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宗教の違い。
彼女の家庭がキリスト教で、私は無信仰です。 ですが、私の母が信仰しており、私も10年以上学んでいました。 私は3歳くらいから、宗教の違いで父と叔母と母の激しい喧嘩を見てきて宗教に対し良いイメージがありません。私自身も宗教の考え方が定着してしまうのは嫌ですし、信じられませんでした。 そのような私と、神を一番としている彼女の将来があるのか、不安です。キリスト教は最も理解でき、良い面も沢山あります。 しかし、キリスト教の思想が理解できず(神がどうのという次元の話)、そのような話になると激しい頭痛や大きな不安に襲われ、軽く混乱するような、欝なような感覚になります。 私にとって信仰とは、もっとも身をすり減らす行為です。(それでも信仰出来るのかは解りません)身をすり減らしてまで相手に依存するのは愛ではないと思うので、信仰はおそらくできません。その視野を変えようとしたり、考え方で葛藤した時もありました。 彼女とは居るだけでとても幸せです。出来ることならずっと一緒にいたいです。でも未来が閉ざされかけている状態で、彼女と一緒にいる事は甘えかも知れない と思ってきています。 私の方が気持ちは強く、彼女は「好きという事がなんなのか解らないけどもう好きだと思う」という、核心に近い状態のようです。 私が甘えている間に彼女の気持ちが大きくなり、辛い思いをさせるくらいなら、私から今、一生引きずろうが別れを切り出した方が、彼女のためかと思うと涙がとまりません。 彼女と居る時はあまり考えませんが、それ以外は殆ど欝に近い状態で、このままでは私もまともに生活できません。 教会には足を運んだりしますが、強制的になんらかの決断をしなければならない時かもしれないと思います。 どう解決したら良いのか解らず、アドバイスを頂きたいです。よろしくお願いいたします。
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お話を伺うと、 宗教の違いで、どんなに人間が 真剣に争うのかを見てきた無信仰のあなたに比べると、 信仰心の篤いあなたの彼女は、一神教の無菌室で育てられた人 という感じがします。 彼女のことを熱心なキリスト教徒と評されているようですが、 果たして本当にそうでしょうか? 相手が嫌がる様子にも気がつかず、 自分の信じる宗教を押し付けるように語るというのは、 どちらかというと、自分だけが特別だという 選民思想のようなものを感じます。 今、彼女がしている行いは 彼女が本来信じなければならない、 差別のない宗教の正反対の行為です。 彼女は、あなたがご家庭で 宗教の違いによって悩んだ経験があるのを ご存知ですか? キリスト教を信じるのは自由だけれど、 世の中にはいろいろな考え方の人が、 たくさんいて、そういう違いを越えても 仲良くやっていけるのが、大事だということを、 彼女がまだ、理解されていないのが問題のようですね。 さまざまな人がいてもいいんだということを、 どうにか彼女に分かってもらうように あなたのご家族の経験などをもとに 彼女を説得されてはいかがでしょうか? それが分かれば、彼女も 自分が信じている善いことが 誰にとっても善いことに違いないという 狭い考えから抜け出せるかもしれません。 彼女にそのゆとりさえ生まれれば、 あなたと幸せにやっていく道は 充分あると思いますよ。
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n.5です。 彼女が物心が付く前からキリスト教(カトリック?プロテスタント?)のメンタリティーの中で無菌培養されてきた人であるとすれば、貴方は宗教に対して必要以上にムキになりすぎているような気がします。 宗教による諍い、というのは歴史的に見ても分かるとおり根深いものがあります。 キリスト教と一口に言ってもギリシャ-ロシア正教、カトリック、プロテスタント等様々で、それぞれがいがみ合ってきたのも歴史が物語るとおりです。プロテスタントというのは日本語では新教と訳されてますが、本来の意味は「抗議する者、事柄」という意味ですよね。 キリストの教えの解釈の仕方を巡って、またはその名において人殺し、戦争(十字軍、宗教戦争等)がくり返されてきたのがヨーロッパの歴史でもあるわけです。 「汝の隣人を愛せよ」の隣人もキリスト教では「同じ宗派のキリスト教徒」を指しているわけで、自分と思想を同じくしない者は人として認めないわけです。