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学校で教わることについて

最近話題の、沖縄での自決はどうたらこうたら」とよく耳にしますが 僕は高校生です あれ以外にも、教育ってそうやって 隠された部分や時にはウソとか、あると思うんですけど どうなんでしょうか? また 僕はあんまり信じてはいませんが政府陰謀論とか の文書を読むと、教育って怖いなとかつくづく思います 学生や、学生時代に 不安だと思っていた人って結構いるんでしょうか? 僕は、最近、学校で教わった事を、 怪しいと思ったら疑いをかけて 調べたりしてしまいます 笑 少し余談をくださると 楽しいし、うれしいです よろしくお願いします

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  • uma79
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回答No.5

文部科学省は、日本の行政機関であり、時の権力者にとって都合の良いことを教えます。 どの国も体制を崩されちゃ困りますので、保守主義傾向です。 資本主義も自由などメリットもありますが、弱肉強食などデメリットも あります。 最低保障(生活保護)も、働いた分支給金が減ったり(働き損)、 ワーキングプアーより収入多くていいのかなど、矛盾は一杯あります。 教育は長期の政治だという面もあります。 日本は、たくさんの漢字、年表など記憶力ばかり強化してきて、 思考力・発言力は、つぶしてきたといって良いでしょう。 産業が優秀な自己主張のない人材を要求してきたし、自民党以外が 増えるのを議会、財界が嫌ったからです。 今は、パソコンが発達して記憶力は必要なく、ロボットも発達して職人も要らなくなり、 国が行き詰まっています。 若い皆さんは、学校で教わる以外に一芸に秀でていないと生活が困窮すると心得て下さい。 資格なら、薬剤師・看護士・1級建築士・上級シスアド・・・ パソ技能なら、エクセルのマクロ作成(業務の自動実行)や3Dゲームやホームページの自作・・・、 時代は、貴方のような自己主張の出来る人を必要としています。 がんばってください。

その他の回答 (9)

  • showado
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回答No.10

歴史、中でも戦争についての記述は、政府がもっとも介入しがちです。日本の歴史は、特に近代史はあまりくわしく教えられていません。歴史の教科書では起こった事実だけが教えられがちです。 私が学生だったのは40年以上前ですが、「なぜ戦争が起きることになったのか?」を教えてほしかったと今も思います。 「人々はなぜそうしたのか?」それを考えることこそ勉強だと思います。それには事実をなるべく正確に知る必要があるので、怪しいと思ったら疑うのはいいことです。 最近は、ネットなどディテールを知る可能性が増えてよくなりました。 ぜひ、よりよく知って、真実を見極める力をつけてください。

  • tosa-bash
  • ベストアンサー率48% (117/239)
回答No.9

#7です。 コメントありがとうございました。 自分にもありがちな行動なのに、他の人には厳しく出てしまいました。あなたのことを指摘する資格はありませんね。いい年をして恥ずかしく思います。 私の方こそ、ごめんなさい。「お互いに、こんなところに気をつけようね」という言葉を選べば良かったと反省しています。 あなたの対応は立派です。 これからの活躍を期待しています。頑張ってください。

  • googahaku
  • ベストアンサー率17% (43/242)
回答No.8

「群盲像を撫でる」ということわざを知っていますが。 物事をある一面だけから捉えていたのでは、判断を誤るとの戒めです。  限られた時間や空間の中だけでは何が真実か判断できないこともあります。「沖縄の集団自決問題」も、未だに白黒つけがたい問題のひとつでしょう。もはや白黒つけられないのかもしれません。このような問題、多面的な知識は保有しても、あわてて結論を出すことはなく、「どちらでもいい」くらいに達観していることが大切なのではないでしょうか。  一時期はやった「弁証法」(詳しいわけではありません)なんてのもあって、世の中には必ず矛盾するものが並存し、お互いが対立する、その対立の中から合理的なものが生まれて来るが、そのときにはまた新しい矛盾するものが生じて新しい対立を生じて、せめぎあいながら発展していく・・・ この対立は正しいとか、悪とかそんな次元で起こるものではありません。 要するに「絶対真」とか「不変の真理」などないという考え方です。  日々報道される事件や出来事をこのような観点から捉えていけば、また違ったものの見方が出来るのではないでしょうか。

  • tosa-bash
  • ベストアンサー率48% (117/239)
回答No.7

>教育ってそうやって、隠された部分や時にはウソとか、あると思うんですけど、どうなんでしょうか? 教育に限らず情報を発信する時には、真実から事実を切り取り、取捨選択して発信します。 敢えて隠す・嘘をいう場合もあるでしょうし、取捨選択したために「そう見える」場合もあるでしょうね。 >政府陰謀論とかの文書を読むと、教育って怖いなとかつくづく思います 本当に怖いと思います。 でも、どこの国でも、どんな政府でも、その国の教育は「その国の維持・発展」を意図して行われているはずです。自国の正当性は否定しないでしょうし、原則として「してはいけない」とも思います。「陰謀」という言葉は「当たりが強く」て「毒がある」のですが、そんな意味合いがあっても、本当は誰も責めることはできないように思います。 >僕は、最近、学校で教わった事を、怪しいと思ったら疑いをかけて調べたりしてしまいます 笑 これはいいと思いますが、次の部分には大きな不満(というか不快感)を感じます。 >沖縄での自決はどうたらこうたら ずっと受け継がれてきた大切な「命」の問題ですが、あなたには関係のないことでしょうね。 ご自身の考え方を含めて、ぜひ「疑いをかけて調べたり」してみてください。 

