• ベストアンサー

教えてください

キリスト教思想は、いわゆる宗教的信仰以外の面で、現代の我々の考え方にどのような影響を及ぼしているか?、みなさんの意見を教えてください。

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • tyr134
  • ベストアンサー率51% (851/1656)
回答No.2

良い質問だと思います。 私たちは、知らず知らずのウチに「キリスト教の思想」に影響されているんですよね。 1)時間(歴史)は一本線であるという考え。 「歴史とは一本道であり、その線が現在に近づくにつれて文明は進歩している」と考える人は多いかと思います。 しかし、この考えのルーツをたどるとキリスト教の思想にぶち当たります。 「歴史とは一本道(時間は直線)」というのは、キリスト教の「創造と終末」という思想が背景にあります。 古代ギリシアの歴史観は「円」であり、「歴史は繰り返す」というモノで「終末に向かう直線」としては、捉えられていませんでした。 その後、キリスト教の「世界は神に創造されたモノで、いずれ世界の終末が来る(その時に救って貰うために信仰する)」という思想が生まれ、「歴史とは直線である」という考えが一般的となりました。 そして、「進化論」が加えられ「歴史は一直線であり、人は進歩する」という考えが生まれました。 マルクスに代表される「唯物史観」も、キリスト教がなければ生まれなかった思想と言えます。 2)自然科学への影響 同じように、自然科学の分野でもキリスト教の思想というか影響が沢山あります。 そもそも、近世以降(ルネサンス以降)に科学が発達するのも、キリスト教の信仰的動機からです。 ルネサンスにおいて、古代ギリシア・ローマやアラブ・イスラム圏の思想や芸術が流入し意識され始めました。 その思想が、教会を中心に流布された「世界観」とはあまりにも違う部分があることに気付きます。 そして「神が作った世界を正しく理解したい」という「気運」が高まっていきました。(教会(ローマ教皇)への反発もありますが) その結果が、「科学革命」に繋がり今に至ります。 3)人権思想 人権思想は、今では重要な思想と考えられています。 しかし、元をたどるとこれまた「キリスト教の思想」から生まれたことが分かる。 この思想が生まれた背景には、キリスト教の「王権神授説」との関係です。 これは、「人を支配する王権は、神に授けられた」という思想でした。 その「権力」に対抗するためには、キリスト教に基づき、この説を覆す必要がありました。 そこで生まれたのが「自然権」という思想。 ここから、「人には王権の前に、神から授けられた権利がある。故に、王権といえどもこの権利を侵すことは罪である」という思想がうまれました。 それが、今日の「人権思想」に繋がります。 、、、と、こんな感じでしょうか。

全文を見る
すると、全ての回答が全文表示されます。

その他の回答 (3)

  • katyan1234
  • ベストアンサー率18% (347/1849)
回答No.4

科学その他契約と言う考え方、助け合い、ボランテイア、本来の宗教というのは哲学の中だけではなくすべてに影響します。

全文を見る
すると、全ての回答が全文表示されます。
  • taco8ch
  • ベストアンサー率7% (11/146)
回答No.3

日曜はなんとなく休日のような気がする。

全文を見る
すると、全ての回答が全文表示されます。
回答No.1

西洋がキリスト教の上に乗っかっていて、 それを全世界に影響を与えているので、 例を上げればきりがありませんが、 個人的には最近、 クリスマスというイベントで仕事が忙しかった。 恋人や家族が町に出でて経済効果をもたらす。 商業的なビジネスチャンスの期間を生んだ。

全文を見る
すると、全ての回答が全文表示されます。

関連するQ&A

  • 【古代エジプトのエジプト人は宗教は何を信仰していた

    【古代エジプトのエジプト人は宗教は何を信仰していたのですか?】キリスト教、イスラム教でもない独自の宗教ですか? それはなぜ現代では消えてしまったのでしょうか?

  • キリスト・イスラム・仏…あなたの宗教は何ですか?

