問も抱き始めてきましたし・・・。 もう少し自分を見直してみようと思います。
- madmax4
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いやいや 人の評価はさまざまですよ 皆が皆同じ評価ではありません 使えないやつと思ってる人もいれば 出来る人間だと思ってる人も居ます 考えるだけ無駄ですね 相手が何を考えてるか解る人間なんて居ませんので ドライにいきましょう
お礼
ご回答ありがとうございます。 やはり、人は人、自分は自分と在る程度割り切ったほうが良いみたいですね。 いちいち一喜一憂していてもしょうがないのでしょうか。 ドライに生きていらっしゃるあなたが羨ましいです。
- new_hope
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私も質問者さんとまったく同じ悩みを抱えております。質問者さんと同じ頃に気づいて、30歳になった今もずっと悩んでいます。 自分がやりたいと思ったことが、本当に自分に合っていることなのか、それとも自分が「そういう人に見られたい」立場なのか判断できず、なかなか決められません。仮にやりたいことが見つかってそれに熱中していても、やはり人に評価されないと楽しくなくなったりして立ち止まってしまいます。で、人に評価されるようにシフトしていくと、今度は自分の満足を犠牲にしていたりします。特に就職活動のとき、なかなか自分の行きたい業界が決まらず深刻でした。今の仕事を見つけたのは26歳になってからです。 今でも自分が選んだことに自信はないし、かといって人に評価されている自信もなく、満たされず将来に不安さえ感じています。恋愛に関してもそうです。本当にその人のことが好きなのか、自分が好かれたいだけなのかわかりませんし、付き合い方も自分が楽しいと思える関係でいるのか、相手に合わせているのかわかりません。 私自身そんな人間なのでアドバイスできる立場でないかもしれません。ただ、そういう気持ちが癒せる糸口があるってのだけは見つけました。「最初からわかってれば、自分はこうならなかったのに・・・」という反省もあります。 それは、不特定多数の周りの評価を気にするのではなく、目の前にいる友達を大切にすることです。うわべの友達ではなく、カッコつけたり自分を飾ったりしないで付き合える親友や恋人を持つことです。 結局、万人が自分を評価して注目してくれることなんて絶対にありませんから、その動機で行動して気持ちが満たされることはまずありません。しかしそれが気の合う友達だったなら、闇雲に的外れな努力をしたり、統一感のない行動をしなくて済むのではないでしょうか。 それに、自分がリラックスして付き合える親友や恋人というのは、あなた自身を写す鏡でもあるわけですよ。仮に人の評価を気にして行動するにしても、あなたが一緒にいて楽しい、楽だと思える相手が評価してくれる事ならあなた自身にとっても楽しいことである場合が多いはずです。自分を見てくれる人がちゃんと存在していると、必要以上に他人の評価に飢えることもないと思います。 下手に背伸びして自分の枠を超えた行動をしたからといって、たとえそれが成功を治めたとしても、たとえ大多数の無関係な世間に評価されたとしても、空しさは消えません。本当にあなたを見ている人がいない限りね。 極端に言えば、大切な人がいれば何をやっても楽しいです。 私も能力のある人間になろう、人に評価されるようになろう、という事を考えながら生きてきましたが、逆にそのせいで自分と等身大の価値観や人間関係を疎かにしてきた気がします。評価してくれる相手自体を失ってきたとも思います。虚勢を張って生きてきたせいで、慰めあえる相手も少ないです。 しかし、久しぶりに学生時代の友人と連絡を取って会うときや、弱さを見せて付き合えた恋人と過ごしていた時には、本当の自分自身でいられます。 何か成し遂げて、自分のことを知らない人に表面的に評価されてもぜんぜん満たされませんが、友達に評価されると本当に嬉しいです。もし何か自分を見失った行動を取っていても、友達に相談すると、「オマエらしくないよ」とちゃんと指摘してくれ、そこで改めて自分のやりたいことに気づいたりもできます。今は、そういう友達の存在や助言を蔑ろにしないように、とても気をつけています。 学生時代は人材価値を高める時期ではありますが、友達や恋人を見つけて、人との交わりの仲で自分を見つけていく時期でもあります。野心を捨てる必要はありませんが、野心無しで付き合える人間関係のほうが大切ですから、忘れないでください。親友や恋人なんてのは、見つけるのではなく長い時間かけて自分で育てていくものだということも、忘れないでください。
お礼
