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マレー半島に入った旧日本軍

1941年以降、マレー半島に入った旧日本軍で、何師団、何旅団が、どこから(たとえば中国大陸の●●市から)マレー半島に移動したか、などの情報を知りたいのですが、わかりやすい書籍があったら教えてください。 日本軍の全体の移動経過より、マレーに入った(あるいはインドネシア方面も含め東南アジアに入った)移動の流れをつかみたいと思います。

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  • ベストアンサー
  • tanuki4u
  • ベストアンサー率33% (2764/8360)
回答No.1
jayoosan
質問者

お礼

ありがとうございます。 そこに書かれている師団は、私の手元の本とも合致します。 知りたいのは、それらがマレーに入る前に、どの地にいたか。つまり、マレーから元いた土地まで逆にたどりたいのですが、どの本にそのような情報があるのか、なかなかぴったりの本にめぐり合えません。 マレー戦の本は、入ってきたものは書いてあるのですが。

jayoosan
質問者

補足

お礼を書いたとき気がつきませんでしたが、師団にもリンクがはってあることを見落としていました。 みると、第5, 第18師団は中国大陸からきているのですね。 とくに第18師団は南京作戦にも参加したようです。

その他の回答 (2)

noname#125540
noname#125540
回答No.3

#2です。補足。 駐屯地とは言わないのかな??? 知識が浅いもので、用語が違ってたらごめんなさい。

jayoosan
質問者

お礼

どうもありがとうございました。

noname#125540
noname#125540
回答No.2

こんにちは。 jayoosanさんのほうがお詳しそうなので、お役に立たないかもしれませんが。 『シンガポール総攻撃 近衛歩兵第五連隊電撃戦記』岩畔 豪雄 著 (光人社NF文庫) http://books.yahoo.co.jp/book_detail/30723816 この人はシンガポールにたどり着く前に負傷して後方に下がったのですが、タイ上陸前後の話から出ていたと思います。ちょっとよく覚えていないのですが。 とにかく歩兵が自転車でゴム林を進軍したというのが印象的で・・・。 旅行したとき、シンガポールの紀伊国屋で買いました。 岩畔さんは『ノモンハンの夏』にもちらっと登場しますがそこでは東京にいた模様。 (当時、辻政信さんは関東軍でノモンハンのほうにいました) イワクロさんは、よく知りませんが戦前の日米交渉に関わったとか何とか。 マレー半島の中での移動経路は、わりといろいろな本に出てますが、 師団については#1の方のウィキペディアで師団のページを辿るのが早いのかも。 私はごく最近この種の本を読み始めたばかりなので、師団とか連隊とか、いろいろあってよく分からんです。 いつ中国大陸のどこで編成されたとか、駐屯地が変わったとか。

jayoosan
質問者

お礼

マレー半島内を自転車で進軍するのは、マレーの中国人の証言にもよく出てきます。中国寄りのゲリラを早くみつけたり移動を機動的にするために、自転車をかっぱらっていたようです。 マレー半島やシンガポールに入ってからの行動は、わりと本に書いてあるのですが、それ以前のつながりがたどりにくいんですよね。 シンガポールの友人の母方の祖母の姉妹が日本語を話せるので、友人がなぜ話せるのかと聞くと「日本人がきたときは怖かったし、自分の身をまもるために(たぶん生活のための商売とコミュニケーションのため)覚えなければならなかった」と述べたそうです。 これは、日本統治下で自然に日本語をみにつけた、台湾や朝鮮の祖父母世代とは異なる感覚です。 日本兵も中国人を警戒し怖がっていたがために、特別な目で中国系マレー人(シンガポールは当時マレーシア)を見て、追求と糾弾をし、そして中には泰緬鉄道の労働のために、人員を送り込んでいたと思われます(ある意味、戦後のシベリアの労働力確保のための日本兵捕虜の収容と同じかも)

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