    世界各国にはいろいろな宗教が存在しますが、キリスト教・イスラム教・仏教が世界三大宗教といわれています。 イ:あなたの家は、何教ですか? ロ:イで答えた宗教以外で、好きな・信仰してみたい宗教はありますか? ハ:現在信仰している宗教と、出生時に信仰していた宗教が異なる場合、変えた理由や変更は成功だったかどうかも聞かせてください。 この意見はキリスト教・イスラム教・仏教以外の教徒の方も大歓迎です。

  • 既成宗教ほどアホらしいものはありません

      人間のあらゆる行いの中にあって、既成宗教に取り憑かれることほど愚かな事はありますまい。 まず宗教活動とは信仰、つまり完全に個人的な行いであるべきでしょう。 信仰は宗教の上に位置するのです。 ところが現実にはいつの間にかこれが集団行事となってしまった。 キリスト教も、イスラム教も、ヒンズー教も、仏教も、密教も・・・、およそ世界中のあらゆる既成宗教がことごとく全て集団行事となってしまったのです。 そして日本において仏教は完全に葬式行事化してしまった。 洋の東西を問わずなぜ現代宗教はかくもことごとく腐敗してしまったのでしょうか。 その理由はひとえに神の捉え方を完全に間違えたからに他なりません。 現代の既成宗教において神とは単に天国や極楽の管理人に他なりません。 だからキリスト教も、イスラム教もただ天国に行く事しか教えないのです。 天国に行くにはどーすれば良いとか、天国に行けない者は地獄に落ちるとか教えるよーになったのです。 そこには如何なる思想も哲学も無く、ここから宗教は腐敗し奇跡を説いたりするパフォーマンスが横行するよーになり、集団行事を始めるよーになったのです。 既成宗教ほどアホらしいものは無い。 皆もこれについては何の疑いも有りますまい。  

  • 宗教の違い。

    彼女の家庭がキリスト教で、私は無信仰です。 ですが、私の母が信仰しており、私も10年以上学んでいました。 私は3歳くらいから、宗教の違いで父と叔母と母の激しい喧嘩を見てきて宗教に対し良いイメージがありません。私自身も宗教の考え方が定着してしまうのは嫌ですし、信じられませんでした。 そのような私と、神を一番としている彼女の将来があるのか、不安です。キリスト教は最も理解でき、良い面も沢山あります。 しかし、キリスト教の思想が理解できず(神がどうのという次元の話)、そのような話になると激しい頭痛や大きな不安に襲われ、軽く混乱するような、欝なような感覚になります。 私にとって信仰とは、もっとも身をすり減らす行為です。(それでも信仰出来るのかは解りません)身をすり減らしてまで相手に依存するのは愛ではないと思うので、信仰はおそらくできません。その視野を変えようとしたり、考え方で葛藤した時もありました。 彼女とは居るだけでとても幸せです。出来ることならずっと一緒にいたいです。でも未来が閉ざされかけている状態で、彼女と一緒にいる事は甘えかも知れない と思ってきています。 私の方が気持ちは強く、彼女は「好きという事がなんなのか解らないけどもう好きだと思う」という、核心に近い状態のようです。 私が甘えている間に彼女の気持ちが大きくなり、辛い思いをさせるくらいなら、私から今、一生引きずろうが別れを切り出した方が、彼女のためかと思うと涙がとまりません。 彼女と居る時はあまり考えませんが、それ以外は殆ど欝に近い状態で、このままでは私もまともに生活できません。 教会には足を運んだりしますが、強制的になんらかの決断をしなければならない時かもしれないと思います。 どう解決したら良いのか解らず、アドバイスを頂きたいです。よろしくお願いいたします。

  • 罰が当たりますか?

    私はとある宗教の信者です。私の父方の先祖が信仰してきた宗教です。 信心深い祖父母の影響もあり、私も幼いころから親しんできました。 私もその教えを大切に思っています。 ですが、神社仏閣へ行くことすら悪いような気がして… キリスト教を信仰する友達の勧めで教会へ行った時も後ろめたさがありました。 宗教の自由が日本では保障されています。 ありがたいことだと思います。 無宗教の方・科学を信じるかたなど沢山の考えがあります。 その中で、自分の宗教に属しながらも他宗教の良い面を学んだり、神社・仏閣へ行くことをお許し下さるでしょうか? 私にとっては大切なものなので^^; 近年のパワースポットブーム等も興味があります。それぞれ良い面があるので、心をこめて大切に思います。 宜しくお願いします。

  • 宗教(特に信仰宗教)と聞くとどんなイメージをもたれますか?。

    私はとくに特定の宗教を信仰している者ではありません。 巷では、色々な宗教が氾乱しています。そこで特定の宗教を信仰している方 や無宗教の方からの「宗教(信仰宗教)」に対するイメージとか、 印象とかをお聞きしたいです。宗教と言っても様々な思想がありますから お聞きする方の立場や価値観でご意見は様々だと思います。 難しい質問だとは思いますが、よろしくお願い致しますm(__)m。