ご回答ありがとうございます。 やはり、こういうことに悩むのに年齢は関係ないのですね。 年上の方でも同じ悩みを持つ方がいらっしゃり、少し安心しました。 体験談をお話くださりありがとうございます。 いろいろと不器用なもので、人間関係も時折崩れることも無いとは言えないのですが・・・ 自分をより知ってくれて、本当の自分を見てくれる相手の評価が大切、ということでしょうか。 ずっと今まで、それよりもとにかく誰でもいいから大多数に評価されたい、褒められたいと思っていました。小中高時代なんて、形ばかりではあったもののそれこそ絵に描いた「優等生」でしたし、褒められた時に物凄い快感を覚えてしまったので、評価の数さえ貰えれば誰でもいいと思っていました。 身近だからこそ気付かなかった、何か大事なものを忘れていたようですね・・・。 友達関係は「狭く深く」なので、決して多くはないし、無理に増やしたいとは思っていないのですが。 それでも人に構われたいのは、少数の人だけに甘えたいという我が儘があるからなんだ・・・と最近気付きました。これは改善した方が良いんでしょうかね。 ともかくも、本当に信頼できる環境を大切にしたいと思います。
- acuna
- ベストアンサー率14% (319/2259)
若いうちは、野心があるぐらいで丁度いいと思います。 究極は「自己満足」と「他者の満足感あるいは幸福感」が限りなく近い状態です。 どの企業も追求している「顧客満足度向上」と言う結果が出て、それが自己満足になれば良い訳です。 自分の限界に挑戦すると、自分の限界はもっと上にあると解ります。挑戦しないで、諦めた時点で、成長は止まります。 あなたの生き方は、ものづくりの世界や、研究分野で成功している人の生き方に非常に近いものがあります。 がむしゃらに勉強して、それを実験したり、検証したりの経験から、更に勉強を重ねると、頭の中の回路が突然つながって、雷に打たれたようなアイディアを生み出す様な、(いわゆる、茂木健一郎氏の「アハ」体験)お仕事に向いていると思います。 可能なら「理転」をお勧めしたいぐらいです。
お礼
ご回答ありがとうございます。 「野心」をやる気に変換すれば良いのでしょうか・・・。 とにかく、どちらにせよもっと勉強や努力は必要ですよね。 現在は日本史を専攻しています。 理科や数学はてんでダメだったので理転はちょっと無理ですが; でも研究とまではいかなくても、普段の勉強や趣味はできるだけ「自分のために」諦めずに挑戦します。
- rukking15k
- ベストアンサー率34% (268/766)
なくす方法はわかりません。 だけど、ラクになるというかあなたらしくいられるのは、野心を捨てないことだと思います。 私も子供の頃からあなたのいう能力のある人に憧れてきました。 だけど現実はうまくいかない。 自分がやるべき答えは、憧れの人になるしかないのだと思うようになりました。 憧れの人になるっていっても、すべてうまくいくのは難しいと思うので、何か一つ周りから賞賛をあびるような証を残せればいいのではないのでしょうか? 例えばオリンピックに出場する選手ってのは、皆それぞれの考え方があるんだろうけど、冷静に考えてみれば彼らは実に貪欲で、認められたくて、その行動は自己満足なものだと思います。 一般の人間レベルを超えた能力をもっていて、それだけでも周囲からは認められているはずなのに、「自分の力を試したい!」とかなんとかいいわけをいいつつ、メディアに登場する姿は欲の塊だと思います。 勝っても、負けても、感動シーンを残せたことで、その欲の皮は感動に隠れて一見美しく見えますが、4年後も挑戦する!と宣言している人なんか は、負けず嫌いのチャレンジャーというよりも、欲深くそこまでして認められたいんだなぁとつくづく思います。 私は過去に絵を受賞したことがありますが、同じ賞が例年よりたくさん出たということで、スペースの問題が発生し、 半分の人は上に飾り、残りの半分はその下に飾ることになりました。 受賞した参加者達は、オリンピックの選手のようなキレイなコメントを残していたのに、 誰の絵が上になるかという問題が浮上すると、自分の絵は絶対に上に飾りたいという人ばかりでした。 結局、皆は自分の行動や思想には、認められたい想いでいっぱいだと思います。 この世界でやりたいことをやるには野心や貪欲性は必要だと思います。 質問者さんは認められたいと思って生きてきたと思うので、その野心を捨てるのは全く違う人格にならないと難しいのでは?と思います 他人の評価を気にしても、無意味です。 「いい人」になっても少しのしくじりで周囲は悪口を言います。 そのときに、さらに良い人格になろうとすると、疲れます。 周囲はあなたがいい人になろうが、つぶれようがいっこうにかまわないからです。 むしろ野心があるならその野心を使って一旗揚げてから、野心を捨てるかどうか悩むべきです。
お礼
ご回答ありがとうございます。 おそらく、今の私は 実力が伴わないのに「認めて!」というふんぞり返っているように見えているのではないかと思っています。それって実に滑稽ですよね。 野心を全て捨てきるのではなく、それを良い意味でのやる気にして、まずは努力を重ねます。そしてもう少し謙虚になろうと思います。
- s_kudou
- ベストアンサー率18% (101/553)
