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日本的私小説の復興はありえるか。(訂正)

専門家の方のみ投稿頂けるよう、お願い致します。 まず、僕は、作家を目指している者です。近代文学が好きで、特に、所謂、心境小説等と言われる部類が好きです。はっきり言って、現代の大衆文学一辺倒はあまり好きではありません。(間違っていましたら訂正ください)又、推理小説などもその類に入ると思いますが、如何でしょうか。それに、伴い、昨今の純文学の定義も、若しくは昔からなのかもしれませんがわかりません。 次いで登竜門となる、芥川賞についてですが、その不定義によって引き起こされる弊害等はないんでしょうか。そのようなことを踏まえ、題名通りですが、日本的私小説と云うものが、再度復興する事はあり得るでしょうか。 追記 文章に誤りがありましたので、再再度、訂正いたしました。

noname#59281
noname#59281

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noname#54559
noname#54559
回答No.2

現在、日本の文壇には、大きく分けて純文学とエンターテインメントが存在するのは事実です(大衆文学という言い方はすたれたと思います)。賞も、前者は芥川賞、後者は直木賞というように、2つに分かれています。新人賞の募集も2つに分かれています。 しかし、この2つの区別はきわめてあいまいで、エンターテインメントの新人賞でデビューした作家が芥川賞を受賞したり、純文学でデビューした作家が直木賞を受賞したりしています。純文学として出版されているが、エンターテインメント小説として人気を博したり、エンターテインメントとして出版されたが、純文学のような奥深さがあると絶賛されたりする作品は多いです。 このほか、ライトノベルと呼ばれる若い人向けの小説や、性的刺激を目的とした官能小説があり、これらは上に述べたような一流のエンターテインメント小説よりは下位に見られます。が、こうした部類からも、乙一のように、上のレベルの作品として評価される作家も出ています。 このように、現在、日本の小説は多様になっており、明確な区分けはできません。なので、質問者様の問いは、あまりに画一化されていて、現実に合っていないように思います。作家をめざすのでしたら、もっと柔軟に、現代の小説を見回してみる必要があるでしょう。 小説の出版とは、事業であり、大金がかかります。ある程度の部数を買ってもらえなければ、赤字になるだけです。なので、出版社は読者が買ってくれるような作品を出版します。現在では売れないような作品は当然、出版されません。日本的私小説も、過去の名作をそのまま焼きなおしただけのものは売れません(過去の名作を読めば十分なので)。現在の読者に求められる私小説ならば、出版は可能でしょう。 売れなくても出版する価値がある、将来、必ず認められる、と思うのでしたら、自費出版をおすすめします。

noname#59281
質問者

お礼

そうですか。貴重なご意見ありがとうございます。

noname#59281
質問者

補足

因みに、僕のような人間にも読める、現代の作家作品で云うと、誰のが、お薦めでしょうか。予定では、宮本輝や中村文則を読もうと思っています。

  • ezorisu
  • ベストアンサー率35% (61/171)
回答No.1

Q.ochiudoさんの「日本的私小説」とはどのような 作家、作品を指しているのでしょうか? 正宗白鳥、島崎藤村、田山花袋にはじまり宇野浩二につながる 自然主義文学の系譜が一般には「日本的私小説」と言われます。 それとも上林暁や小山清などを想定されているのでしょうか? また、ochiudoさんの言われる「大衆文学」、「純文学」の 定義を具体的にお書きください。 現在の芥川賞選考委員はご存知ですか。 また、その作品をすべて読まれましたか? そのうえで歴代の選考委員との差異を端的にお書きください。 先ず、ご自身が考えておられることを述べたうえで、 意見を求めるのが本道ではないでしょうか? 私見ですが、最近の芥川賞受賞作を読むかぎり、 私小説の表現手法は連綿と現代の作家に 受け継がれていると思います。

noname#59281
質問者

補足

回答有難うございます。まず、初めに上林暁や小山清、等と言われる作家がいたとは、初耳です。それと、僕が想う日本的私小説とは、一般に言われている自然主義の系譜で間違いありません。 あと、大衆文学の定義についてですが、辞書にもあります通り、世間受けがしやすい、安易な文学だと認識しています。又、芸術に重きを置かない等の点も挙げられると思います。 純文学については、これも又、昔辞書で読んだ程度ですが、純粋に芸術のみを追求する事と認識しています。それから、芥川賞歴代選考委員については、本文通りですが、存じ上げません。しかし、過去のものならある程度は、わかります。

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