(例えばユダヤ人迫害など) そして歴史に残る法王の政治権力への固執、例えばボルジア家のアレクサンデル6世等々悪名高き法王達。 こんな事をキリスト教徒ではあっても、日本という、仏教、儒教の思想が根底にある日本で育った彼女と話してみては如何ですか。 残念ながら、キリスト教の思想は常に人々を平和と愛に満ちた生活へと導いていったわけではなく、使い方を誤った人々の手によって「爆弾」ともなっていったという事実にも、目を向けさせる必要があるように思います。恐らくこの様なことについては学校の世界史の授業で触れることはあっても、教会、彼女の家庭で真剣に議論したことはないのでは、と思います。 同時に貴方も、自分の理想以外は受け入れられない、というところから脱する必要がありそうです。例えば、海外転勤にでもなり、ローマに住むことになったらどうします?周りは教会とカトリック信者であふれてますよ。 宗教とは関係なく、お互いに相手の「違い」を認め合うだけでお互いが気持ちよく生活できることがあえるのになぁ、と思うのは私だけでしょうか。
お礼
ご回答ありがとうございます。 イエスの作ったキリスト教のおかげで他国では古くから戦争で沢山の命が失われていますね。日本社会の中では良い意味でしか役割を持っていませんが、そのような事実についても考えてほしいです。 私がイエスが信じるに値するものだと肯定的になれれば、彼女と過ごす上で問題なくなると思います。 彼女は、何もなくここまで育ってこれたのは 神に守られている と思っています。 小学校の時に虐めで自殺しようとした事があるらしく、その時に神の声で助けられ、両親がめぐりあったのも神のおかげらしいです。 生きていれば珍しい偶然などいくらでも起こり得ますが、それを神の仕業だと取り違えているので完全に信じています。 そのような信じ方をしている人は死に掛けても「神が殺さずに済ませてくれた」と言う事でしょうし、不幸が続いても「神様、なんで…」と思うと思います。 全てにおいてまず信じている事が前提なので、それらの視野考え方かつ 偏見を持ってでしか議論できない状態だと思います。 違いを認め合えるよう頑張りたいです。 sapere様にご意見を頂き、私もキリスト教についてもっと考えてみようと思いました。団体・イエス・宗教などを切り離してそれぞれ深く考えてみます。
- moke_soda
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ANo.3の者です。 何度も書き込んでしまい 差し出がましいようで申し訳ありませんが、 もう一度回答させていただきます。 詳しい説明を伺えてよかったです。 あなたの彼女の純真さが、 とても好感が持てるものだということが よくわかりました。 ただ、彼女の場合は、 ある程度の年齢に達して、自分の意思で宗教を選んだのとは違う、 まるで生まれたてのヒナがはじめてみたものを親と信じ込んでしまう すり込みのような信仰なのですね。 とすると、そのすり込みを消さないことには、 いけないようですね。 それは、かなりの荒療治が必要のように思います。 もしも、彼女と一緒にいたいとあなたが思われるのでしたら、 順序が前後するのは承知なのですが、 先に結婚してしまうしかないかもしれません。 あなたのご職業は、転勤願などを受け付けてもらえる仕事でしょうか? もしもできそうだったら、すぐに遠くの職場に転勤し、 結婚した彼女を、両親から遠いところへ離すとよいと思います。 少し酷な気もしますが、心を鬼にして、 右も左も分からない土地でのあなたとの生活へ、彼女を、 飛び込ませてあげてはいかがでしょうか 困ったときに両親の手がすぐ差し伸べられるところでなければ、 自然とあなたを頼りにするようになると思いますし、 そういった生活上の問題をクリアしていくたびに、 いちいち教義のことなど構っていられなくなるかもしれません。 生活の中で、日曜教会に行くことにあなたが同行する代りに、 あなたの好みのサークルや集まりなどにも参加してもらうなど、 強引ではなく条件をつけながら、 広い世界を知っていってもらうのも悪くないと思います。 そして3年から5年ほどは、子どもを作らないように 注意し、彼女の変化の様子を見守れば、 教育への影響も極力さけられるとおもいます。 彼女の変化いかんによって、子どもをもうける時期を 選ぶのがよいと思います。 とにかく、今までの環境を切り離し、 なにもかも神に頼るのではなく、自分で考え、 自分で判断し、自分の信じていることだけでは 回っていかない世界に体当たりしてもらうしか なさそうです。 しかし、この方法では、何より、 あなた自身にとって大きな生活の変化にもなりますし、 数年間、忍耐し続けることになるはずです。 途中でくじけてしまえば、最悪の場合、あなたはもとより、 彼女まで離婚という形で傷つきかねません。 もし、この方法では彼女との生活が 実現しないものだとしたら、 あなたと彼女が別々に生きていく道を、 選ばざるを得ないように思います。
