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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:至急お願い!古文の訳が…)

古文の訳についての質問!至急お願いします!

miirumatsuの回答

回答No.3

「よし(由)」の解釈が、「理由」となっている点を除き、おおむね、質問者さんの解釈で妥当です。 この歌を花山院が『拾遺集』を編集なさる時に、『散る紅葉葉を』を『紅葉の錦』に代えて入れるのがよいという旨をおっしゃったが、大納言が、ふさわしくないという旨を花山院に申し上げなさったので、元のままで『拾遺集』に入れてしまった。 ですね。 「よし」は、「~という趣旨」「~とのこと」「~のような意味のこと」などと訳せば良いと思います。 歌は、原文にはどう載っていました? 「小倉山嵐の風の寒ければ散る紅葉葉を着ぬ人ぞなき」ですか? 公任本人は、「散る紅葉葉を」の四句目を気に入っていたようですね。 理屈に合いますものね。 嵐の風が強く吹くからこそ、小倉山の紅葉は散るのであり、嵐が吹いて寒いからこそ、風下の人々は散った紅葉の葉を体にまといつかせるようにして着るのですから。 決して写実的とはいえませんが、類型の中でもまだいくらか実情に即した面を持っている、すこし古風な感じの歌です。 リアリティーのある分、「感動」が直接的に詠まれているのです。 ところが、花山院は(この人も、独特の美意識や感性を持った方です)、「紅葉の錦」のほうが良いと言った。 一種の慣用句として「紅葉の錦」、錦織のように美しい紅葉、または、紅葉を織り出したような美しい錦織の衣装、という語に差し替えよ、と言うことです。 四句目をこう改作すると、歌はより観念的になり、現実味を離れて、典型的な美を帯び、より人工的に洗練され、絵巻物のような美しさを湛えることになります、でも、そこにはもう、歌の「まこと」、真実味、本来の感動の中心は、燃えかすのようにしか残されていません。 人間の美意識というフィルターを通った、一種の固定的観念として、「感動」そのものが象徴化されてしまうのです(・・・質問者さんは高校生でしょうか、少し難しいですね、ごめんね)。 どっちがいい、ということではなく、公任と花山院の美意識が根本的に違うということなのです。 この話(古今著聞集)では、花山院が原作者の主張に折れて、「紅葉の錦」案を取り下げ、「散る紅葉葉を」のまま、拾遺集に入集した、ということになっています。 ところで、結局は、拾遺集には「紅葉の錦」で入集している、ここが、質問者さんの引っ掛かるところなのですね。 これは、それほど大騒ぎするほどのことでもないのです。 このようなことはしばしばあります。 異本と言いまして、「拾遺集」と言っても、実は、伝わっているのは一種類ではない。 何種類も伝えられていて、その中には、「紅葉の錦」になっているものもあり、「散る紅葉葉を」になっているものもあり、花山院が編集した時点では「散る紅葉葉を」になっていたものが、また、のちの世に、他の誰かが「紅葉の錦」に書き換えたとか、書き写し間違えた、とかは、ざらにあることなのです。 「散る紅葉葉を」という類の直接的表現を嫌い、類型のうちに収めて感動そのものを縮小し、一種の典型的な美意識として完成された形を整える、というのは、中世の文化人好みです。 鎌倉・室町時代の文学者や文化人は、実体験に基づいて和歌を詠む、ということをあまりしなくなる。 題詠と言って、歌会でテーマを与えられ、それに即して想像や回想だけで歌を詠むのです。 生活に密着して、和歌が男女の恋を発展させる手段であったり、友情や主従の信頼、親子の愛を確かめ合う手段であった平安時代とは、和歌のあり方も価値も変わっていくのです。 言葉遊び的要素がまさり、和歌の契機となる「感動」そのものの占める割合が極端に少なくなってゆく。 そういった時代の人々が、「拾遺集」を後世に伝えようとして書き写したとき(印刷技術がありませんので全て手書きの書き写しです)、意識的に、中世人の美意識に即したように書き直すのは、むしろ当然です。 そうした操作があっての、現代に伝わる「拾遺集」かもしれません。 ただ、「古今著聞集」では公任は「散る紅葉葉を」と詠み、このとおりでなくては困る、と、著作権(?)を主張した、と伝えられている、と、それだけのことです。 ここはあまり深くお考えにならないよう。

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