asskickdo
質問者

お礼

>次の部分には大きな不満(というか不快感)を感じます。 >沖縄での自決はどうたらこうたら ごめんなさい 本当にすいません 「どうたらこうたら」 どうやら言葉を間違って使ってしまったようです 誤解を招いてしまいました 僕はそんな軽々しい考えをしていません 例に挙げた理由は「やっべぇなコレは・・」 とおもわず口に出したから セレクトしたほどです。 つまむ程度でしたが、質問前に調べておきました 本当に申し訳ないと思っています

  • jamiru
  • ベストアンサー率5% (170/3044)
回答No.6

確かに怖いことはあります。 教科書とは基本的に馬鹿でも分かる仕様なのです。 何十万とも言われるその国のその年齢層が読めるようにしなければならない。 年齢や知識、思考能力が増えればおのずと違う教科書が必要でしょう。 何時までも小学校の教科書止まりではおかないという貴方の姿勢は正しい。

  • nori1969
  • ベストアンサー率18% (2/11)
回答No.4

その姿勢は素晴らしいですね。 世の中に「絶対的に正しいこと」というのはありません。 ただ、その中にも比較的単純な『数学の公式』などがあり、これなどは基本的なルールが変わらない限り「ほぼ絶対的に正しい」と言えるでしょう。 それ以外の物事は多分に相対的であり、時代や環境によって変遷してゆくものです。 例を挙げれば『国語の文法』はあくまでもこの時点での文法ですので10年後には変わっているかもしれないですし、『生物の生態』などもこの時点で判明しているものを載せているの過ぎません。(進化論の登場などは典型例です) 特に気をつけねばならないのが『歴史』です。 歴史には『再現性』がありません。つまり、同じことを実際に実験してみることができないのです。 そのため、『歴史』は間接的な『解釈』によって成り立っています。 この『解釈』が全く客観的であるのならば、誰にとっての歴史も1つでしょうが、実際には『解釈』というのは主観を多分に含んでいます。 研究者は自説を補強するための証拠を集めようとします。 これは大学教授であっても同様で(私は東京大学において考古学を専攻してしましたが)、意識的・無意識的に取捨選択を行います。 その結果として「正しい」とされる説が生まれます。 (ネット上で声高に叫んでいる「右翼」「左翼」は言わずもがなです。彼らは全く主観的な自説補強のために情報を収集し解釈し歪めます。) つまり、教科書に載っている事柄が「絶対的に正しい」のではなく、「正しい」とされる研究者の説が採用される場合が多いということです。 また、気をつけねばならないのは、だからと言って他の書物に傾倒しすぎることです。 物事を疑うという姿勢は学問を究める上でとても重要なものなのですが、「一方を疑うことでもう一方を信用する」状況に陥らないように気をつける必要があります。 「自分自身にとって正しいこと」と「一般的に正しいとされていること」、「個々の人が何を正しいと考えているのか」という3つに分けて考えると、今後に役立つかもしれません。 がんばってください。

asskickdo
質問者

お礼

「自分自身にとって正しいこと」と「一般的に正しいとされていること」、「個々の人が何を正しいと考えているのか」という3つに分けて考えると、今後に役立つかもしれません。 とても役に立ちます!うれしいです

  • phj
  • ベストアンサー率52% (2344/4489)
回答No.3

原則的に教育(教科書)には嘘はありません。きちんと調べて、事実だと考えられることだけ載っています。 しかしだからと言って、問題が無いわけではありません。 もちろんウソはありませんが、都合の悪いことまで書いてあるとは限らないからです。 第二次大戦についていえば、米国の教科書には原爆を投下したことは書いてありますが、その後の広島・長崎の惨状や原爆後遺症のことは書いてありません。 中国の教科書は、中国共産党が日本に勝ったことまでは書いてありますが、その後日本がどのように戦後補償したかは書いてありません。 そして、どこの国の教科書にも、戦争で民間人を直接殺すことは国際法の逸脱行為であるとは書いていないのです。それはどこの国も行なったことだからです。 自分で調べることはよいことです。ネットを使えばすぐに調べられます。しかしネット上に書いてあることも、教科書と同様に、書いた誰かが書きたかったことしか書かれていないということも覚えて置いてください。

asskickdo
質問者

お礼

ありがとうございます 4行目からは、とても参考になりました 確かに、「書いていない」は多いと思います >原則的に教育(教科書)には嘘はありません。きちんと調べて、事実だと考えられることだけ載っています。 頭の中で構築し、なにか矛盾的な事があると、思考の結果 ”原則外”になってしまうことがたまにあり、 家で読んだ”陰謀論”が頭をよぎり、ひどいときには ”闇の権力者”の事 も思い出してしまう時さえあります 「それは知識が浅いから」でしょうけど 考えすぎだとはわかってはいるんですが・・・汗