お礼
ご回答ありがとうございます。 私はまだ社会人では無いのですが、将来はお互い親元を離れようと思っています。 moke_soda様の仰るように、すり込みのような所はあるので、こうすることで考え方が広がってほしいと思います。 宗教があれこれ違うので、将来への不安は山積みで考え出すと高い壁にブチ当たります。 身を削っても彼女と居ることは出来ますが、執着や依存を愛に置き換えるより、どうにもならない別れというものもあると思います。その感覚がとてもリアルに想像できてしまい、辛いです。 もちろん精神的にも経済的にも家庭を支え守れるような人間にならない事には結婚など論外です。が、同時にカップルは結婚の可能性がゼロでは無い方がいいですし、ゼロかもしれないと言われると、真面目だからこそ深刻に考えざるを得ません。 子供は直ぐには作らないほうが良いかも知れませんね。 子供で連想したのですが、当然ながら肉体関係は持っていません。 今は冬なので彼女は露出していませんが、それでも非常に辛い状態です。 子供ができる可能性のある事に置いては自らけん制できる(頭で納得できる)ので、あまり辛くないのですが、 互いの性器の愛撫においては私自身が納得できない(子供は生まれないこと)ので、けん制できず、ものすごいストレスです。 会う頻度を減らしてみたり、会う前に抜いたり、食欲を常に満たしたり、性欲を軽減する方法を考えています。ずっとこの事では戦っています。男の性欲が、ここまで苦痛だとは思いもしませんでした。 彼女と居る時は 頭は天国でもシモは生き地獄で、日常生活でも視界から受けるものは全て苦痛へ変換されます。いつか性が嫌いになりそうで怖いです。 今は何とか日々をしのげていますが、夏が怖いです。 やっとこのストレスに慣れてきたのに(または疲れきってしまったのかも)、冬の今からは想像もつかない「どんな拷問が待っているんだろう」と思うと怖くて仕方ないです。 できる事なら彼女と会っている時だけ性欲を消し去り、幸せに過ごしたいです。せめて彼女と居る時だけでも構わないのでストレスから開放され、幸せに過ごしたいです。 結婚以前に付き合いの継続としても、性関係での不安というのは大きいです。
夫婦共に無信仰ですが、あえていえば書類的にはイタリア人の夫はカトリック。(一応教会で結婚するのに必要な儀式--洗礼、初聖体、堅信--は受けているけれど、それだけで信仰心なし。) 私は、まあ、日本的な家庭の流れで行けば、仏教徒になるのでしょうね。 子供は一応洗礼だけは受けてますが、その後は成人してから自分で好きなように、と思っていますので、その後の儀式は受けさせてません。(毎週の教会への送迎が面倒、と言う親の怠慢もあります)が、学校で宗教の授業は受けています。これは、その国における文化、メンタリティーの根底にある文化だと思うからです。 文化も、習慣もカトリックに根付いている国で暮らしていますので、あるがままに受け入れている、と言う感じです。例えば、教室に必ずかかっていた十字架。出産時に入院した病室にもかかっていましたね。公立の学校に宗教の象徴なんて、と言うのももっともですが、あればあったでそれも気にもならないのが私を始め多くの日本人でしょう。 これに対し、躍起になって反対しているのはイスラム教徒です。 プロテスタントに対しても摩擦がありますね。 毎年ハロウィンの時期になると文句を言う司祭が必ず居ます。 私は、宗教というのは他人に自分の価値を押しつけた時から、その真の意味で価値はなくなり、独裁者になるのだと思っています。 貴女が彼女の信仰を彼女という人間を形作っている一つのエレメントととらえることが出来るのか、それとも彼女が毎日ミサへ行き、修道院の中のような生活を貴方に強いるのか、それによって結論を出されては如何でしょう。 前者なら、例えば礼拝後に待ち合わせをして一緒に食事にでる、なんて事も可能でしょうし、後者なら......貴方との結婚より、修道院に入られることを薦めてみるか...... ああ、それから宗教団体は宗教をダシにした金儲け、権力目的の機関だと思っております。でも、信仰が前法王やピオ神父のようなオーラを持つ人々に対しても強靱な精神力を与え続け、人としての魅力を与え続けてきたのも確かだと思います。 実際、教会は嫌いだけどピオ神父だけは別、と言うイタリア人は多いです。 貴方にとって、教会は嫌いだけど、彼女は別、ではないのでしょうか。
