局部磨製石器が、何故旧石器なのか?
石器というものは「旧石器から新石器へと進歩した」と言われており、その新石器というのは、「磨製加工が施されたもの」となっています。
とすると局部であっても、とにかく磨製加工がされたものは、新石器というべきなのに、岩宿遺跡の局部磨製石器は旧石器といわれています。
これでは素人の私には何のことだかわけが解らなくなっているのですが、この考古学会の不思議な言葉使いについて誰か説明してもらえないでしょうか?
質問の背景
現生人類は、約20万年前にアフリカで発生し、それが約4万年前に世界中に散らばって、その地で独自に発展して行った、とされています。
日本では約3万年前の局部磨製石器が全国で多数発見されています。
新石器が使われ始めたのは、世界の他の地域では、約1万年前と言われていますので、3万年前の日本は石器技術では世界の最先端を走っていた、と言えます。
そしてその遺跡からは、同時に黒曜石が発見されることが多く、この黒曜石というものは日本の一部(例;和田峠)でしか産出されないものですので、遠方交易の可能性が伺え、これは当時の日本の文明が、世界のレベルから見て、高い水準にあったことを示しています。
日本を愛する私としては、こういう考古学上の事実をどんどん世界に向けて発信してほしいと思うのですが、それなのにその局部磨製石器を「旧石器」などと言われては、その先進性が台無しになってしまいます。
日本の考古学者はどうしてこういう日本の歴史を誇りに思わないのか?不思議に思います。
また新石器(磨製石器)が地球上のどの地域で、それぞれ何時ごろ使われるようになったか?ということが確定していけば、人類共通の世界史を作ることができるに違いないと思うのですが、そういう動きは無いのでしょうか?