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純日本人なのに外国人顔
日本人なのに外国人顔の人っていますよね。 私自身兄弟の末っ子に一人西洋系の外国人っぽい子がいるのですが、 これは私の家系に西洋系の方がいた可能性はあるのでしょうか。 純日本人で突然外国人っぽい人が生まれるって事は考えにくいですし…。 今だから国際結婚なんかはよく聞きますが、昔でもそんなものがあったんですかね?
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「今だから国際結婚なんかはよく聞きますが、昔でもそんなものがあったんですかね?」 日本にポルトガル人が来航した戦国時代以来、 「日本女性が外国人の現地妻(妾)になること」 あるいは 「外国人が日本の女郎屋の客となること」 は、横浜、神戸、長崎などを中心にごく普通のことでした。有名な例が、アメリカ領事ハリスの現地妻になった「唐人お吉」です。こういう女性は「らしゃめん」と呼ばれました。 明治時代、長崎には冬になるとウラジオストックからロシア艦隊が寒さを逃れるために毎年来航し、ロシア将兵が利用する専用のホテルがあり、多数の女性(女郎)がいたそうです。そのホテルの女将の「稲佐お栄」と呼ばれる人は長崎の郷土史に名を留めています。この方は、ロシアの皇太子(後の最後の皇帝・ニコライ二世)が長崎に来た時に「夜伽をした」と伝えられています。 戦国時代から江戸時代初期の鎖国までの間は西日本の各地に外国の商人などが直接来ていました。鎖国の時代は、長崎にはオランダ人と中国人が「商館」を有しており、丸山遊郭の遊女のうちの「選ばれた人」が出張していたと言われます。 「避妊」が可能になったのは20世紀になってからのことです。それまでの間、日本女性と外人男性がさまざまな形で「交われ」ば、一定の確率で混血児が生まれるのが避けられません。一番有名な例は、長崎のオランダ商館付軍医であったシーボルトと日本女性(長崎・丸山遊郭の遊女)との間に生まれた 楠本イネ http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A5%A0%E6%9C%AC%E3%82%A4%E3%83%8D でしょう。 楠本イネは、「女郎の生んだ混血児」ではありましたが、シーボルトの弟子たちの庇護を受け、本人も優秀な人だったようで、混血児としては恵まれた人生を送り「日本最初の女医」として歴史に名を残しています。それでも、一般的な意味では「苦難に満ちた生涯」であったと言えるでしょう。 ウィキペディアの記事はかなり正確と思いますが、吉村昭の書いた伝記『ふぉん・しいほるとの娘』は確実な史料を調べて書かれた信頼の置けるものですので推薦します。 さて、楠本イネのように「恵まれた境遇」でない混血児の方が圧倒的に多かったのは想像がつくでしょう。 民俗学の泰斗である宮本常吉氏が編纂した「日本残酷物語」という叢書があります。現在は平凡社から出版されております。 この本の中で 「横浜あたりに行くと、外国人にしか見えない男が、粗末な身なりで、人力車夫や沖仲仕といった底辺労働に従事しているのを見る」 と言う記述があります。 外人を相手にする女郎が外人の子を妊娠し、堕胎に失敗して出産した子が成人した場合、男は上記のように肉体労働者になったでしょう。 女は、見栄えが良いので女郎として商品価値が高いですから遊郭の中で育てられて女郎にされたのではと思いますが、そうした記録は目にしたことがありません。 16世紀から20世紀に至るまでに、恐らく10万人単位で生まれたそうした「混血児」の男女は、結婚することも出来ず、子孫を残せずに死んでいった人が多いと思われます。女性であれば、女郎にされて梅毒に罹患し、20代で死んだ人が殆どでしょうし、男性であっても結婚することは困難だったでしょう。 ※ 戦前の「貧民」の生活実態については、 「東京の下層社会 (ちくま学芸文庫)」紀田 順一郎 (著) http://www.amazon.co.jp/%E6%9D%B1%E4%BA%AC%E3%81%AE%E4%B8%8B%E5%B1%A4%E7%A4%BE%E4%BC%9A-%E3%81%A1%E3%81%8F%E3%81%BE%E5%AD%A6%E8%8A%B8%E6%96%87%E5%BA%AB-%E7%B4%80%E7%94%B0-%E9%A0%86%E4%B8%80%E9%83%8E/dp/4480085459/ が詳しいです。 そうした「混血児」の中で幸運にも自分のDNAを後世に残せた人がいて、そのDNAがどこかで混じり、子孫に突然出てくることは可能性としてはあると思います。 質問者様は 「私自身兄弟の末っ子に一人西洋系の外国人っぽい子がいるのですが」 とのことですが、私はそのような方をお二人存じ上げています。 1) 私の親戚にそのような女性がいます。ご本人いわく 「子供の時に外人の女の子から英語で話しかけられた」 「学校でガイジンとからかわれた」 とか。実際、若い時の写真を見ると「イギリスの若い女性」で十分通用する容姿で度肝を抜かれました。また、容姿だけでなく行動パターンも「外人っぽい」点があり、非常に興味深い方です。 2) 九州の某県出身で、ギリシャ人?と思うような容姿の方を知っています。最初に会ったときは本当に驚きましたが、優秀な方で某企業の幹部になっておられます。 私の経験から来る推測が多いですが「純日本人なのに外国人顔」ではなく「記録は残っていないが、何世代か前に外人の血が混じったから外国人顔がたまに出る」のではないでしょうか。これを立証するのは「人権」の問題もあり実際は不可能ですが。