お礼
ご回答ありがとうございます。 今まで団体と信仰をまとめて考えていたところがあります。 団体は金儲けかつ政治権力の機関だと私も思っています。 彼女は別ですね。そう考えると大分楽になりました。
- nekororin
- ベストアンサー率25% (106/420)
キリスト教は、変な宗教ではありません。何をそこまで危惧するのだろうと思いますよ。 「彼女はキリスト教だけど僕は違う」でいいんじゃないですか? 彼女が好きなら彼女が教会に行く時は付き合う。ただし外で本でも読んでいればどうですか? 結婚して家族で初詣に行っても、鳥居の外で待ってる、と彼女は言うでしょう。宗旨に沿わない事を彼女はしないでしょう。 あなたはそんな彼女を尊重し、自分の無宗教を彼女に理解して貰えばいいのではないですか。 ちなみに「無宗教」を強調しない方がいいです。「神も仏も無い」と思ってる事をことさら強調すると溝が深まります。 「僕は特別これと言った宗教を信じてはいないけど、めっちゃラッキーな事があった時は『神様ありがとう!』って思う」って言ってみましょう。 実はこれをキリスト教徒の友達に言った時、とても嬉しそうな顔をされました^^
お礼
ご回答ありがとうございます。 キリスト信者の大半が、エホバやその他宗教や新興宗教に偏見を抱く事と同じです。私も普通に生きていれば宗教へここまで危惧してはいないと思います。 両親の喧嘩、叔母の暴力、母の信仰の威圧的要求、 これで良いイメージをどうやって持てば良いのか、あるなら知りたいです。幼い頃から脳に刻み込まれ、知れば知るほど疑問と団体に対する不信感ばかりが増えます。この世を創造した神は居ると思っています。それ以上の不要な追求や団体への関与、価値観が飢えつかないよう時間の消費は出来る限りしたくないです。 今年は彼女から初詣に誘われました。神社にも普通に行ったりしますしクリスマスも会いました。 「1月1日の日の出や日本の古い寺を見る事はなにも悪い事ではない」 この彼女の考え方には期待を持ちます。 彼女の信じているものへ否定的な意見は言わないようにして行こうと心がけています。 結婚なら私の方が融通を利かせれば良いと思っていますが、それでも不安は大きいです。彼女からしても信じられないのは辛いでしょうし、天国で二人で再開したいでしょうし、二人でお祈りもしたいと思っていると思います。 カタチだけはいくらでも出来ますが、根の部分で信じる事ができない私には、これらの事はして上げられません。 結婚生活を継続できたとして、このような幸せを与えてあげる事は私にはできません。(もちろん私も信念が違うのは辛いですし、先が見えない不安はとても強いです) 私の信仰に関しては、期待させるような事を言ったり態度を取ってから突き落とすような真似はしたくないので、否定しないような言い方で私の正直な気持ちを言っています。 今は幸せすぎて、先が見えないのに彼女との付き合いを自分の都合でダラダラして良いのか わかりません。付き合っている事へ罪悪感すらありますが、別れを考えようとすると涙が止まりません。 なにかに熱中していないと辛くてどうしようも無いです・・。 キリスト教は変な宗教ではない、仰るとおりです。彼女の魅力はまぎれもなく聖書の綺麗な信念と優しさを持っているところです。 キリスト教自体はとても良いものだと思います。
- akame
- ベストアンサー率30% (28/91)
私も無宗教です、あえて言うならとある地方の神社に血縁のあるものですが、無宗教です。 宗教とは人間にとってどういうものかと考えてみました。 まずは、自分の心のよりどころ、宗教によって自分の心を豊かにする(高い心の持ち主になれる)とか、そういうところでしょう。少なくとも私にとっては、です。 反対のことでは周囲との摩擦が考え方の違いにより生じやすい(宗教戦争などは一番根が深いと思います) >キリスト教の思想が理解できず(神がどうのという次元の話)、そのような話になると激しい頭痛や大きな不安に襲われ、軽く混乱するような、欝なような感覚になります。 上記のような症状があるのに、彼女と一生やっていけるでしょうか? 宗教は生活に密着するものです。生活のそこかしこに「キリスト教」が見え隠れする生活・お付き合いが果たしてうまくいくでしょうか? 決して宗教が悪いものだと私は思いませんし、判断する立場でもありませんが、質問者様の未来を今の彼女だけで決めてしまうことで後で後悔しないように助言させていただきました。 これを読んで不快に思った方にはお詫び申し上げます。あくまでも個人的意見ですのでお許しください。