  • 既成宗教なんぞクソ喰らえ

      奇跡を説くキリスト教はただのオカルトである。 ジハードとテロに明け暮れるイスラムはもはや救いようがない。 ヒンズーに至ってはレイプ事件ばかり起こしており、もはや畜生と変わりはない。 かろうじて無を説く仏教だけが信仰としての体裁を保っているが、無を説くばかりでは思想的に弱すぎる。 結局のところ既成宗教なんぞどれもクソ喰らえである。 やはり宗教とは自らの思想と哲学に基づき自分で築きあげてこそ意味があるのではなかろうか。    

  • 無宗教の私ですが。。。

    私は今まで様々な宗教やその思想を学んできて、一時期クリスチャンになろうと思ったこともありますが、結局無宗教のままでいようと現在にいたっています。そこで今疑問に思ってるんですけど、何故人は特定の宗教に入り、信仰するのでしょうか??無宗教から何らかの宗教に入った方がいましたら、そのきっかけを教えてくれませんか??ちなみに私は小学生くらいの頃、学校の前でキリスト教の宣教師??みないな人達が紙芝居でキリストの一生について語っていたのを見て、すごい感動と衝撃を受けたのがきっかけでした。でもしばらくして、神を信じても信じなくても、人生には多くの苦難があるのだから同じことだという感じで冷めていきました。

  • 宗教の掛け持ち

    複数の宗教を同時に信仰することは、できるのでしょうか? 例えば キリスト教と仏教みたいな 同時に複数信仰を持ってる方 いますか? やってますか? あと 日本人は無節操と言うか無宗教というか神様と仏様が混合して お正月は神社で初詣 キリスト系のハロウィンやクリスマス 葬式は仏教 なんか何でもありみたいな気がします 皆さんは信仰持ってますか? それはなんですか?

  • 哲学にとって最も重要な事はその自己完結性である

      宗教であれ信仰であれ、思想であれ、哲学であれ、これらを成立させる最も重要な要件は何かと考えてみた。 そしてこれらのものを成立させる最も重要な要件は自己完結しているかどうかであると考えた。 どれほどの綺麗事を掲げる政策であれ、実行段階で内部矛盾を抱えていれば直ぐに破綻する。 仏教であれ、キリスト教であれ、およそ既成宗教と名の付くものは、この意味で見たとき内部矛盾を抱えるものばかりであり自己完結したものなど一つも存在しないことが分かる。 奇跡を説くキリスト教であるがその奇跡を受け入れることのできないキリスト教徒は悩み苦しむことになり、無や空を説く仏教であるが結局坊主は無や空が何たるか分かるわけもなくただただ途方に暮れるばかりで、せいぜい葬式仏教を営むくらいしか出来ないのである。 思想や哲学において最も重要な事は、その思想や哲学の歴史でも権威でもなく、またそれを支える組織やコミュニティの存在でもなく、純粋に自分自身がその思想や哲学を納得できるかどうか、その思想や哲学が自分自身の中で自己完結しているかどうか、それ以外ないのである。 このように考えるとそれが自分独自の考えであろうとなかろうと、やはり自分自信で辿り着いた思想なり哲学なりを最も大事にしないといけないのではないだろうか。  

このQ&Aのポイント
  • MFC-J5620CDWのプリンターでパソコンから印刷できない問題が発生しています。ホームページからソフトウェアをダウンロードし、適当なPDFファイルを開いて印刷を押すとプリンターが反応せず、データが送信されない状況です。父のパソコンでは印刷できるため、ネットワーク接続は正常であると思われます。Windows10の64bitを使用しています。
  • MFC-J5620CDWのプリンターがある実家でパソコンからの印刷ができません。ソフトウェアをダウンロードし、PDFファイルを開くとプリンターは表示されますが、印刷を押しても反応せず、データが送信されません。父のパソコンでは正常に印刷できるため、ネットワーク接続に問題はないと思われます。使用しているOSはWindows10の64bitです。
  • MFC-J5620CDWのプリンターでパソコンからの印刷ができません。ソフトウェアをダウンロードし、PDFファイルを開くとプリンターの表示が出ますが、印刷を押しても一切反応がありません。ネットワーク接続は正常で、父のパソコンからは印刷できることから、問題はパソコン側の設定やドライバーの問題が考えられます。使用しているOSはWindows10の64bitです。
回答を見る