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- tomajuu
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以前TVで観たんですが、東北地方のある地域に、特異なDNAを持った人々が居て、たどって(?)いったら、アゼルバイジャンに住む人に当たったと・・・。 「秋田美人」というのは、そういう血筋が下地になってる人から生まれてくるのだと。 ロマンを感じさせます。
お礼
本当に不思議ですよね~。 私も出来るならたどってみたいです。
- bossnass
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西洋顔といわれる顔つきは、いわゆる「縄文顔」ですね。 中国やモンゴルっぽい源氏物語の絵のような顔は「弥生顔」です。 稲作の急激な国内流入は、弥生顔の人間たちによって進められました。 彼らは炭水化物をエネルギーにしているため、繁殖力が強く 組織的な農作技術のため、集団で広がっていきました。 それまでいた縄文人は狩猟がメインだったため、対抗する力に乏しく 肥沃な平野部から稲作に適しない山間部に追い払われました。 その後、両者は混血を果たしますが、日本人の顔にどちらかに属する ような遺伝子が残る結果になったわけですね。 17世紀、多くのヨーロッパ白人が南アフリカに移住しました。 移住当初は、原住民の黒人と混血していたのですが しだいに人種隔離が進み、白人と黒人の婚姻や性交渉がなくなりました。 しかし、現在でも両親が白人なのに突然黒人のような子供が生まれる 時があるそうです。 質問者さんのご兄弟にも、もしかしてそういうケースなのかも しれません。 祖父母や曾祖父母、曾曾祖父母の事を調べると、もしかしたら・・・。
お礼
今となっては残念ながら調べる術も記録も残っていなく、 事実であったかどうかは分りませんが…。 もしかしたらそういう家系だったのかもしれません…。 突然現れるっていうのがDNAの不思議ですよね~。 少しすっきりしました。ありがとうございます。
- tanuki4u
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ちょっと尾てい骨の長い人だって生まれます。 コーカソイドとモンゴロイドの共通先祖に近いカタチで肉体が表現されることくらいあるでしょう。 全人類の共通先祖でさえ、数万年前と言われているのですから。
お礼
回答ありがとうございました。
- deadline
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日本人が元々単一の民族から構成されていると考えているのでしたら、大きな間違いです。 古代の遺跡から発掘された稲のプラントオパールの分析から、縄文時代後期から『熱帯ジャポニカ種』の陸稲の栽培が、縄文時代晩期から『温帯ジャポニカ種』の水稲の栽培が行われていたことが分かっていますが、熱帯ジャポニカ種はインドネシアのジャワ島付近で栽培種化されたと思われる品種ですから、遠く東南アジアから島伝いに日本にやってきた人々がいたと考えられますし、温帯ジャポニカ種は中国の長江中・下流域で栽培種化された品種で、当時、朝鮮半島では稲作が行われていなかったことから、中国の長江河口付近から船で直接日本に渡ってきた人々がいるとも考えられます。 我々現代人が考えているよりも、古代の人々は結構遠くまで移動していたと考えられ、紀元前後の中国にはシルクロードを通ってローマとの交通があったようですし、中国で『匈奴』と呼ばれた北方の騎馬民族は中央アジア付近から東アジアまで広い範囲に分布・移動していたようですから、東ヨーロッパに住んでいた白人が、騎馬民族とともに東アジアまで移動、朝鮮半島経由で日本に来ていたとも考えられます。 日本という国は、ユーラシア大陸各地の戦乱や天災を逃れた色々な民族が、逃れ逃れてたどり着いた安住の地で、様々な遺伝子が交じり合って出来上がったのが現在の日本人なのではないかと思います。まぁ、あくまで可能性の話ですが・・・。
お礼
なるほど…。 遠い祖先の影響を受けているのでしょうか。 同じ日本人でも色んな血が流れているんですね。 長年の謎が解けました。ありがとうございます。
お礼
とても詳しい説明ありがとうございます。 昔でも混血の人々は様々な形で存在していたのですね。 私の家系は実際どうだったか記録が無く分らないのですが、 遠い遠い異国の先祖の血が自分に流れているかもしれないのだと考えると、 なんにせよ感慨深いものがありますね。