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教会行かなくてもキリスト教徒?

puregrapeの回答

  • puregrape
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回答No.25

今朝読んだのが偶然にヘブライ8章だったのでbrageloneさんに書き上げます。                                                                                                                                 聖書は人を3種類に区別します。ユダヤ人、教会、異邦人です「ローマ1:16」。                                                                                        聖書はいつもユダヤ人を「一つの家」として扱います。そして、ユダヤ人と異邦人の中から救われた人々の集まりを教会として扱います。旧約時代に神様は3番目の空におられたけれども、今は救われた人の内におられます。ですから、救われた人は神様がおられる聖殿であります。「貴方達が神様の聖殿である事と神様の霊が貴方達の内に留まる事を知らないのですか?コリント前3:16」。聖書は、その人の内に聖霊様が居ない人は神様の人では無いとはっきりします「ローマ8:9」。                                                                                                  イスラエルは長い間、彼らを救ってくれる王様が来られる事を待ちながら過ごしていました。しかし、いざ王様であるイエスキリストが来られると、彼を王様として受け入れません。受け入れるどころか、返って殺してしまいます。神様は、これを「天国=王国」は暴力によって奪取されたと言われます「マタイ11:12」。ですから、マタイ書はイエスキリストを王様として受け入れなかったイスラエルの滅亡と彼らが受けるべき苦難、そして独立、7年の艱難を通じて1000年王国が成立する事が予言されてあります。神様の予言の通りにイスラエルは滅亡し、予言の通りに約1900年ぶりに独立します。そして、この世の中が悪に満ちた時に裁かれ、7年の大艱難に陥ります「ヨハネ啓示録4章~19章」。                                                                                         今の時代はイエスキリストの血が自分の罪を贖ってくれた事を心で信じる人は救われるけれども、7年の大艱難にはイエスキリストを信じながら、律法を守りながら、666の数字と呼ばれる獣の表を受けなかった144000人だけがイスラエル人の中から救われ1000年王国に入れます「啓示録20:4」。いつもイスラエル人は「家」と呼ばれ、一つの家族として扱われて来ました。                                                                                      救われた教会がイエスキリストの体として一人の[純潔の乙女=a chaste virgin]だと呼ばれるのと同じです「コリント後11:2」。                                                                                           しかし、啓示録14:4は乙女達と呼んで144000人が信心だけではなく、信心と行為によって求められた艱難聖徒である事を表します。今まで団体として神様に導かれて来た彼らに団体の概念が無くなり、144000人だけが救われるので乙女達と呼ぶのです。このように、聖書は文字一つも正確に使っておられます。そして、マタイ書で暴力によって奪われて延期された王国が成立するのです。                                                                                                                 その時は、誰でも分かるようにイエスキリストがエルサレムの聖殿に座っていらっしゃいます。ですから、その時は「主を知れ」とイエスキリストを述べ伝える人は呪われるのです「ゼカリヤ書13:3、ヘブライ8:11、エレミヤ31:34」。                                                                                                             testamentは血によって結ばれた神様の約束です。旧約は羊や雄牛の血によって、新約はイエスキリストの血によって結ばれた神様の口約束です。ですから、言約、或いは聖約と呼ばなければなりません。契約と呼ぶ人がほぼ100%ですけれども、契約は同等な立場で結ばれた取引を意味するからます。イスラエルのみに結ばれた神様の言約はcovenantです「ヘブライ8:11、エレミヤ31:34」。                                                                                                      ヘブライ書とヤコブ書はイスラエル人に書かれた手紙です「ヘブライ1:1、ヤコブ1:1」。ですから、ヘブライ8:7~13、エレミヤ31:31~37は1000年王国の福音なのです。                                                                                                           ヨハネ4:2で言う浸礼は待ちに待ったイエスキリストがイスラエルの王様として来られたので、王様として受け入れる為の清潔儀式です。今まで犯した罪を悔い改めさせ「マタイ3:1~3」、イエスキリストが来られたとイスラエルに知らせる意味を持つ浸礼なのです「ヨハネ1:31」。                                                                                             ローマ書6:1~14でいうのは十字架の浸礼です。                                                                                                          救われた人はイエスキリストの死なれた体の中に浸礼された人です。死んだ人は罪を犯す事が出来ません。酒も飲めません。喧嘩もできません。嘘もつけません。聖書を自分なりに解釈できません。自分の考えによる聖書解釈は夢にも思えません。人を憎む事もできません。「このようにあなた達も貴方達自身を本当に罪には死んだ者であり、イエスキリスト私達の主によって神様には生きている者だと思いなさい。ローマ6:11」。                                                                                                                     救われた人はイエスキリストと供に十字架で処刑された人、即ち十字架によって主と供に死の浸礼を受けた事を述べているのがローマ6章です。                                                                                                                              ちなみに、私は人を非難しません。間違った事を指摘するだけです。知りながら黙っている人を聖書は吠える事が出来ない犬だと言われます。イザヤ56:10」。

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