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信長のイメージではないエピソード
信長について、短気や前時代的なものを嫌うといった性格とは異なるエピソードなどはありますか?
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- gakihashine
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エピソードではないですが、「短気」という事について少し申し上げたい。 「信長は短気」という人物評は、宣教師のルイス・フロイスのものですが、彼は同じページに「忍耐力に富む」「戦運が自身に背いても心気闊達」と書いています。 また、「激昂はするが平素はそうでもない」とも書いています。 何が言いたいかといえば、この「短気」というのは「決断が早すぎる(常人からすれば)」ということであって、「怒りっぽい」という意味ではないのではないか、ということです。 あとは神社や寺に参拝しているという記録もありますが、これは前述のルイス・フロイスの記録にもある通り、信長が「民衆を動揺させないためにあえてそうしている」んだと思います。 でなければ仏蔵の首になわをつけて引きずってきて、階段の材料にする、なんてことはしないでしょう。 現代でさえ、こんな事をやったら白い目で見られそうですし。
「仏の顔も3度まで」という諺がありますけど、信長の場合は身内の裏切りは1回までは許す、他人は2回までは許すという傾向があり、裏切り者の子孫でもかまわず取り立てるという所があります。 イメージ的には短気で、1度でも裏切った者は許さないというイメージがありますけど、身内では弟の信行は最初の反乱は許され、2度目に殺されていますし、松永秀久は2回目も許され3回目に自害、もちろん例外もあって、岩村城の叔母さんは、城を武田に明け渡したばかりか、敵将と結婚までしましたから、1回目で殺されています。 尚、信長が癇癖なのは、虫歯持ちという話もあって、歯が痛いとイライラして八つ当たりするとか。
- eroero1919
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秀吉がだいぶ出世した頃、金に余裕ができたせいか女遊びが激しいことに妻のねねが怒りまた悲しんでいるという話を聞いた信長が、ねね宛てに「お前ほどのできた女房の良さがわからん秀吉も困ったものだ」と慰める手紙を書いたというエピソードがあります。
- fumkum
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>信長について、短気や前時代的なものを嫌うといった性格とは異なるエピソードなどはありますか? 「信長公記」の首巻に「おどり御張行の事」の中で、津島ノ堀田道空ノ庭にて「上総介殿は天人の御仕立に御成り候で、小鼓を遊ばし、女おどりをなされ候。」とあり、信長が天人の格好をして、女おどりをしたとの記述があります。 この話しには後日談がついていて、踊りのお返しに、村の長老が清洲に行って踊ったところ、信長は自分のところに呼んで、「ひょうきんである」とか「似合っていた」とか一々声をかけた上に、団扇であおいでやったり、「お茶を飲め」と言って出してくれたりしたとのエピソードがあります。 参考まで。