回答No.2

1つの命題があがると,さまざまな人がひとそれぞれ多様な切り口でコミット(関与)します。それぞれの”解”は、ほぼ確か~論外、、までの間に位置付けされるだけで、1つだけが○である場合など現実にはありえないんです(入試では日常的に1つだけが○のようですが(笑))。 それはこの教えて!goo を眺めていれば実感できるでしょう? 教科書というのは、多数の”解”の中から、もっともオーソドックス(と評されている)な解を1つか2つ挙げているだけですので、質問者さんのような指摘は当然あるわけです。。 >隠された部分や時にはウソとか、あると思うんですけど ですが、こんなナイーブな言葉で”言う”ほどのことじゃありませんよ。 図書館あたりに行けば、教科書に記載されていることに対する異論、反論、批評がごっそり見つかるわけですから、教科書は”隠している”わけでも、”ウソ”をつきたかったわけでもない、と思います(強いて言えば、タダで配るものですから紙面が許さなかったのですね。そもそも学校の教科書というのはR25などのフリーペーパーと大差ありません(笑))。 >僕は、最近、学校で教わった事を、 >怪しいと思ったら疑いをかけて >調べたりしてしまいます 笑 これこそ、学校で学ぶべき大切なコトの1つだと思います。そう思えば、辞書を引け、だの本を読めだのヤイヤイ言われることが(自分で)興味をもち、積極的に関わる(調べる)ことの基礎訓練であることが実感できます。

asskickdo
質問者

お礼

ありがとうございます 参考になりました >多数の”解”の中から、もっともオーソドックス(と評されている)な解を1つか2つ挙げているだけ 僕はこの「オーソドックス」を後に”決定”してしまう所に疑問を感じてしまいます たとえば、宇宙が137億年前にできたと昨日教わりましたが、それは決定したわけではない(とおもってます笑)ので、様々な議論の結果を重ねて考えて、 「○○億年~○○億年の間」とか 「137億年が今のところ○○な理由で近・い・か・も・し・れ・な・い」 という風に教えればいいじゃん!とかんじてしまい、 しまいには得意の 怪しいので ”ひょっとして、地球が丸いなんてのも・・・”(実際そこまでは行きませんよ笑) っと考えてしまいます。 ↑わかりづらくてすいません

  • michina
  • ベストアンサー率37% (68/179)
回答No.1

asskickdoさんは高校生なんですね。 高校生がこうして直接受験と関係ない事にも関心を持って調べたりする事は、とても良い事だと思います。 沖縄の集団自決の問題は、シロートや専門家などがいろいろ入り交じってとても複雑になってしまっています。過去の事で覚えている人も少なくなっている上に、戦争時の書類などは意図的に廃棄された経緯もあります。さらに左右両方の陣営からも政治的に利用されたりしているため、一方の意見だけを聞いては事の真相を見誤る恐れがあります。 現在大きな争点になっているのは「集団自決への軍命令があったかなかったか」という点です。 そこで、主に政治的に左よりの人たちや現地の人々が主張している事は、 「軍からの自決が命令があった。戦闘が始まる前から『生きて虜囚の辱めを受けるなかれ』と住民は政府や軍から徹底的にたたき込まれていた。また多くの軍からの命令は自治体を通して住民に伝えられていて、区長さんを通しての命令で自決したところもあった。さらに直接軍人から自決するように言われ手榴弾を渡された人たちもいた。」といったものです。 それに対して、主に政治的に右よりの人たちの言い分は 「軍からの命令はなかった。『生きて虜囚の辱めを受けるなかれ』というのは、当時の軍人向けのものであって、住民に対して命令するものではなかった。また、一人の兵隊が住民に自決を勧めたとしても、あれは軍としての命令だったのではなく、その兵士個人的なものであったに過ぎない。日本軍としては命令してないし、もちろん命令したという証拠もない。住民が集団自決したのは、米軍の捕虜になればひどい目にあわされるという恐怖感なども手伝ってパニック状態に陥り自然発生的に行われた可能性も高い。軍命令説を出す人たちは、遺族年金をもらいたいために嘘をついているのだ。」といったものです。 私が直接左右双方からの言い分を聞いたりした上で思う事ですが、同じ事実でも、双方の受け取り方に大きな違いがあるという事です。 例えば、渡嘉敷島で集団自決が始まったのは、「自決命令が出たぞ」と区長さんが「天皇陛下バンザイ」といった言葉が引き金になったとの事です。それまで住民達は軍の命令は区長さんを通して伝えられていたので、軍命令として従ったといういう言い分があります。 それに対して、その時隊長は命令を出してなかった。あれは区長さんの独断でやった事だ。当時の隊長も「早まった事をしたな」と言っていた、という話もあります。

asskickdo
質問者

お礼

>遺族年金をもらいたいために嘘をついている これはちょっと心地の悪い話ですね わざわざ長い文ありがとうございます 参考になりました

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