お礼
ご回答ありがとうございます。 >宗教は生活に密着するものです。生活のそこかしこに「キリスト教」が見え隠れする生活・お付き合いが果たしてうまくいくでしょうか? >そのような不安はとてもあります。 今の段階(お先真っ暗な状態)だからこそ、重くとってしまうというのもあると思います(真理(結論)をつきつけられるような事を言われると、「とてもじゃないけど信じられない」→「いつか自分たちの関係は終わるのか」と混乱するのかも知れません。「別れ」がチラつくから欝になるのだと思います。 (宗教そのものに反応するというより、彼女との関係が崩れる脅威という表現の方が良いかも知れません。) 彼女が聖書の一文を読んだりする事があっても、そのような反応はありません。むしろ包まれるような感覚も少しあります(それ以上の不安もあります)。 思想を出されると、今のところ そういう反応になりますし、一生やっては行けないかも知れないとも思います。(私の両親は何だかんだやってるので、不可能では無いなら私の幸せは彼女以外あり得ないです。もちろん彼女以外の女性と結婚を考えた方が価値観や生活の面ではその通りだと思います。しかし、彼女の幸せは他にあると思ってしまいます。 冷静に私の未来を考え人選すべきという考えは留めておきます。助言ありがとうございます。
回答にはなってないかもしれませんが 私も無宗教ですが、 「三浦綾子さん」の「塩刈峠」という本を読んでから 少しキリスト教に好感が持てました。 読まれてみてはいかがですか? もう読まれていたらごめんなさい^^;
- 参考URL:
- http://www.amazon.co.jp/
お礼
ご回答ありがとうございます。 私が信仰に明るい意味で理解を示す事が出来ていないのかも知れません。(自身の過去で潜在的に、かつ何重にも否定している気がします) そういう感覚を変える事が良い解決になるかも知れませんね、書店かネットで購入してみます。
お礼
ご回答ありがとうございます。 >一神教の無菌室で育てられた人 まさしく仰られるとおりです。 本当に深く信仰している人は他人に押し付けはせず、たくさんの疑問を持ちますよね。私の母がそうですし、そのような母から威圧的に信仰を迫られていた事もあるのかも知れませんが、私からすると彼女は信仰が薄いです。「自分の信じているものは自分の中だけにしか過ぎない」という謙虚さは無く、すべての人類に当てはめています。 私の家庭事情は話しました。生活はキリスト文化を尊重したとしても おそらく信じることは永遠にない という事もハッキリ言ってあります。 ですが、彼女は明らかに私より真理的に先を行っているとでも思い込み、上から目線のような感覚で「相手は神だから大丈夫」と言ってきます。大丈夫じゃなかったら?と聞いても「ありえない」と言います。 回答者様にご指摘されている通りです。すべて自分の視野でそれを他人にも当てはめてこようとしています。もちろん信仰者当人は純粋に信仰していると思っており、相手に押し付けているとも思っていないのですが・・。 彼女は私を尊重してくれるようですが、子供の教育から様々な問題があると思います。日曜日にはどこにも行けない、信じられないことへ献金をする このような些細な事が、夫婦生活を破綻に導く時もくると思います。 私は神の存在や聖書の何割かを信じているとして、日本聖書協会などの組織は信じていません。10分の1をユニセフに募金はできても、どこぞへ消える献金は出来ませんし、どこぞに消える膨大な聖書の利益などにも関与したくありません。 そして彼女が神を一番に大切だと言う事も、 そのような考え方ができない私は寂しいです。私も自分の信念は曲げられないという点では一緒ですが、無信仰者同士が愛し合う と同じような感覚で私を愛してくれる事はないのかな?と思います。 結婚と言うものがどういう物なのかを知っていく度、彼女と生活を共にする事へ自信がなくなってきます。 それと裏腹に彼女自身の事はどんどん好きになっていて、 それに比例して将来の不安なども大きいものになっています。 ホントに彼女が私を尊重しているのかどうかは解りません。 (彼女の中では、結婚相手は神が選んでくれるので将来の事はかなり楽観的です) 私の投稿内で気分を害する方がいましたらお詫び致します。