- ベストアンサー
日常生活における葛藤についての質問。
普段の学生生活において疑問に思うことがあったので、アンケート及び意見をお願いします。 疑問に思ったこととは、講義のノートを貸す、レポートを見せるなどの行為における感情の揺れについてです。 このような行為は学生生活において普通に行われていることであり、特に思うことはありません(すべきことではないとは思いますが)。 私が不満を覚えるのは普段まじめに講義を受けていない、レポートをしてこない人へ貸すことです。 なぜ努力・苦労をしていないひとに、楽をさせなければいけないのかといつも考えてしまいます。 もちろん自分の努力はむだにはならないし、「情けは人のためならず」ともいいますが、どうしても気持ちの整理がつきません。 普段から努力している人に対しては特に何も思わないのですが。 このような場合(学生生活以外でも同じようななことがあると思います。)、みなさんはどのように考え、また行動しますか。 お願いします。
- みんなの回答 (3)
- 専門家の回答
質問者が選んだベストアンサー
- ベストアンサー
貴方と同じ様に感じますよ。 貸さないと角が立つので貸しますが、ひとこと、ふたことは 付け加えます。 「今回だけね」くらいは言っても良いでしょう。 気持ちを溜めてしまってムリに貸してしまうと 相手のことが嫌いになったりしますので 良好な関係を保つためにも少し発散させることは必要だと思います。
その他の回答 (2)
- totorooba
- ベストアンサー率29% (35/118)
むか~し昔、私はノートを借りていた学生でした。 でも他人のノートは分かりにくくて読みにくい。 その場しのぎでなんとか単位をとって、当時はラッキーと思っていました。 ところが社会に出てみると勉強したはずの事がまったく身についていなくて情けない思いを何度もしました。 大学は自分の頭を鍛えにいく所で、卒業証書という紙切れをもらいにいく所じゃないとつくづく思います。 一見役にたたない講義でも後から考えると違うものの見方を教えてくれていたりします。 人に見せてもわかりやすいノートを作るのは相当理解できていないと無理でしょう。 ノートを借りたいと思わせるあなたは相当しっかり勉強しているのでしょう。 その努力はきっと後で花が開き実を結ぶはず。 楽した人は後で苦労します。ホント!
お礼
返答ありがとうございます。 私も努力したものは無駄にはならないってことですよね。 参考になりました。
- okwave512
- ベストアンサー率12% (10/83)
僕は普段、真面目に授業でノートをとっている人に試験前見せてもらってる側の人間です。 頼りすぎていたが為に、困ったこともありました。 人に頼りすぎていると、いざという時に自分で判断出来ないため、最終的には自分の首を絞めることになります。 逆に、僕が真面目にノートをとっていた時ですが、とある先輩に貸してくれと頼まれました。「勘弁してもらえます?」とはっきり断ってしまいました。
お礼
返答ありがとうございます。 私も努力したものは将来何らかの役に立つと思ってやってきましたが、どうしても努力しない人に貸すのは抵抗を感じます。 実際には貸しても貸さなくても自分にとっては何の不利益にもならないとは理解しているのですが、気持ちの整理が上手くつかないんですよね。 何度も続くようであればはっきりと断ろうと思います。