自分の自然な思いをそのままにして、人に評価されるまで、とことん努力しなさい。大変かも知れませんが、そこまで頑張って下さい。その経験を積んでからでないと、今どんな理屈を言われても理解できないと思います。 普通ではあり得ないほどの経験を積めば、野心は無くなり無心の境地(悟り)を得られると思います。つまり、野心を捨てるというのは、人に評価されるよりも大変なことなのです。 オイゲン・ヘリゲル著の「日本の弓術」を読まれたら参考になると思います。
お礼
ご回答ありがとうございます。 まだまだ努力が足りないということですね。 「自信は努力から」という言葉も聞いたことがあります。 人に評価されることをゴールにしてしまいそうで怖いですが、 なんとか向上心を持ち続けることができればと思います。 まずはできるかぎりの努力から始めます。 お教えいただいた書籍も目を通しますね。
- kamaichi
- ベストアンサー率0% (0/1)
あなたはまだ19歳なのですね。 その歳でそんなことに悩めるなんて、 あなたは、とても頭のよい方ですね。 きちんと ご自分を客観的に見ようとされていますし、それだけではなくて、 究極の客観である「他人に認められる」ということの重要性を感じて、 なんとかしようと、試行錯誤を実践されているんですから。 周りの方は、それに気が付いていないようですね。 いずれ、わかりますよ。 あなたが今、そうやって悩みながらトライしていることの意義が、 いかに値打ちのあることだったかって。 そうやって悩めば悩むだけ、人間として、果てしなく成長します。 確実に。 でも、周りの人は、 そのすごさが理解できないのかも知れないかも。 だって、あなたに評価を下す人は、 その間成長してないんですから。 そのうち、 逆に、あなたの方が、周りの方の甘さに気づいて、 「たいしたことないなあ~」なんて思ってしまうようになります。 いやですけどね。 すると、そんな人たちの自分に対する評価なんて、 ぜんぜん気にならなくなります。 いまのうち、おもいっきり悩んでください。 でないと、「そのうち」がおとづれませんから。 支離滅裂ですね。 すみません。
お礼
ご回答ありがとうございます。 自分について客観的に悩む、というのはいわゆる中二病かな、 思春期なんてとっくに通り越したハタチ前にもなって、存在意義で悩むなんて情けないと思っていましたが・・・そうでもないんでしょうか。 悩んでも、結果的に行動を起こさないと何も進まないでしょうから、 そこは頑張らなくてはと思います。 >逆に、あなたの方が、周りの方の甘さに気づいて、 >「たいしたことないなあ~」なんて思ってしまうようになります。 そうなったとき、逆に慢心を起こさないか不安ですが・・・ 程度を守った自己満足でいきたいです。
- momiji1120
- ベストアンサー率41% (82/200)
私は変える必要は無いのかな。 と感じました。 >傲慢な私利私欲、野心であったことに気付きました こういう事が大事なのです。 自分を理解して、人を思いやるようにすれば、それは野心ではなく結果的に「人から評価された」という事になると思います。 会社などで、上に上がるために頑張るのだって悪いことだとは思いませんし。 万人に好かれる事ってないと思うので、「あの人とは価値観・考え方」が合わないんだ程度に思って自分が楽なように、人に迷惑をかけない程度にやっていけば良いと思います。 人に迷惑さえかけなければ自己満足で良いのですよ。 きっと、極端に執着して行ってきたから「野心」と感じるようになってしまったのでしょうが、自分が得意分野で「ここは認められたい」と強く思うときにいつも以上に頑張ってみたり。 メリハリを付けたら良いのではないでしょうか? 気持ちの面では、今までが「認められたい」と言う気持ちでやってきたことを「自分の為」と置き換えて意識しながらやったら良いと思います。 忘れそうになったら、思い出して「自分のため」と。 しかし、組織に居る以上は評価がついて回るのは仕方のないことだとも認識しておいたほうが良いです。 人は人、自分は自分です。
お礼
ご回答ありがとうございます。 メリハリをつける。「自分の為」と置き換える、ですか・・・。 極端な性格のため、なかなか難しい面もありますが気に掛けていこうと思います。 今まで努力をまったくしてこなかったわけではありませんが、 「努力をすれば 必 ず 成長し、 必 ず 報われる」 という公式が邪魔をしていたようにも思います。 自己満足、自己満足と言い聞かせるようにしていきたいです。
お礼
ご回答ありがとうございます。 やっぱり間違いでしたか・・・。十数年それが間違っていないと素で信じていた自分が怖いです。 だからときどき、「努力しよう」と意気込んでも、しばらく経って「さあ評価は上がったかな?上がってるはずだ! え、上がってないの・・・うそ」と落ち込むことが非常に多かったんです。 確かめさせていただき、ありがとうございました。 また、グリコのおまけの例は非常に参考になりました。 結果がついてくることに越したことはないですが、 努力をするという行為そのものを自分で認めてあげられたらと思います。 認められないのが当たり前なんですね。しっかり覚えておきます。